正確には映画ではなくドキュメンタリー。
ヒマラヤ山脈の中で前人未踏だった、「MERU/メルー」に三人の登山家が到達するまでの話だ。
有名なエベレストはネパール側からシェルパなどの協力を得て登るが、「MERU」はインドのカトマンズを拠点に登る。
映画はテントの中のシーンから始まるが、このテントは何と崖に吊られている。地面ではなく文字通り宙づりになっている。
ということからもわかる通り、出てくる話の全てが登山家ではない人間には理解しがたい話ばかりだ。
三人の登山家がチームを組んで登るが、リーダー格であるコンラッド・アンカーは登山界で有名な人で、エベレストで遭難したマロリーの遺体の発見者でもある。
コンラッドを師事している中国系アメリカ人ジミーと年若いレナンの三人がチームを組む。
背景を何も知らずに見始めたら、(何しろフィクションと勘違いしていたくらいなので)、語り手としてジョン・クラカワーが出てきて目玉が飛び出るくらい驚いた。
コンラッドと何回もチームを組んだことがあるようだ。知らんかった。
*「自分が人生で繰り返し読んでいる十冊」に確実に入る「荒野へ」。
何度読んでもいい。
一回目のアタックは荒天による時間切れで失敗に終わる。
三人は過酷な環境の中での狭いテント生活を続けたために、凍傷を負い、数週間の車椅子生活を余儀なくされる。
それにも関わらず、療養している時には、もう「次はどう登ろうか。どう攻略するか」を考え始めている。
見ているだけでも苦行のようで、危険な目にばかり合っている。
コンラッドは長年の登山のパートナーを雪崩で失っている。レナンはジミーと組んで仕事をした時に事故に遭い、あと少し運が悪ければ植物人間になるところだった。
ジミーは自分が誘った仕事でレナンが事故にあったために、強い自責の念に苦しめられる。
それでも彼らは山に登る。
二回目のメルー挑戦の時に、コンラッドとジミーはレナンを連れて行く決意をした。以前とは違い、いつ体調が急変がしてもおかしくないレナンを連れ行くことを、誰もが止めた。
しかしレナン自身の強い要望もあり、批判されること、責任が大きいことを覚悟でもう一度三人で頂上を目指す。
最初、三人の決断が理解できなかった。というより、「なぜここまでして、メルーに登ろうとするのか」もわからない。
案の定レナンの具合は悪くなるし、ここまでやらんでも、と思ってしまう。
でも最後に三人が頂上にたどり着いたときに思った。
こういう「登らざるえない人」もいるのだろう。
自分がこの映画で一番わからなくて、一番いいと思ったのはジミーが語った死んだ母親との間のやり取りだ。
ジミーの母親は息子が登山家になることを反対しており、息子にこう言った。
登山家になってすぐ、母にこう言われました。
「登山家になるなら、ひとつ約束しなさい。決して私より先には死なないと」
山で決断が必要になると、いつもそれを思い出した。
「これをしたら、約束を破る危険性はあるか?」と。
母親は息子のことをよく理解していた、いい話だと思った瞬間、次のジミーのセリフに驚愕した。
「母が死んだ時に、もっと先が見えたんだ」
今でも覚えている。
「行くぞ」と思ったんだ。
「自分、いま凄いって思っている」と他人事のように思った。それくらい驚いた。
母親は息子がこういう人間だと知っていたら、自分の存在を足かせにした。
その足かせから解き放たれた瞬間に世界が一気に広がり、「もっと行けるようになった、だから行こう」と思った。
「母が死んだ時に、もっと先が見えたんだ」
と目を輝かせて遠くを見ているジミーを見て、すべての社会的な通念を越えてただただ感動した。
「自分が行ったことがない場所に行きたい」ひたすらそれだけで生きているこういう人がこの世にいるのだ。
「MERU/メルー」は一時、その人の視点を借りて、三百六十度いきなり世界が開ける感覚が味わえる話だった。