うさるの厨二病な読書日記

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【漫画感想】時を超えて仲間を思い続ける「葬送のフリーレン」が尊すぎて、涙がとまらない。

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たまたま見たPVで、涙腺が決壊した。

 

『葬送のフリーレン』PV初公開 魔王を倒した勇者一行のその後を描く“後日譚”ファンタジー

 

PVで泣いたのは「カールじいさんの空飛ぶ家」とこれくらいだ。しかも何度見ても泣く。

本編も絶対泣くだろうな、と思って既刊二巻までを読んだら案の定泣いた。

 

読んでいない人は、PVを見ていいなと思ったら本編を読んで欲しい。

 

 

以下二巻までのネタバレを含む感想。

 

寿命の違う種族の交流は特に珍しくない。

自分が今までみたパターンでは、

①寿命は違うが体感時間(価値観)は同じに見える。

②寿命が違うがゆえの価値観の対立がはっきり分かる。

このどちらかのパターンが多かった。

 

「葬送のフリーレン」では、「寿命が違うがゆえの価値観の違い」が顕在化しない。一見、仲良く過ごしてきたように見えるが、微妙なすれ違いがそこかしこに垣間見える。

具体的にはフリーレンのセリフに、「何となく引っかかる」ようになっている。

この「何となくひっかかる」加減が異様にリアルだ。

どういうことか聞くほどでもないし、言い返すほどでもない。ちょっとした引っかかりの連続で、フリーレンとかつての仲間たちの会話はできている。

 

フリーレンは50年ぶりに、かつての仲間の勇者ヒンメルに会いに行く。そのときの二人の温度差がすごい。

「適当に納屋にでも放り込んでおいてくれてよかったのに」

「そうはいかないよ。君にとっては軽い気持ちで預けたものかもしれないけれど、僕にとっては大切な仲間から預かった大事なものなんだ。いつか君にこうして返すべきものだったんだ」

「そんな大層なものじゃないんだけどな」

 

人間の百倍以上の寿命を持つエルフにとって、50年は50日くらいの感覚だろう。フリーレンはその感覚のままで、仲間に接する。

死が近づいているハイターには「ハイターは死ぬのは怖くないの?」と尋ね、老いて腕が枯れ枝のようになっているアイゼンに「一緒に旅をしてくれないか」と頼み、「勘弁してくれ」と言われてしまう。

だがそう言った仲間たちの反応に対しても、フリーレンの対応は冷たく見えるほど淡泊だ。「そっか」とあっさり済ませてしまう。

「自分以外の種族が、自分の体感時間だと二、三か月で死んでしまう」のは、彼女にとっては当たり前のことなのだ。悲しむべきことでもショックを受けることでもない。

フリーレンとヒンメルたちの温度差は、フリーレンが人間的に未熟であることを表しているのではない。逆に冷たく達観しているわけでもない。

フリーレンがエルフであり、ヒンメルたちが人間であるという違いから生ずるただの物の見方の差なのだ。

 

ヒンメルたちはそれが分かっている。

分かっているから、フリーレンを自分たちの価値観で測って失望したりしない。逆にフリーレンがそういう価値観だから、失望しないように自分たちの価値観ではないもので接し、フリーレンから距離を取ろうともしない。

そのままのフリーレンを受け入れて、自分たちの価値観でフリーレンと接している。

フリーレンにとってはたまたま10日くらい一緒にいたに過ぎない人間であっても、ヒンメルたちにとってはフリーレンは10年間苦楽を共にした仲間なのだ。

 

ヒンメルたちはフリーレンを、深く理解して受け入れている。彼女がどんな風に考え、どんな風に思い、どんな風に持っていけばどういう風に行動するかわかっている。

それは10年間、ヒンメルたちがフリーレンを仲間としてよくて見て、受け入れて、理解しようと努めてきたからだ。

彼らはフリーレンをよく理解しているからこそ、分かっている。

自分たちがフリーレンを理解し受け入れた試みが決して一方的なものではなく、ただ速度が違うだけなことを。

フリーレンも自分たちと同じ「10年」を過ごせば、必ず自分たちを理解し受け入れようと試みてくれただろうことを。

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(引用元:「葬送のフリーレン」1巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 

「さよならの朝に約束の花を飾ろう」でも、「自分より圧倒的に早く死んでしまい、一瞬しか関われない人間を愛することに何の意味があるのか」というテーマが語られている。

「人は人を理解するのは恐らく不可能であり、いつかは別れるのに、なぜ人と関わり人を愛するのか」というのは難しい。

作内でフェルンが語ったように、不可能かもしれないからこそ「あなたが私を知ろうとしてくれたことが堪らなく嬉しいのです」。それが例え「知ろうとしただけ」でも。

人と関わろうとすること、自分が理解できないかもしれないその人を理解しようとする試み自体が好きということであり、愛情なのだ。

 

フリーレンのことを本人以上にわかっていたヒンメルは、フリーレンが自分たちがいなくなった未来でいつか寂しい思いを抱き、寂しい思いを抱けば一人ぼっちになってしまうことに気づいていた。だからフリーレンを「未来で一人ぼっちにしないために」各地に自分の銅像を残した。

フリーレンは百年後にその銅像を見て、自分の中に寂しさがあることに初めて気づく。

仲間たちとフリーレンの思いは百年のタイムラグがあるが、それでもその思いは届いてフリーレンは仲間たちの思いを受け取り自分の思いを返していく。

どれだけ相手を理解しようと思えばここまでできるのか、と考えるとヒンメルの仲間に対する愛と理解の深さに涙が抑えきれない。

 

ヒンメルたちとの関わり以外でもフリーレンは、師匠フランメから学んだ「魔族を倒す鍵は、魔力の制御にこそある」という仮説を千年後に実証する。

何百年何千年もの時を超えて、全てが忘れ去られても何も残っていないように見えても、人と人はつながっているということが語られている。

「もっと知っておけばよかった」と思うけれど、「知ろうとしなかった自分」がいるから「知ろうと思う今の自分」がいる。そういうつながりの尊さを感じさせてくれる話だ。

 

ここまででも十分面白く先が楽しみな話なのだけれど、一点だけ難を言えば戦闘シーンが若干物足りなく感じる。戦闘シーンが「動」であればあるほど、この話のメインである「思いをなぞる」という静の部分が際立つと思うので、贅沢だとは思うけれどつい考えてしまう。

 

(2023.10.3追記)アニメ四話までの感想。

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続き。

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