うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

したな、自分の前で。「ガウェインの結婚」の話を!

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タイトルは一度言ってみたかっただけの出落ちです。すみません。

 

最初の授業

 

はてブのホッテントリで「ガウェインの結婚」の話が上がっていた。

 

「すべての女性は自分の意志を持つことを望んでいる」ここが、基本ですよ。

まあ、少なくとも、ガールフレンドのことを「俺の女」なんていう男はダメだね。

男女だけでなくて、大きく言ったら「人権感覚」だと思います。

こうやって物語から他分野に接続する、しかもあくまで「アーサー王物語」が大好きで、それを読み込んだ上で「こういう見方も出来るよね」「現代とここが通ずるよね」という読み方が大好きだ。

 

自分も「アーサー王物語」の中では、ダントツで「ガウェインの結婚」が好きだ。

 

ただ訳し方の違いなのだろうけれど、自分が読んだ「ガウェインの結婚」と細かいニュアンスが違うのでその話をしたい。

 

新婚初夜です。部屋には新郎新婦の二人きり。

ところが、ガウェインはというと、花嫁に背中を向けて「はぁーー」って、ため息ばかりついているわけ。花嫁の顔を見ようともしない。

新婚初夜のシーンが「最初の授業」ではこうなっている。

 

自分が読んだ版だと、このシーンのガウェインは、

泣き出す。

この先、この老婆と添い遂げなければならないのか、と身も世もなくしくしくと泣くのである。

まるで敵国に人身御供に差し出された姫君か、夜盗にさらわれた女の子のようだ。

 

ガウェインはアーサー王に命じられて、ラグネル(老婆)と結婚したわけではない。自分から志願したのだ。

だが自分から引き受けた責任と言えど、辛かったら男でも身も世もなく泣き出していいのだ、というのが凄く印象的だった。

 

さらに元の美しい女性に戻ったラグネルから

もとの姿でいられるのは、昼がよいですか、夜がよいですか。わが夫よ。お選びください」

こう問われて、ガウェインが

「おまえの好きにするがよい」

と答えるシーン。

 

自分が読んだ版だとお互いを凄く思いやった問答になっていた。

ラグネルは

「私が昼間が老婆であれば、あなたは周りの人間から『醜い老婆を娶った男』として笑いものにされます。夜に老婆であれば、あなたは疲れてくつろげる我が家に帰って来たときに、醜い老婆が出迎えることになる。あなたはどちらの苦痛ならば耐えられるでしょうか?」

という聞き方をする。

その問いにガウェインが答えるのだが、この答えが良かった。

それはあなたほうこそお選び下さい。昼間もしあなたが老婆であれば、あなたは皆から好奇と侮蔑の目にさらされる。夜に老婆であれば、私はどうしてもあなたの姿から目を背けてしまい、あなたに辛い思いをさせるでしょう。辛い思いをされるのはあなたなのですから、あなたが選ぶべきです」

この答えに、とても感じ入ったのだ。

 

ガウェインが「どうしてもあなたの姿から目を背けてしまう」と嘘をつかないところもいい。

ここで、「あなたの正体は分かっているのだから、姿が老婆でも大丈夫だ」というやせ我慢はしない。やせ我慢したら、結婚をこの先何十年も続けていくのは難しい。

 

ただこの後、

「たった今、二つ目の望みがかないました。私は昼も夜ももう老婆に戻ることはありません」

この展開が、どうもご都合主義のように感じられて納得がいかなかった。

ラグネルが昼か夜かどちらに老婆になるのかを選んで、ガウェインは相手の不本意な部分(老婆)も受け入れるべきでは、と思ったのだ。

 

だが今回、「最初の授業」をきっかけに改めて考えると、ガウェインが自分の意思を尊重してくれたから、ラグネルもガウェインのために自分の意思でガウェインが望む姿になりたい、と思ったのだと思い至った。

 

当初は「結局醜い老婆じゃダメなのか」と不満を持っていたが、そうではなく相手の望む姿になることも、相手から自分の意思を尊重されると、それこそが自分の意思であると明確にわかる、そしてそれを体現すことができるということなのだ。

 

自分にとっては「ガウェインの結婚」は、「身も世もなく泣き出すガウェイン」とお互いに「辛い思いをされるのはあなたなのだから」と思い合う二人があってこそなのだが、それも訳者が現代に通じる部分を考えて話をふくらませたのかなと、「最初の授業」を読んで気付いた。

 

やっぱりいい話である。