うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

鈴木エイトが、旧統一教会の問題の要点、政治家とのつながりがどう生まれたのかを語った「9月2日大竹メインディッシュ 」が面白かった。

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大竹まことと金曜日担当の青木理が鈴木エイトをゲストに招いて、旧統一教会問題について話を聞いている。

「問題がある団体の政治への影響への批判」と単純に訴えるだけではなく、「なぜ、そういうつながりが出来たのか?」という流れを分析している。

かなり興味深かったし、思ったよりずっと面白かった。

三十分足らずの短い放送で上記に張ったリンクからすぐに視聴できるので、興味がある人は直接聞いてもらったほうがいいと思う。

 

以下は自分が興味を惹かれた部分のメモと感想。

引用はすべて放送から。特に注意書きがない場合は、鈴木エイトの発言。

 

最初は鈴木エイトが旧統一教会に関わった経緯を語っている。

特に知人や友人、家族が教会と関係していたというわけではなく、偽装勧誘などを見かけて止めているうちに興味を持ったらしい。

 

友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

オウム真理教の端本悟のケースが注意喚起として挙げられている通り、一般的には「目的を隠して近づいてくる人間(団体)には、それが批判や反感であろうとも興味を持っていることが相手に伝わることを避けたほういい」というのが自分の意見だ。

教団施設に乗り込んだりなど、話を聞いていると凄い人だと思うが普通の人は真似してはいけない。

 

閑話休題。

最後にもう一度出てくるが、鈴木エイトが問題にしているのは、一貫して「目的を隠して近づくこと」だ。

そこに疑問を持って、勧誘する一般信徒と話すうちに、教団の構造自体に興味を持って調べ始める。

 

勧誘員たちも悪意をもって人を騙していたわけではなくて、素晴らしい教えがあるということでマインドコントロールされて勧誘している。

カルト問題の構造に段々気づいていったんですね。

(4:00あたり)

こういう問題に取り組んでいる人の話を聞くと(上記の記事を書いた江川紹子もそうだが)、一般の信者には親しみと呼べるようなものさえ感じているように見える。

鈴木エイトも一般信徒に関しては「凄く真面目で素直」と言っている。

自分が読んだカルト関連の本でも、一般の信徒は真面目で心の底から教義を信じている人が多い。

逆に、私利私欲ではなく純粋な善意で「目的を隠して(人を騙して)勧誘することが正しいことなのだ」と思ってしまうことが怖い。

 

鈴木エイトは、2002年ごろからブログで旧統一教会の問題について書き始めるが、「広く報じなければまずい」と思ったのは、2013年の参院選で政治家とのつながりがわかったためだと言う。

この時に、色々な伝手を辿って各社に声をかけた中で、唯一呼応してくれたのが当時「週刊朝日」の副編集長だった森下カエさん*1だ。

 

大竹「取材して来てもその取材内容が、色んなところで発表出来てこなかった、という理由は何ですか?」

鈴木「世間の関心もそうですし、統一教会自体が昔のこと過去のことじゃないかっていうことが一番大きかった、あとメディアが自主規制によってこういう団体を扱うと面倒くさいとかクレームもくるってことで(略)腰の引けた対応をしてきたことによって、面倒くさいことは触れないでおこうという風潮があったんですね」

(8:25あたり)

この問題がなかなか日の目を見なかった理由としては、「世間の関心の薄さ」と「メディアの及び腰」を上げている。

「世間の関心が薄いから、メディアはあえて触れると面倒な話題には触れなかった」ということもあり、逆に「メディアが報じないから、なかなか日常を生きている人には情報が行きわたらなかった」ということもある。卵が先か鶏が先かの話だ。

こうして被害を長年追い続けていた人がいたにも関わらず、山上容疑者が行動を起こすまでは、メディアも一般人である自分たちも「団体の被害者を可視化出来なかったこと」は反省すべきことかもしれない。

関心を持つこと、関心を持っていると発信すること自体が、メディアに対して「報じなければいけないのでは?」というメッセージになる。

 

2015年、2016年ころまでは、政治家が旧統一教会の関連団体に数万円の会費を支払っただけでもメディアは報じていた。

安倍晋三さんについても2016年にUPFという統一教会の関連団体のイベントに祝電を送って、それを当時一般メディアもしっかり報じていたんですね。

安倍さんもその釈明に追われていた、と。

それが2016年ごろまではメディアもちゃんと監視していたんですけど、以降まったくそういう報道がないんですね。

(9:35あたり)

旧統一教会が名称変更をしたのが2015年。

【詳しく】旧統一教会名称変更 下村元文部科学大臣の関わりは? | NHK政治マガジン

鈴木エイトの体感でも、この辺りから団体と政治のつながり、メディアの姿勢の「風向きが変わった」ようだ。

 

もちろんそれ自体が問題なのだが、今回の対談の主旨は「教団と政治の現時点でのつながりの追及」よりも、「教団と政治のつながりの体系(歴史の変遷)」にある。

自分が鈴木エイトの話に興味を惹かれ、一番共感したのは「原因を探る」という姿勢だ。

 

