うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【大河ドラマ「鎌倉殿の13人」感想】「義時、本当にお疲れ様」それしか出てこない。

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*ネタバレ注意。

 

ついに終わってしまった。「鎌倉殿の13人」が。

 

あれほど様々な人が出てきて、色々なことがあったにも関わらず、「鎌倉殿の13人」は自分にとっては最初から最後まで義時の物語だった。

伊豆の名のない家の次男坊に生まれて、気がいいだけの父親と気宇壮大な兄、気の強い姉と妹に挟まれて、家の中でさえ目立たない地味な存在だった。

義村が最後にぶちまけていたように、冴えない真面目であることだけがとりえの、その真面目ささえも、時に空気の読めなさや不器用さとして出てしまうような男だった。

表向きのことは人付き合いのいい父親や人を惹きつける明るさのある兄が引き受け、面倒な裏方のこと、細かいことは全部押し付けられる。それも「自分はこういう人間だから」と特に不平不満も言わずに損な役回りを引き受ける、そういう男だった。

立ち位置が変わっても、義時はずっと変わらなかった。

「おなごは皆きのこが好き」と言われたら、何十年もそれを信じ続けるように、頼朝から学んだこと、頼朝が自分に受け継がせようとしたことをただひたすら真面目にこなそうとする。

 

前半の時点では、こんなに何もしない主人公でいいのかと思っていた。

史実がそうだから仕方がないが、義時は歴史を動かす頼朝のそばでただ頼朝のやることを見ているだけだ。頼朝のやり方に疑問を持っても止める力はなく、気持ちの折り合いをつけられないまま、中途半端に迎合する。

前半の「ただ頼朝のやり方を見ていること、見ているしかないこと」が、後半の義時の人物像の強固な基盤になるという展開には驚いた。

義時は頼朝の側にいる時は、頼朝からはただ一人本心を打ち明けれられていた。それも単純に主人公だから、としか思っていなかったが、これが後半の口癖になる「頼朝様ならこうした」に重みを与えている。

側にいた時にはわからなかった。なぜこれほど徹底的に人を疑わなくてはならないのか、なぜ仲間だった者や幼い者の命を奪わなくてはいけないのか。

頼朝の立場に立って初めてわかった。

頼朝はこれを見越して自分を側に置き、鎌倉を託したのだ。

だからその思いに自分を殺してでも応え続ける。

義時は頼朝になろうとした。若いころ、ずっと自分が見続けた、疑問を持ち続けた頼朝に。

頼朝は死んでしまったから、誰かが頼朝をやるしかない。

 

頼朝は元々の性格に薄情なところがあったり、女性好きのような抜けたところがある。坂東武者ではないので、粛清する相手に対して仲間意識もない。

義時は性格的に「遊びの部分」がない。ただひたすら生真面目にやらなくてはならないことを、それが責任だ義務だと信じてやり続ける。

元々は内気で生真面目でお人好しだからこそ、徹底して「悪を集積する」と凄く陰にこもった雰囲気になる。愛すべきところがまったくない「暗い悪の権化」のようになってしまう。

 

政子が「似ている」と評した泰時が「真面目」と言われ続けているように、義時も泰時と同じようにただひたすら「クソ真面目」なのだ。

泰時に対して初が言う「真面目」は、メタで見ると義時にも言っていたのだ。

毎回毎回言われるとちょっとうるさいな、と思っていて悪かった。八重か比奈がいたら、義時にそう言っただろうというifが込められていたのだ。

 

義時が権力の座についてからやったことは、褒められたものではない。

でもそれは全部、後の世を安定させるために必要なことだ、と信じてやった。歴史の変革時期には必ず誰かが引き受けなければならない「悪」を、自分がすべて背負って死のうとしていた。

義村が「お前に出来たことが俺に出来ないはずがない」と言っていたが、安定した時代の権力者なら義村も出来るだろう。自分の野心や三浦家の安定のためなら、義時よりもずっとうまく出来るかもしれない。

だが鎌倉幕府を安定させて、次の時代に引き継がせる、そのためには自分を殺して献身するのは無理だ。

義時だから出来た。他のどんなに優れた人間も義時と同じことは出来なかった。

頼朝はそれが分かっていたから義時を選んだ。だから義時も、その頼朝の信頼に応えることに人生の後半を捧げたのだ。

 

最終回「報いの時」は、「やってきたことが報われた」「やってきたことの報いを受けた」両方が含まれた、義時の人生の総決算だった。

妻に憎まれ親友に裏切られ、姉に「もういい」と言われ、息子に後を託す。鬼として生きて、仏として後世を見守る。

義時が人生を賭けてやってきたことの全てが、最終回で答え合わせのように描かれている。

自分も政子と同じ気持ちだ。

「もういい、頑張った。本当にお疲れ様」という気持ちしかない。

後は泰時が全部やってくれる。

頼朝が義時に自分の後のことを信頼して任せたように、義時も後のことを任せられる、そのために自分が暗く汚れた部分を全部持っていこうと思える人に出会えた。

それが自分の息子だった。

こんなに幸せなことはないと思う。

 

貧乏くじばかり引く、でもそれに文句を言わずにひたすら自分に与えられた責任をこなす義時が大好きだった。

「おなごはみんなキノコが好き」って信じ続けて良かったな。

一年間、本当に楽しかった。