うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】「健康で文化的な最低限度の生活」 こういう人たちに社会は支えられている、と実感する。

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生活保護受給者の支援や見守りを行う新人ケースワーカーとして配属された、主人公・義経えみるの奮闘を描く「健康で文化的な最低限度の生活」を既刊9巻まで読んだ。

 

9巻がすごいいいところで終わっている。続きが無茶苦茶気になる。

 

生活保護受給者の苦難や実態、その周辺に見られるDVや虐待、アルコール依存症、精神疾患の問題なども扱っている。

この漫画の一番良かったところは、とにかく面白いところだ。

「社会問題を学ぶ」という固い気持ちで読み始めても、ストーリーの面白さから読む手が止まらなくなる。

決して「こう見るのが正しい」「こういう考え方が正しい」という見方を押し付けず、登場人物たちの試行錯誤に読者も共感できるようになっている。

 

新人時代のえみるの同期の失敗のパターンは、よく見かけるし自分も考えてしまいがちなことだ。

良かれと思って岩佐さんに圧をかけすぎた七条や、中林さんが文字を読めないことにずっと気づかなかった栗橋、阿久沢さんと信頼関係が築けず話を聞くことができなかったえみるを見ると、色々な思いが駆け巡って「あああ」となる。

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(引用元:「健康で文化的な最低限度の生活」2巻 柏木ハルコ 小学館)

 

どんな人にも、その人なりの「都合」があります。人は自分の「都合」でしか動きません。

その「都合」を知るには、まず相手にしゃべってもらわないと…。

そのためには、こっちにも「聞く準備がある」と示す必要がありますね。

 (引用元:「健康で文化的な最低限度の生活」2巻 柏木ハルコ 小学館/太字は引用者)

 

人の話を本当の意味で「聞く」のは、すごく難しいことだ。

「自分の都合を喋っているだけなのに、相手の話を聞いているつもりになっている」

「その話を聞く余裕(準備)がなく、相手の話を受け入れていないのに、聞いているつもりになっている」

「自分が準備不足なのを見抜かれているのに、話してくれないと相手を責める」

このあたりはよくある話だ。

相手もわかっているから「準備不足」の相手には、本音は喋らない。

「聞く」というのは技術だ、ということは自分も仕事関連で今も勉強中だ。

何年やっても自分に余裕がなくて、後で「『聞いて』なかった…」となることがある。

岩佐さんが自分の心の余裕のなさを七条に打ち明けられないのも、中林さんが栗橋に文字が読めないことを言わなかったのも七条と栗橋の「準備不足」の問題だ。

一巻、二巻は新人への洗礼なのに、読んでいて耳が痛かった。

 

ケースとしてとりあげられる人たちは、皆、人よりも能力が劣っていたり怠惰であったりするわけではなく、居住が安定していて身体が健康で生活に余裕がある人でさえ、そんなに色々なことをいっぺんには考えられない、ということが山積みになって、先が見えない恐怖や今までの経験からの自信喪失などしていて身動きが取れなくなっている。

今の余裕があって元気な状態な自分の考えだと「ひとつひとつ物事を考えて決めていかないと。自分の生活なんだから」と思ってしまいがちだが、そのひとつひとつ物事を「考えて決めていく」余裕がない、その力が日々削られ落ちている状態、目の前のことをこなすことさえ難しくなってしまうのがどういう状態なのか、ということもわかりやすく描かれている。

 

二人の子供を抱えて、着のみ着のままで旦那のDVから逃げ出した美琴のケースは特にわかりやすい。

割れた窓ガラス、めくれた床板。ベランダの鳩の巣はどうする?

そもそもおばあさんの名義の部屋では、家屋の補修費は出ない。

そして引っ越し。当然荷造りや部屋の掃除も必要だ。

その上で何とか滞納家賃を払い、それ以外の借金については債務処理。

それに加えて育児支援に就労支援。申請中だった児童扶養手当もこれでパアだ。

  (引用元:「健康で文化的な最低限度の生活」7巻 柏木ハルコ 小学館)

こんなに考えなくてはならないことがあるうえに、さらに妊娠が発覚して、切迫流産で緊急入院と、多少生活に余裕があってさえパニックになりそうだ。

 

少し前に偶然見たケースワーカーの仕事に密着するドキュメンタリーを見たが、仕事ぶりがこの話そのままだった。

担当する人の家を訪ねていき、外から何度も呼びかけて返事が無ければ、中で倒れていないかを外からメーターなどを見て確認する。えみるが半田さんに教わった、メモを玄関に挟む技?もやっていた。

担当する人の家に何度も足を運び、すぐには解決することはできない問題を、一緒になって要点を整理し解決方法を探る。

見ていて頭が下がる。自分だったら一週間も持たない。

 

この本を読んで、こういう仕事に携わる人たちに自分が生きている社会は支えられているのだなあと実感した。

実際に社会の制度や仕組みを支えているということももちろんあるし、こういう人たちの日々の仕事の積み重ねによって、自分たちの社会が掲げる「どんな人間でも、人は健康で文化的な最低限度の生活をする権利がある」という精神に、絵空事ではない血肉が与えられている。この人たちの仕事が、その精神が生きるための呼吸なのだ

 

「どんな人間でも」の「どんな人間」を、実際に相手に関わらず文字だけで見ると、「アルコール依存症ですぐに仕事を辞める、病院から脱走してまた酒を飲む奴なんて」「子供を放置する母親なんて」など思って判断しようとしてしまう。

作中に出てくる人物たちではなく、日々目にする記事や情報の中でそう思うことは多々ある。

でも例えば自分が個人としては認めがたい、関わりたくない人でも、というより自分から見るとそういう風に見える人こそ尊厳を失わないで生きていける社会であることが大事なんだと思う。

自分がとても出来ないこういう仕事を日々している人には、尊敬の念が尽きない。