この問題でよく耳にする「政治家は自分の主張を理解してもらうことが大切だから、頼まれれば行かざるえない」という言葉に、自分はある程度は理があると思う。

実際に宗教団体を支持母体にしている政党も存在するので、「宗教団体から支援されること」自体は問題ではない。

「関わりの濃淡の問題」にせよ「カルトか否か」の問題にせよ、「ちゃんと調べれば問題のある団体だとわかるだろ」という理屈、さらにそれが確固たる前提であるとした「〇〇という反社会団体とは関わらないだろう」という理屈では、それ以外の理屈や視点を持つ人とは話が噛み合わない。

話が噛み合わないと、その応酬で話が終始してしまい、自分たちのような世間一般的な人間がこの問題とどう関わっているのか、何ができるのかも見えづらいのと思うのだ。

見えないままだと、結局似たような問題がまた出てくる。

 

だから、自分は「なぜ自民党は、ある程度問題がある団体だ(関わることがある程度自分のリスクになりうる)とわかっていて、その団体との関わりを必要としたのか」ということに凄く興味がある。

自分がこの対談で最も面白いと思ったのは、この点だ。

 

旧統一教会は、第一次安倍内閣の時に「自民党の保守派の一部にコミットし始めた」。

だが2010年の時点ではそれはあくまで「共鳴関係」と言える程度のものだった。それが2013年ころから「共栄共存関係」に変化していく。

 

ただその時の時点(*2005年、2006年あたり)はそういう思想的なところで一部共鳴していただけだったんですけれども、(略)2013年の参院選で安倍さんが直接統一教会に、じきじきに組織票の支援を特定の候補者に依頼するっていうところ以降、共存共栄関係が生まれているんですけれどもそこにちょっと乖離があるんですね。

そこにまだ埋まっていないものがある、当時の共鳴関係がどういう形で共存共栄関係になったか、というところが僕もまだ掴み切れていないんですよ。

そこに何があったのか、ということが今後のポイントになるのではと思っています。

(13:35あたり/太字は引用者)

支援があればあるほどいい、運動員などを集められるから楽という理由もあるだろう。だが後に指摘が出てくるが、選挙の票は「八万票程度」だそうだ。

「八万票程度」では、全国選挙ではさほど影響力はない。だがそれでも安倍晋三は、その票を必要としていた。

その理由を、小泉純一郎の政治スタイルとの比較した解説が興味深かった。

 

青木「ところが安倍さんは、どちらかと言うと投票率が低くて、コアな支持層というものをガチッと固めるタイプの選挙スタイル、政治スタイルで、そうなってくるといくら少なくとも10万の票というものは大きいっていうことなんでしょうね」

鈴木「統一教会の信者数は公表は六十万人なんですけれど、実際は十万人しかいないんですね。(略)2013年の全国参院選比例区で統一教会の組織票がだいたい八万票という情報があって(略)これって単独で全国比例区で政治家一人誕生させる票数には全然足りないですね。そういう力ではなくあくまでも、落選上(?)の候補者に上乗せさせて、ようやく一人誕生させられる、でもそれである程度のキャスティングボードを握っているので、力としては票数としてはあるんですね」

(14:20あたり/太字は引用者)

基本的には、与党は無党派層は何もしないでいてくれたほうがありがたい。既に権力の座についている人間にとっては、国民が政治に関心がなければないほどありがたいのだ。

無党派層について「(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれど……」こう言っていた人もいた。

当時の首相だが、素直すぎである。

 

安倍晋三は「コアな支持層」に頼るタイプの政治家だったため、「八万票程度」でも固定票は大きい。

どんな時も変わらずに票数を上乗せしてくれる「八万票」が、流動的で気まぐれな何十万、何百万の票よりもありがたかった。

もっとはっきりした言い方を言えば、「選挙に来るか来ないかもわからない、無党派層の意向、その脅威」よりも「付き合うことがリスキーだが、常に変わらず八万票入れてくれる団体との付き合い」を選んだということだ。

地方議員ならともかく、一国の首相がだ。

これが本当なら、こんなに人を馬鹿にした話があるか、と怒りを通り越して脱力してしまう。

 

ただもし物事の核心がこういう構図だとすれば、自分たち一個人にも出来ることは十分ある。

自分たちが選挙に行くだけで、問題がある団体の影響力を相対的に弱められる

どの政党に投票するかは関係がない。野党に投票する必要はないし、わからない、そこまで興味がない、調べる時間がないのであれば白紙でもいい。*2

政治家は、例えそれが潜在的なものであっても「票」は無視できない。

強力な支持母体があったとしても、そこを上回る票がある場所の意向は無視できない。落選したら終わりだからだ。

「投票率が上がる」→「そこに票がある」と思わせるだけで十分圧力になる。

 

逆に言えば、「そこに票はない」と思われたら、その意向などそこらへんに転がる石ころのように見向きもされない。

自分は元々こういう考え方なので、国政選挙には行くようにしている。「自分はここにいて、あなたたちがやっていることを見ている」ということだけは、しっかり伝えないといけない。

