うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】藤本タツキ「チェンソーマン」を読んで考えてしまうとちょっと辛いので、考えないことにした。

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チェンソーマン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

チェンソーマン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

増田で盛り上がっていたので読みだしたら止まらなくなり、既刊7巻までいっき読みした。

話も面白いし、何よりバトルシーンがカッコよく、デンジがチェンソーマンになり戦うときの爽快感が半端ない。

単純にそういうところだけ楽しんで読めばいいと思うので、以下は蛇足。

主語デカい話だ、と一応断っておく。

 

主人公のデンジは小さいころから苛酷な環境に置かれていて、社会からの恩恵を受けていない。学も教養もしつけも、「社会に適合して生きていくためのもの」を大人(社会)から与えられなかった。

デンジを見ていると五、六歳くらいの男子を思い出す。よく「男の子はバカで可愛い」と言う話を聞くが、確かに滅茶苦茶可愛い。

恋愛観も、自分が考える十代男子の基本的な恋愛観はこういう感じだ。

これを少女漫画の世界に混ぜ込んだら大惨事になるだろう、ということがわかりやすい。

 

「社会性」という皮を与えなかった場合、男子はどう育つのかというのがデンジでは、という風に最初は考えていた。

ところが話が進むうちに社会性を加えなかった場合どうなるか、の最も理想的な形がデンジではないか、と思うようになった。(最悪な形が、GOTのクラスター)

巻を進むごとにデンジは「かわいい」どころかどんどん「立派」になっていく。

 

デンジは「おっぱい揉みてえ」が行動の原動力になっている。

ただデンジは同時に「おっぱいを揉んだらマキマに嫌われる可能性」を考える。

「社会性」を与えられている人間なら普通のことだ。

「自分とは違う他者の認識を考えること(他者の世界観に対する想像力)」が社会性だからだ。

デンジはそれを社会から与えられていない、どころか社会から抑圧や敵意しか与えられていないのに、「他人(社会)から見た世界」を考えている。

しかも自己防衛のため(自分が損害を受けないならやっていい)ではなく、「相手であるマキマの気持ち」を考えている。

道徳の教科書みたいな話だが、教育を受けていてもこういうことがわからない、わからなくなる人間はたくさんいるし、現に「チェンソーマン」にも出てくる。

 

少年漫画は一般的に「正義(社会性)」という機軸が強く働くので、「社会性をはいだ個人の人間としての基盤」はここまでクローズアップされない。

「主人公なんだから読者に共感される(社会に適合する)ように、強くて立派でカッコよくて当たり前」という発想になる。

ところが「チェンソーマン」ではこの機軸が取り払われている。

取り払われているどころか、デンジは社会から不当に取り扱われてきた「かわいそうな人」であり、この機軸と対立してもおかしくない立場だ。それなのに社会に対する恨みも不信もなく、自分の境遇に対する悲壮感もなく、明るく楽しく仕事をしている。

「社会から不当に扱われたり、抑圧されたり、無視されたりしてきた境遇の人間」が社会に対して不信感を持つ、そういう話は多い。それが回復する方向に行くか、恨み骨髄となり開き直るか、その先の復讐する方向に行くかは分かれるが、だいたい不当な境遇や抑圧に対する悲壮感が出る。

「チェンソーマン」は実際に起こっている物事は深刻なのに、受け取りかたがすごく明るい。

 

「チェンソーマン」は「普通の感覚」による抑圧も、かなりの頻度で出てくる。

「刀の悪魔」であるヤクザの孫の言い分が代表格だ。

「普通」を「お前がおかしい」という抑圧として使う、しかも自分の「普通さ」に疑問を持たず、「お前はおかしい」と言う言葉で他人を思う通りに動かそうとする「刀の悪魔」は本当にクソで、「お前のほうこそおかしい」と言いたくなる。

しかしデンジは「刀の悪魔」の言葉を受けとめ、「自分に心はないのだろうか」と考える。

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(引用元:「チェンソーマン」5巻 藤本タツキ 集英社) 

 

デンジがすごいなと思う点は、他人と何か齟齬があった場合、まず自分に疑問を持つところだ。そして別の他人に物の見方を尋ねている。

「心とかうるせえよ」とならず「心とは何ぞや」となるところがいいなと思う。それこそ「心がある」ということだと思うし。

自分が「うっ」となったシーンは、姫野先輩が死んだあと、デンジがアキと自分を比べて「泣けない自分はおかしいのでは?」と考えるシーンだ。

「アキは三年間ずっと一緒に仕事をしてきたけれど、デンジは最近会ったばかりだから、泣けないのは普通のことでは?」と反射的に思ってしまった。自分がデンジの立場でも泣かない、もしくは一応泣いておくかと思うかどちらかだ。

 

デンジのような境遇でも世の中も社会も恨まず、自分を不当に扱う人間に対しては玉を蹴ってすまし、誰かを好きになることもできるし、他人の気持ちも想像できるし、おいしいもの食べて楽しければ、過酷な職場でも働ける。

そして自分に向けられたクソな言い分でさえ「他者は自分とは違う」と尊重していったん立ちどまって考えられるなら、環境や教育に左右されない何かがあるんだろうかと思う。

生まれてからずっと当たり前のように、ジャムを塗った食パンを食ってきたのに、デンジのようには考えられない…と考えると、ちょっと辛い。

チェンソーマン 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

チェンソーマン 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)