うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

アラスカの北極圏周辺での生活を描く「氷点下で生きるということ」が面白い。

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アラスカ・北極圏の周辺の極寒の地で生きる人たちの生活を追うドキュメンタリー「氷点下で生きるということ」を見ている。

第1話 白い道の終わり

第1話 白い道の終わり

  • メディア: Prime Video
 

 

少し面白い作りをしていて、アラスカの別々の地でまったく違う生活を送る四組の人々の生活を、細切れに交互に追う。

話の切り替わりが早いし、一人一人をじっくり追ったほうが愛着がわくのではと思って見ていたが、見続けるとこの方法のほうが飽きずに見られて面白い。

見ていくうちにどの人たちにも愛着がわいてくるし、同じアラスカでも気候や風景、考え方や生活の違いが比較できる。

 

全16話のうち五話まで見た。話が細切れだから、空いた時間にワンシーンごと少しずつのんびり見れるのもいい。 ドキュメンタリーだからストーリーに起伏や引きがあるわけではないのに、先が気になってスルスル見てしまう。

今回はそれぞれの組の紹介と序盤の感想を書きたい。

 

【北極圏から北に30キロ・ノールビク】

アラスカの先住民族エスキモーに属するイヌピアットのアグネスと、その夫・チップのヘイルストーン夫妻が住んでいる。

アグネスはノールビクに代々住み、狩猟と漁業で生計を立てているイヌピアットの女性だ。周辺に住む、自分の親族とつながりながら生きている。イヌピアットの漁業は「母親から娘に伝えられる」と言われており、女系家族なのかな?と思った。

「ウル」と呼ばれるナイフが、母親から娘に贈られるというエピソードを見てもそうなのかもしれない。

「娘にナイフを贈る」というエピソードは、「ゴールデンカムイ」の中でもアイヌの伝統として出てきたような記憶がある。

「グレートジャーニー」を読んだときに、海でへだてられているにも関わらず、「アイヌとシベリアの先住民のあいだに共通する習慣がある」と書かれていたので、シベリア、アイヌ、アラスカは大昔のつながりがまだ残っているのかな? 色々と想像すると楽しい。

夫のチップは白人だが、「この地で生きるための方法は妻の父親に九割教わった」と言っており、イヌピアットの生き方や習慣を学んでいる。

二人は一緒に狩猟に行くが、幼いころから狩猟してきたアグネスが猟銃でカリブーを撃ち、チップが解体する。

物々交換が未だに機能しているのも面白い。狭いコミュニティで必要なものを循環して生きるなら、金銭という媒介は手間でしかないんだなと見ていて思った。

 

【北極圏から北に100キロ・ワイズマン】

社会に縛られない生活を求めてアラスカにやって来た「イントゥ・ザ・ワイルド」タイプのエリック・サリタンが一人で暮らしている。

今のところはこのエリック・サリタンに一番共感している。

第三話で、「(アラスカを)静かに散歩していると、自分の思考を遮るものは何もない。まるで教会だ」というセリフが出てくるけれど、滅茶苦茶わかると思った。

「人(社会)が苦手、嫌い、人といると疲れる」という理由でこういう場所に来る人もいるだろうけれど、自分は「世界の広がりが思考の広がりとリンクしている感じがあり、思考がどこにもぶつからず好きなように歩き広がっていく空間を確保してそこで一人の時間を過ごす」ために、こういうところに行きたい。

アラスカのように人がいない物理的なスペースと脳内スペースがリンクする感じもいいし、ブログみたいに延々と一人で思考を広げていける感じでもいい。

思考が好きなだけ歩き回れる場所が必要で、その「場所」が外部と内部でつながっている感じがある。

自分がSNSが苦手なのは、たぶんこの「思考が広がる空間が限定されている、少し歩くとどこかにぶつかる感覚」があるからでは、と思っている。例えると人混みの中を歩いている感じで、同じように一人で歩くのでもアラスカのような広い空間を歩くのとは違うみたいな感覚だ。

