うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「読者がどんな本を買うかは、僕が決めることではない」直木賞を受賞した小川哲のインタビューが凄く良かった。

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2022年1月24日(火)に読売新聞掲載されていた小川哲のインタビュー「直木賞に決まって」がとても良かったので、特に印象に残ったところを抜粋して紹介したい。

高校生のころから、ずっと心に決めているルールがある。

「自分の力ではどうしようもないことに対して、必要以上に思い悩まない」ということだ。(略)

結果がついてくるかはあまり気にしない。自分に決められることではないからだ。(略)

自分が考えることを伝えることはできるけれど、他人の考えや信念を変えることはできないかもしれない。それは仕方がないことだ。(略)

僕ができることは、自分が信じる「面白さ」を追求することだけだ。(略)

その結果、本が売れればもちろん嬉しいけれど、売れなかったとしても仕方ない。読者がどんな本を求めていて、どんな本を買うかは僕か決めることではない。

(引用元:「直木賞が決まって」小川哲 読売新聞2023年1月24日(火)19面/太字は引用者)

特に共感を覚えたのは太字の箇所だ。

 

ネットを見ても、何かの対象に対する人の反応は千差万別だ。対象への評価は受け取る側の認識が大きく作用する。

本来は当たり前のことだが、人は自分の認識しか実感できないように出来るので、自分の認識が普遍的なもの、もしくは一般的なものと錯覚しがちだ。

頭では「対象への評価は自分の認識も作用している」とわかっていても、自分が対象から受けとった影響を万人が受ける、そしてそれは対象だけの作用である(自分の認識の作用は考えない)という感覚が強くなってしまう。

また自分とは違う他人の認識を特殊なものと思い、「そんな風に認識する(読む・見る)のはおかしい」とも思いがちである。

 

認識自体には特に善悪も是非も正誤もなく、ただパターンの違いがあるだけだと思っている。

自分が出来ることは、「どの相手、どの物事について、どこまでパターンをすり合わせるために努力するか」を選ぶことだけだ。*1

この相手、この事柄だったら、理解してもらうためにこれだけやろうと思ったことを思ったなりに出来た、と思ったら、どう受け取るかは相手に任せるしかない。どう受け取るかは相手の領域の話だ。

こういう考え方を持つこと自体が、自分にとっては相手を自分とは違う他人として尊重することだ。

そう思っているので、インタビューを読んで自分も似た考えだなと共感した。

 

読者がどんな本を求めていて、どんな本を買うかは、僕が決めることではない。

(引用元:「直木賞が決まって」小川哲 読売新聞2023年1月24日(火)19面)

ゼロから自分が作った創作は、書いた人にとっては並々ならぬ思い入れがあるものだと想像はつく。

だからこそ「作った自分の思い入れは、他人である読者には何の関係もない」とはっきり言いきり、「読者は読者個人の領域の中で、自分が読みたいと思うものを読み、好きに感じればいい」と、「自分の創作」が媒介であっても自他の領域をきっちり分ける考えかたがいいなと思った。

作品に対する自負と読者に対する信頼を感じる。

 

上記の考えとは逆に「自分が面白いものではなく、大勢の人が面白いと思うものを書いて売れなければ(読まれなければ)意味がない」という、「読んでくれる人ありき」の人も多いと思う。

どちらが正しい、上だということではなく、ただタイプが違うだけだ。

「周りが求めているから、という理由ではできない」という人もいれば、「周りに求められていることをすることが楽しい」という人もいる。

今回のマツコ会議を見て思ったのは、マツコも雨穴も「自分が何が出来て何が得意で、どういう人間か」をよく分かっている。だからそういう自分でいて(いるしかなくて)周りがそれをどう評価するかは結果論だと思っているのではないか、ということだ。

「マツコ会議」感想。大人気ホラー作家・雨穴から大ヒットの極意を学ぶ。 - うさるの厨二病な読書日記

「時代のニーズにあったことをしたほうがいいのか」「周りの流れから外れていても、自分がやりたいことをやるべきか」という問いは、話が逆だと思う。

前者のほうがいい、後者をやるべきだという答えがあったとして、自分がやり続けることができるのか。

自分がやるのだとすれば「自分」という条件を外して普遍的な答えを求めても、それは答えにはならない。

 

小説を執筆している作業は常に孤独で、先の見えない暗闇をたった一人で歩いているようなものだ。

今日も明日も、できれば何十年先も、そうやって一人で、誰にも邪魔されずに一歩ずつ進んでいくことができれば、これ以上の幸せはないと思う。

(引用元:「直木賞が決まって」小川哲 読売新聞2023年1月24日(火)19面/太字は引用者)

ここの箇所が凄く良かった。

「暗闇」がまったくのゼロからの想像や考えの暗喩だとすると、「そういう状態が幸せだ」と思えるのはちょっと羨ましい。

 

「氷点下で生きるということ」の中で、出演者の一人がなぜアラスカで生活をするのかという問いに「(アラスカを)静かに散歩していると、自分の思考を遮るものは何もない。まるで教会だ」と答えている。

自分もよく夜に散歩に出かけるが、それは自分の頭の中と現実の感覚をリンクさせると考えやすいからだ。

「人(社会)が苦手、嫌い、人といると疲れる」という理由でこういう場所に来る人もいるだろうけれど、自分は「世界の広がりが思考の広がりとリンクしている感じがあり、思考がどこにもぶつからず好きなように歩き広がっていく空間を確保してそこで一人の時間を過ごす」ために、アラスカみたいなところに行きたい。

まあ自分がアラスカの荒野に行ったら、二日くらいで死ぬと思うが。(一日保たないかも)

 

とてもいいインタビューだった。読売新聞のアーカイブじゃないと読めないのかな。

「ゲームの王国」面白かった。

 

「地図と拳」も面白そうだが、「君のクイズ」のほうが気になる。

読んでみた。

www.saiusaruzzz.com

地図と拳

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*1:明らかに自分の権利の侵害をしたり、領域内のことに干渉してきた場合は、法に訴えるなど「努力」が強固なものになるけど。