ラスト近くなって、若干駆け足かなと思っていたが、それでも十分面白い。
若いときから水戸学に傾倒して国を救うことに心を燃やしていた惇忠が、人生の最後で慶喜と対面したシーンには感動してしまった。
「自分の人生の意味」をはっきり認識できた、という感動が伝わってくる。
人として生まれて「自分固有の人生の意味を実感できること」ほど、幸福なことはないと思う。この時代の人は特にそうだったろうな。
兄い、良かった。
惇忠の人生は(本人の中で)ここで実質的に完結したので、死などはしつこく描かずナレ死させるところも好きだ。
「青天を衝け」は、「一人称視点の感覚」が凄くいいなと思う。
その流れから、慶喜が今まで頑なに拒んでいた自分の人生についての思いを語り出す。
慶喜の「人には役割がある」「その役割が自分にとっては、後半生、何もせずに引きこもることだったのではないか」と語る。
これも良かった。
なぜ、良かったかと言えば、昔の自分だったら百パーセント反発していたセリフだからだ。
「世の中(何か)のために、自分がある」という発想がとにかく嫌いだった。
「グイン・サーガ」でも同じ話が出てきた。
ケイロニアという大国の玉座を20歳前の若さで継ぎ、40年間、英明な君主として君臨し「獅子心帝」と称されたアキレウスが、名目上のゴーラ皇帝として70年間幽閉されて生きたサウル皇帝について語る。
自分は今の今まで、サウル皇帝とは何と腰抜けかと思っていた。
子供のころに無理やり皇帝にされて、自分の子供はことごとく暗殺されて、それでも何もせずに70年間幽閉されているだけ、など自分だったら考えられない。
自分がサウルの立場だったら、例え敵わないにしても、大公たちに対して勝負を挑み、一矢報いる。そうすることで、自分の人生を意味のあるものにする。
ずっとそう思っていたが、六十になったいま、サウルは自分の人生を無為のものとする犠牲を払うことで、この世界に平和をもたらしていたのではないか、それは何かすることよりも尊いことではないか、と思うようになった。
四十年間、「獅子心帝」と国内からも国外からも称えられて生きてきて、それがやっとわかった。
という話だ。
この話もえらく感じ入ってしまった。
今回読むまで何ひとつ覚えていなかったので、昔は「ふーん」くらいの感想だったのだろう。
サウルの凄さが分かったというよりは、「中原中に名声をとどろかせるという自分の人生よりも、忘れ去られた存在として無為に人生を終えたサウルのほうが実は凄いことをしたのではないか」と思うアキレウスの気持ちに共鳴したのだ。
「何もしないことが、一番人のためになる」
ということを認めるのは、けっこうキツイことだと思う。
それが出来ないから、栄一たちは若いころから紆余曲折しながらこれまで色々なことをしてきたのだ。
その紆余曲折は、結果的に新しい世の中を作る一助となった。
その世の中を作り支えている栄一が、迷っているときに「何もしないことこそが自分の役割だった」と語る慶喜に精神的に支えられた、という構図がいい。
「青天を衝け」で自分が一番良かったところは、一人称視点だったところだ。
若いころの栄一は田舎の片隅にいたから、師である惇忠が語る言葉が世界の全て、それこそが真理だと思って「攘夷こそが日本を救う道だ」と思っていた。
そのあと江戸に行き、異国を打ち払えば日本は救われる、そんな単純なものではないと分かり慶喜に仕える。
そうしてフランスに行って、文明や考え方の差、商売の仕組みなど様々なことで視野が広がり、世界と日本の差を実感する。
成長や変化につれて、視界が広がっていく様が凄くリアルだ。
歴史ドラマの主人公は、他の登場人物とは違い巨視的な視点を持っていて、ある程度歴史の結果(「正しい」方向)を知っているという文脈のものが多い。
見ている側の価値観や認識が、「歴史の結果」の地点から生まれているものなので仕方がない部分はあるけれど、そういう「チート的」な不自然さは自分は余り好きではない。
「青天を衝け」は「攘夷」にのめり込んで焼き討ちまで計画したりしたことなど、「正しい現代の認識」から、若き日の誤ち、愚かさのように描かれたりしがちなことも、その行動ひとつひとつの是非をジャッジしないところが好きだ。
「『現在』という結果が事実として存在するから、そこから逆算して歴史を描く」のは多少は仕方がないにしても、登場人物の行動やその原理までそこに揃えてしまうと、どうしても「もう結果を知っている」ようなニュアンスが話にもキャラにも混じる。
「物語」ではなく主張に見えてしまう。
「青天を衝け」は、「その時代を生きた栄一の視点」で物語を楽しめた。
そこ一点だけでも歴史ドラマとしては自分の中では相当評価が高い。
慶喜も歴史上の評価が分かれている人物で、描かれかたも様々だ。
「青天慶喜」の「自分が要因となって戦が起こる、ということだけは二度としたくない。そういう役割を全うしたい」という「無為の意味」みたいなものを追求する人生は良かったなあと思った。
草彅剛がそういう発想で生きた慶喜にピッタリだった。「透明な悲哀感」が画面いっぱいに広がる感じがして、正にこういう人生を生きた人だったのだろうなと思わされた。
「青天を衝け」もあと二回で終わりだ。
見る前の正直な気持ちは「鎌倉殿の十三人」までのつなぎかなくらいだったのに、近年稀に見る面白いドラマだった。
何より見ると元気が湧いてくる。
「挙国一致!」とか一緒になって叫んでいた。(危ない)
あと二回か。終わるのが寂しいな。