「神回」という言葉は余り好きではないけれど、そうとしか言いようがない時もある。ただ第12回「亀の前事件」も凄くよかったので、この後「ずっと神回」状態になってしまい、「神回=いつも通り面白い」になりそうな予感がする。
と書いたそばから「神回を超える神回」が出てくるのだから、凄すぎる。
まだ序盤で、主人公・義時が歴史上の表舞台に立つのはこれからのはずなのにこの面白さ。
どうなっているんだ、ほんと。
第17回は義高が死ぬからまあ悲劇的で暗い回になるだろう、とは思っていたが、予想とまったく違う暗さだった。
第17回の話の中で、頼朝以外に義高に強い殺意を持っている人間はいない。(三浦義澄も義高に殺意を抱いているというよりは、頼朝の義高への殺意に追随しているだけだ。)
むしろ全員が全員、義高を必死に助けようとする。
そして、頼朝も最終的には義高を助命することを認める。
それなのに義高は死んでしまった。
それが凄く恐ろしかった。
もし頼朝が大姫の嘆願を無視して義高を殺したなら、この半分も怖くなかった。(この展開を予想していた。)
何が原因で義高が死に、どこに恐ろしさがあるかわかるからだ。
頼朝も愛娘の哀願には勝てず、最終的には危険だと分かっていても義高を許すような人間味がある。
政子を始め、女性陣は義高を助けようと必死だった。
坂東武者たちは義高に好意を持ち、みんな頼朝の威光を恐れながらも、義高を助けようとしていた。
ところが義高は死んでしまった。
何故なのか?
一体何が、父親を信じて、人質になることを良しとしてはるばる故郷からやって来た、少年を殺してしまったのだろう?
頼朝が言う通り、「天命」としか言いようがない。
第17回では「鎌倉は恐ろしい場所」「お前たちは狂っている」と何かがおかしくなっていることが繰り返し指摘されるが、そのおかしさがどこにあるのかわからない。
頼朝が妻や娘の哀願を無視して、年端もいかない人質の少年を殺すような男なら「頼朝は恐ろしい」で済む。
しかしそうではない。だから恐ろしさの源泉、一体、何が何を狂わせているのかわからない。ただただ、何かがおかしい。
義高は明確な誰か一人の殺意ではなく、大勢の人間によって形成された「鎌倉という磁場」によって殺された。
誰もそんなものを作ろうなどとは思っていない。
みんな何かがおかしい、何か狂っていると思っているのに、自分がその磁場を形成する一人になってしまっている。
だから誰もその狂いをどうにかすることは出来ない。
誰もどうにも出来ないまま、その磁場の狂いの力だけが増幅していき、それ自体が意思を持っているかのように人を死に追いやる。
義高が義時に対して不信と嫌悪を示したのは、義時がその磁場にこれから先、誰よりも強く結びつく人間であることがわかっていたからではないか、と思う。
義時が「私にはここ以外に行くところがない」と言っていた通り、義時は既にその磁場に巻き込まれているだけではなく、その一部分になってしまっている。
だから逃れることは出来ない。
こういう現象は、閉鎖された空間が舞台であるホラーやサスペンスなどではおなじみの展開だ。
だがまさか、大河ドラマでこんな陰惨ホラー展開が起きるとは思わなかった。
これからも誰か一人の邪悪さや悪意ではなく、それぞれいいところもあり悪いところもある人間たちが寄り集まって作る場の磁力によって、人が次々と死んでいく。
根っからの悪人は誰もいないのに、鎌倉がどんどん狂っていく。
そんな陰惨な展開がどう描かれるのか、今から楽しみだ。