*若干のネタバレあり。
こういうのはたいてい、物語の主人公が命の危険にさらされたり世界を救えなかったりするときに起きるものだ。ごろごろしながらマンガを読んでいただけの俺が起こすなんて、どう考えてもありえない。(略)
間違いない。この物語の主人公は俺じゃない。
(引用元:「ループ・ループ・ループ」桐山徹也 宝島社 P27-28)
11月24日をループしているモブキャラ・橋谷郁郎が、「ループを起こしている主人公」を探す話。
このアイディアを長編として組み立てたのが「ひぐらしのなく頃に」(*ネタバレ反転)だ。比べてしまうとやはり物足りない。「実はループしている」は今では何の驚きもないので、難しさはあるだろうけれど。
長さとしては中編なのに、「連続殺人」と「一年前の女生徒の自殺の謎」と大きな種がふたつあるのは多すぎる。どちらの加害者も被害者も人間関係も類型的だし、うまくまとまっているようにも見えない。
「連続殺人」の物語内での意義は、「一年前の自殺」のカモフラージュとしてのみというのはご都合主義を強く感じてしまう。
一年生男子のいじめの話もそこまで深く話に関わってこないし、桜井京子と千野春菜の人間関係は森川との友情を始め、かなり唐突だ。「モブキャラパーティー」は事あるごとに、「お前ら、そんなに仲が良かったっけ?」と突っ込まれるのに、森川たちの関係性は校内でそれほど知られていない(郁郎たちも知らなかった)などの描写も不自然に感じる。
読み終わったあとに全体を眺めると、それぞれの要素のつなぎ目が「ストーリーありき」の強引なものに思えてしまう。
ただ読んでいる途中は予想外の展開の連続で面白く、いっきに読めてしまう。
全体として見ると「取っ散らかっているな」という感想になるが、ひとつひとつの要素はいいなと思うものが多かった。
「モブキャラ」を自認する郁郎の思考の「モブキャラらしさ」は、モブ気質の自分には深く共感できた。
「それ(ループ)を起こしているのが、アフガニスタンで戦う若い兵士だったり秘密組織に潜入する諜報員だったらどうしよう。俺にできることはなにもない。見つけ出すことすら不可能だ」
ループものを読むたびに、自分も「ループに気づいてもその原因がものすごく遠いところにあったらどうしたらいいんだろう?」ということを考える。「選ばれていない人」視点のループものがあってもいいのにな、と思っていたので嬉しい。
「救った人はループに気づき、ループ仲間として増えていく」という設定も良かった。郁郎が貴久に対して抱いていた先入観や勝手な苦手意識が解消されていく過程は、「話してみたら思ったよりもいい奴だった」のリアルさがある。
これは鈴木先生に対しても言える。
鈴木先生の千野春菜に対する「でも彼女はいつだって周りを思いやれる、人として立派な女性だった」というセリフは自分の個人的なベストだ。
このセリフは、この小説に仮に何か大きな欠点があったとしても(特にないが)、それが吹き飛ぶくらいいいセリフだった。
鈴木先生の千野春菜に対する言葉を聞いて、「鈴木先生が自分たち生徒にとって、どんな先生か」を知るところもいいし、かと言ってそれを大仰にクローズアップしないところもいい。
「ほぼ毎日会っている人でも、意外とその人を分かっていない」ということがよくわかる話で、このことをメッセージとしてもう少し強め打ち出せば話としてはまとまっていたかもしれない。
読んだあと一番印象に残ったのは、ストーリー以上に「十一月二十三日まで、俺たちは話をしたこともなかった。あのことがなければ、きっと一度も言葉を交わすことなく卒業していっただろう。俺はこうして三人に出会えたことを感謝している」という人の縁の不思議さ、郁郎が言うところの「優しい呪い」だからだ。
ひょんなことからループに巻き込まれた寄せ集めのモブが、団結して真相を探るという設定そのものが個人的にはすごく好きだった。
「選ばれていない人」も四人集まって協力すれば、主人公と同じようにループを打破できるのだ。