この辺りはぶつかる衝撃があるほうが閃くことがある、とかタイプによっても、違うのだろうけど。

アラスカの風景を見ているだけで、頭の中の考えをまとめている風呂敷をバッと広げられる感覚になるところも、この番組が好きな理由のひとつだ。

 

【北極圏から北に317キロ・キャビク】

極限の状況で自然を相手に生きているという意味では全員すごいけど、とりわけ凄いと思ったのは、キャビクのキャンプの管理を一人で行っているスー・エイキンスだ。

キャビクはアラスカの最北端にあり、飛行機でないと行けない、雪原以外何もない、燃料がなくなると生きていくことができない、燃料を輸送する飛行機が着陸するのも困難で、常に滑走路の整備をしなければならない。

その状況も凄いけれど、それ以上に過酷な環境で生きるための確固とした方針や考えがカッコよくしびれてしまう。

獣に襲撃されたときのために、手に取れる場所に常に十何本の種類の異なる銃器を並べているが、その並べ方にも意味がある、輸送機が着陸する滑走路を小型除雪機を操縦して自分で確保するなど、経験則に基づく自分独自のやり方が生活の隅々まで行き渡っている。

自然は自分を補食しようとし、自分はそれに抵抗する。関係性がシンプルでいいとか、考え方もいい。好き。

「ただこの場所で生きるために、自分を最適化させている」

こんな女性がいるのか。世の中広い。

 

【北極圏から南に196キロ・イーグル】

70代のアンディとケイトのバシッチ夫妻が、25匹の犬と共に暮らしている。五話で「70歳」と知ったけれど、50代くらいかなと思っていたので驚いた。

この生活をしているのも凄いが、70歳で、というのがさらに凄い。

バシッチ夫妻はスノーモービルは余り使わず、燃料の薪や狩りをするとき、イーグルに買い出しに行くときも犬ゾリを使う。

ソリやスノーモービルがあれば一見不便はなさそうだが、「アグルーカの行方」を読んで知ったけれど、雪や氷の状態に地形がかなり左右される。川の凍結が例年よりも遅い、雪の状況が違うため普段行ける場所が危険地帯になっている、地形そのものが時期によって変わってしまう、ということは気候が温暖な地域に住んでいると想像がつかない。

子犬のうちは家の中で育てて、ある程度育つとその犬のために小屋を建てて、群れで行動することに慣れさせる。リーダーになれそうな犬は見極めて、リーダーとして育てるなど聞いていて面白い。

「チームに入ると委縮する犬もいるわ。他の犬は走るから引っ張られてしまう。それが記憶に残ってしまって、チームで走るのを怖がるの。ハーネスをつけるのもイヤがってしまう」

犬も人間も一緒だな、と思った。

夫妻は犬を我が子のように愛していると同時に、大事なパートナー、というより生きていくうえでの自分の一部と考えている。実際に二人は、犬たちがいなければ食糧の買い出しもままならない。

自分は動物に余り興味はないけれど、こういうのを見ると「動物と共に生きる」というのはこういうことなのかなと自分にない感覚がわかる気がする。

 

淡々と日常を見せられて、十分くらいで別の組にパッと切り替わるので、最初はこれが十六話も持つのかと思っていたが、見れば見るほど思い入れや愛情がわいてきて目が離せなくなる。

共感や憧れを抱くエリック・サリタンやスー・エイキンスも、そこまで興味を持つ対象でもないと思っていたヘイルストーン夫妻とバシッチ夫妻も同じような愛着がわいて、どの組の先行きももっと見たくなる。

今まで見たことがない、不思議な魅力を持った番組だ。

 

アラスカに興味を抱くきっかけになった「荒野へ」。いつか行きたいと思い、「地球の歩き方」を熟読している。

荒野へ (集英社文庫)

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