うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画感想】「葬送のフリーレン」9巻まで。ヒンメルが生きた「今」とフリーレンの記憶が重なるたびに、涙が止まらん。

【スポンサーリンク】

 

*「葬送のフリーレン」9巻までのネタバレが含まれます。未読のかたはご注意下さい。

 

アニメも始まるので、1巻から読み直そうと思ったら結局9巻までいっき読みしてしまった。

何を見ても、どの展開でも涙が止まらない。ずっと泣きながら*1読んでいた。(大丈夫か)

 

「葬送のフリーレン」は、終始一貫して「人を理解するとはどういうことか」を語っている。

フリーレンはエルフであることもあり、人を理解することが苦手だ。10年一緒に旅をしたヒンメルのことも、ヒンメルが死んでしまってから「何も知らなかった」と気付く。

フェルンに対しても、同じように「一緒に旅をしても何も知らない」と思う。

その点では、フリーレンも余り魔族と変わらない。人の心がよく分かっていない。

(引用元:「葬送のフリーレン」3巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 

フリーレンがヒンメルたちと冒険した10年の年月は、フリーレンの体感からすれば一年にも満たない。同じ時を過ごしたように見えて、フリーレンが過ごした時間を本当の意味で体感するのは、ヒンメルたちよりもずっと後なのだ。

 

ヒンメルは自分が大切に思う仲間たちとの旅路の重みを、それを失った寂しさを、いつかフリーレンがたった一人で感じなければならないことを知っていた。

そのいつかが来たとき、自分とハイターはもうこの世にはいない。

だからフリーレンが、「今のヒンメルの感覚」に追いついたときに、一人にならないようにたくさんの思い出を残したのだ。

 

「たった十年、人生の百分の一」「人間なんてすぐに死んじゃうじゃん」と言っていたフリーレンは、旅を続けるうちに自分の中にヒンメルたちとの冒険の記憶が、その意味が自分を変えたことに気付いていく。

冒険をしてからは80年、ヒンメルが死んでからは30年経った。ヒンメルが80年前に経験した「今」を、80年後のいま、フリーレンは経験しているのだ。

 

フリーレンの「今」の中には、ヒンメルもハイターも生きている。フェルンの中にはいつもハイターがいるし、シュタルクの中にはアイゼンがいる。

フリーレンの「今」が、ようやくヒンメルの「今」に追いついた。

 

9巻の後半から黄金郷のマハトとの戦いが始まる。

マハトは魔族だが、人間に好意を持ち理解したいと望む。その点では、フリーレンと重なる存在だ。

だが、魔族であるマハトの中では「過ごした時間の意味」は積み上がらない。マハトはデンケンの師だが、デンケンと過ごした時間の意味が積み上がっていないため、デンケン個人に何の思い入れもない。

「人間はすぐ死ぬから弟子は取らない」と言っていたが、ヒンメルやハイターの影響でフェルンを弟子にしたフリーレンとは違う。

 

「誰かに少しでも自分のことを覚えていてもらいたいのかもしれない。生きているということは、誰かに知ってもらって覚えていてもらうことだ」

「……覚えていてもらうためには、どうすればいいんだろう?」

(引用元:「葬送のフリーレン」5巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 

「人を変える」「人によって変わる」

それが生きる意味なのだ、とフリーレンはヒンメルに教えられる。

 

フリーレンと比較して見ると、確かにマハトは「可哀想」だ。

マハトは決して、フリーレンがフェルンに抱く気持ち、ヒンメルたちに抱く気持ちを理解することはない。理解できないから変化しない。

だからいつか、「人を殺す魔法」を80年で一般攻撃魔法にした人間に滅ぼされる運命にある。

(引用元:「葬送のフリーレン」山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 

普通であれば生きてきた年月が長いほど、様々なことを学べて有利だが(フリーレンにおいてはこちらだが)「葬送のフリーレン」では、生きる時間が短いからこそ、その貴重な時間を生かそうと進化が早まる。

歴史の積み重ねが力になる。

「記憶や経験、つながりに意味がある」そういう話なのだ。

 

「生きているということは、誰かに知ってもらって覚えていてもらうこと」

各所の人々に覚えていてもらっているヒンメルは、肉体的に死んでもまだ生きている。

フリーレンが「その人のこと、何も知らないし」と言っていた時よりも、旅に出て記憶を辿り始めてからのほうが、ヒンメルはフリーレンの中で生きている。

時間的に大きな隔たりがありながら(そして片方が既に死んでいながら)「人の記憶によって共に生きることが出来る」という設定が成り立つのは、ヒンメルというキャラに負うところが大きい。

 

自分はヒンメルが凄く好きなのだが、こういう角度でキャラを好きになるのは初めてかもしれない。

「凄く好き」「共感する」というのではなく、嫌いなところがひとつもない。

(引用元:「葬送のフリーレン」3巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

こういう時、まったく落ち込みを人に見せずにすぐに切り替える。

 

この考え方も地味に好き。

(引用元:「葬送のフリーレン」7巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館)

 

「本当に優しくて強い人」というと滅茶苦茶陳腐だが、ヒンメルに関してはそれ以外言葉が見つからない。

考え方や生きる姿勢がイケメンであり、生まれながらの勇者だ。

 

中でも一番凄いのは、ヒンメルはすさまじくフリーレンのことが好きだったのに、自分の気持ちをフリーレンに一切悟らせなかったことだ。

ヒンメルが「自分が死んでからも、人に覚えていてもらうことで生きていたい」と思ったのは、フリーレンが未来で独りぼっちにならないようにするためだ。

そのために各地に自分の足跡と銅像をたくさん残した。

フリーレンは本人が言っている通り、生きていたころはヒンメルのことを知ろうともしなかった。「そんなことをしてもどうせすぐに死んじゃうじゃん」という暴言*2を二回吐いている。

しかし、ヒンメルはそんなフリーレンをひと言も咎めない(アイゼンが咎めていた)。ちょっと寂しそうな顔をするだけで、不快な素振りも見せない。

「自分のことを知って欲しい、わかって欲しい」とひと言も言わずに死んだ。

 

ヒンメルはフリーレンの心が、自分にまだ追いついていないことを知っている。だから自分が死んでしまうにも関わらず何も言わなかったのだ。

そして、フリーレンの心がいつか自分に追いつくということもわかっていた。

いつか、何百年後かフリーレンが自分のところへ来てくれると信じて死んだのだ。

「葬送のフリーレン」は、フリーレンを信じて待っているヒンメルの「今」に、フリーレンがたどり着くまでの物語なのだ。

しかし、いい絵である。

 

登場人物もみんな好きだが、特におっさん、じいさんキャラがいい。

南の勇者のエピソードも良かった。

何が未来が見える、だ。

ここの人達は覚えている。

ちゃんと歴史に残っているよ。

 

*1:「容疑者Xの献身」に続いてたまたま自分の中の泣き作品が続いた。感動して泣くと心が洗われるようで心地いい

*2:フリーレンにしてみれば無理もないのかもしれないが、何度読んでもひどい。