 

この対談を聞いて、意外と自分と直接関わりがあることに紐づいている問題ではないかと感じた。選挙における政治への影響力もそうだし、メディアの報道の姿勢もそうだ。

日常を生きる、自分たち自身も色々な問題を抱える一個人が出来ることは確かに余りないが、何も出来ないわけでもない。

「自分の一票では何も変わらない」という言葉はよく聞くが、この問題に限っていえば「八万票」を相対化する、少なくとも政治家の頭の中で相対化させるくらいの力はある。

自分たち個人の集合体である「世間」の動きは、政治もメディアも無視できない。無視させないためには、「何かあれば動くかもしれない(目を開いて起きていますよ)」と思わせることが大事だ。

 

鈴木エイトのように自分の人生を使って、社会問題を追及する人は凄い。それが出来ない、普段は忘れているからと言って罪悪感を持つ必要もないと思う。みんな自分の人生を生きることに精一杯だからだ。

だがだからと言って「自分になど何の力もない。何も出来ない」わけでもない。

余裕がある時にたまに思い出して、例えば選挙に行って「確かに存在するが、動きが読めない無党派層の一人」として、政治家に存在感を示すだけで、自分が問題があると考える団体の影響力を弱める力になる。

 

この対談を聞いて、自分たちに出来ることがあるとしたらこういうことではないかと思った。

9月26日発売だそうなので、読んでみようと思う。

 

 

この問題全体に対しては、この部分が同感。特に太字の箇所。

鈴木「僕は、特定の団体をカルト団体と決めつける必要はまったくないと思っていて、ただこの団体(旧統一教会)は、非常に人権侵害を起こしている団体なんですね。そういうところのボトムアップから、こういう問題があるからこういう団体はいけないよね、というところで捉えています。

この団体が宗教だからどうこう、カルトだからどうこうっていう言い方は一切しないようにしているんですよね」

青木「信仰の自由、宗教の自由というのは、(略)近代民主主義社会の大事な原則なのでそこを犯しちゃいけないんだけれども、(略)そもそも最初に自分たちがどういう教団であるかということを言わないで(略)そこを隠したうえで連れて行って、ある種先にこう洗脳的なことをしておいてから、いや実は統一教会って言うのは、これはもはや宗教団体とは言えないですよね」

鈴木「そうですね。最初に自由な意思決定を侵害している人権侵害団体と捉えていいと思っている。

僕がずっと言っているのは、「ちゃんと名乗ってやりなさいよ」ということしか言っていないんですよ、当時の偽装勧誘の時代にしても、政治家に対しても「統一教会に対して付き合うなら付き合うでどうぞ、でもそれをちゃんと公表してくださいよ」ということしか言っていないんですよね」

(17:40あたり/太字は引用者)

 

旧統一教会と政治家との関係続々と 選挙に協力した宗教2世 | NHK政治マガジン

「大事なのは政治と宗教の関係を透明化することだ」 宗教に限らず特定の思想の層の支持を受けるのは政党はそういうものなので、関係が明らかであれば有権者が判断出来る。それを隠していたのは何故かという話で。

2022/08/06 08:34

b.hatena.ne.jp

 

自分が問題として見ているのは、「自分はこの団体のやり方に問題があると思っている」「どの団体から支持を受けているかを、政治家は明らかにして欲しい」この二点だけだ。

宗教だから問題だ(もしくは問題ではない)というわけではない。そこは関係ない。

政治でも信仰でも「情報が開示された上での、個人の意思決定を尊重すべきだ」。これだけだ。

根本的は凄く単純で原則とも言えることだが、それも見張っていないと簡単にないがしろにされるのだなと身に染みた。

 

 

一週間後の9月9日は、室井佑月をゲストに招いて、自民党の「旧統一教会との関係」の調査結果について主に話している。10分少し。

podcastqr.joqr.co.jp

「教団とのつながりは、特定秘密保護法や重要土地(調査・)規制法などの安全保障対策と矛盾しているのでは」という指摘には確かに。

 

青木理も安倍家について書いているのか。知らなかった。

安倍三代

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*1:5月20日の放送では、「報道の自由度ランキング」が日本は先進国の中で最低レベルの71位だったという話が取り上げられていた。まがなりにも報道の自由が保証されている日本がこういう結果になったのは、報道機関は「忖度」「自己検閲」を働かせていることが大きいという結果が出ているということ。その流れで、メディア自身がそういう体質を問題にすると同時に、特に組織の中で圧力に負けずに頑張っている人に日の目を当てて欲しいという話が出てきたので、ここでも名前を出しているのかなと感じた。出来ればSNSでそういう人を支持したり応援したりすると、励みになるとのことだったので自分もこういうことを見つけたら書いていこうと思う。

*2:あくまで棄権するくらいなら(某元首相の発言に倣うなら寝ているくらいなら)、投票率という圧力を上げたほうがいいというだけで、せっかく行くのだから出来れば誰か選んだほうがいいとは思うけど