うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」感想 わかりにくい左派の歴史がスルスルとわかる。

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池上彰と佐藤優の対談形式の本「真説 日本左翼史 戦後左派の源流」の一冊目、1945-1960の歴史を読んだ。

 

共産党の除名問題の時に「新左翼が起こした事件を見れば、共産党がどういう組織かわかる」*1という意見を見て、「新左翼って共産党の暴力革命の放棄への批判から生まれたんじゃなかったけ?」と思ったのが、この本を読むきっかけになった。

読むと大筋では

佐藤:(略)革命は暴力によらなければ不可能だと信じる者たちは共産党に見切りをつけ新左翼党派を結成した(後略)

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1960-1972」池上彰/佐藤優 講談社 P62)

らしいが、自分の理解も細部は曖昧で大雑把な部分が多かった。

 

「左翼の歴史」に特に興味がなくとも、「読み物」として面白い。

何よりも読み物として面白い。ページをめくる手が止まらず、二日で読み終わってしまった。

事実を羅列するだけでなく、その人物の人柄のエピソードや物事や人物、書物に対する著者二人の評価、二人が具体的に経験したことなどを織り交ぜて語られる。

集合と離散の繰り返しで図や年表を見ると恐ろしくごちゃごちゃしている左翼の歴史が、「血の通った物語」として読める。左翼の歴史に大して興味がなくても十分面白い。

難を言えば佐藤優の視点が若干偏っているように感じられる。元々学生時代に、日本社会党の青年組織「日本社会主義青年同盟(社青同)」に所属していたからか、目線が社会党寄りで共産党に批判的だ。

池上彰が基本的に佐藤の話の受け手と物の見方の補足をしているので、全体の話の流れとしてはバランスが取れていると思う。

池上彰は人気があるだけあって、「こんなにわかりやすくていいのかな」と不安になるほど話が上手くわかりやすい。

1000円程度の本なので(シリーズ三冊でも三千円)少しでも興味がある人は買って読んだほうが早いと思うのでぜひ。

 

以下は自分が注目したポイント及びその感想。

 

「左翼」と「右翼」の本来の意味&「社会主義」と「共産主義」の違い。

現状「リベラル」と「左翼」、「社会主義」と「共産主義」の違いが明確でないまま使われているので「左翼」(と右翼)、「社会主義」「共産主義」とは何かを説明している。

佐藤:(略)この左翼、つまり急進的に世の中を変えようと考える人たちの特徴は、まず何よりも理性を重視する姿勢にあります。(略)

池上:(略)人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたからですね。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P21)

「理性を重視する」と言うと、合理性を重んじる今の社会だと無条件にいいことのように感じるが、これは「理性によってコントロールできれば、暴力も戦争も手段として用いて良い」という思想だ。

本来の左翼の思想では、体制を覆すための手段としての「暴力革命」は肯定される。*2

佐藤:(略)ですから現在一般的に流布している「平和」を重視する人々とういう左翼観は本来的には左翼とは関係ありません。理性をあくまで重視し、理想の社会を目指す以上は、敵対する勢力と戦わなければいけないこともあります(後略)

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P21/太字は引用者)

 

対して右翼はこうだ。

佐藤:(略)一方で右翼(保守派)の特徴は何かといえば(略)人間は誤謬性から逃れられない存在なので、歴史に学ぶ謙虚な姿勢が必要です。左翼のように無闇にラディカルな改革を押しすすめるのではなく、漸進的に社会を変えていこうと考えるのが本来の右翼です。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P22/太字は引用者)

これでいくと自分は右翼のほうが近い。

「人間が誤謬性から逃れられない存在」のはその通りだと思うし、「暴力も理性でコントロール出来れば手段として用いていい」という考え方には賛成できない。

 

現代は「保守対リベラル」がそのまま「右翼対左翼」である、というように言葉を置き換えて使われているが、本来は「政治以前の思考する上で重視するものや方向性の違い」を表す言葉だったようだ。

 

「社会主義」と「共産主義」の違いは、もっとわかりやすく明確だ。

社会主義は「現体制の枠内で社会主義を実現しようとする思想と運動の総称」であり、これに対して「共産主義」は、「暴力革命を通して現体制を転覆し、プロレタリア独裁を目指す思想」のことだ。*3

数ある政治思想の中で共産主義が各国で目の仇にされるのは、その思想の目的が「現体制を転覆するもの」だからだ。

 

戦前の左翼の歴史・「講座派」と「労農派」

左翼の歴史は、戦前に始まる。

戦前のマルクス主義者は、主に活躍していた雑誌になぞらえて「講座派」と「労農派」にわかれていた。

「講座派」が戦後に日本共産党の、「労農派」が日本社会党のそれぞれ理論的主柱になる。

「講座派」と「労農派」は、主に「明治維新はブルジョア革命だったか」→「現在、日本は革命のどの段階にあるのか(現在の日本は資本主義社会なのか)」で争っていた。

この「日本資本主義論争」を理解しないと左翼の歴史は理解できないらしい。

池上:これが、いわゆる「日本資本主義論争」です。(略)

「日本左翼の現代史」は、まず日本資本主義論争を理解しておかないことには理解不能かもしれません。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P56)

 

戦後、日本共産党はGHQの統治下での平和革命を目指す。

戦後の日本共産党は、GHQを解放軍と規定してその統治下で平和革命を目指すところから始まる。

日本共産党はGHQの行ったことが、講座派が主張する「未だ日本では行われていないブルジョワ革命に近いもの」だったので、勇み足でGHQを「解放軍」と規定してしまった。

この流れを佐藤優は「アメリカでの聞き取り調査に協力した日系人が、共産党員だったからではないか」と推測している。

佐藤:(略)ベネディクトはあの本のもとになるレポートを書くために多くの日系アメリカ人たちにヒアリングしたと言われています。(略)

その中で例外的に積極的に協力したのが、日系アメリカ人でもアメリカ共産党に所属する党員たちだったと私は見ています。(略)

ベネディクトのレポートは当時の日本共産党、より正確に言えば講座派の日本観を色濃く反映したものになりました。(略)

そうであるからこそ、GHQの占領政策は徳田球一や志賀義雄らにとってかなり講座派=共産党的に見えたはずなのです。(略)

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P54-59/太字は引用者)

話としては筋が通っていて面白いのだが特に根拠はなく*4、推測の上に推測を重ねているだけだ。

 

共産党は、コミンフォルムからの批判を巡って「国際派」と「所感派」に分裂する。

GHQの内部では、社会民主主義的な考えをするニューディール左派が多く集まったGS(民政局)から保守的なG2(参謀部参謀第二部)への主導権の移行があった。

GHQからの風当たりも変化した上に、国境を越えた共産党の拠点である「コミンフォルム」から「平和革命指向など生ぬるい」と批判される。

共産党は、コミンフォルムからの批判を受け入れる「国際派」と受け入れない「所感派」に分裂する。

「所感派」はこのあと、中国からも批判されたため、「平和革命論」を放棄する。

「平和革命路線」を放棄したため、GHQが共産党を非合法化する動きを見せる。

このため「所感派」は中国へ亡命。中国から武装闘争を呼びかける。そのあとまた「所感派」と「国際派」は合流する。

これが本書に書かれた「共産党が暴力革命を放棄するまでの経緯」だが、現在の共産党は「『所感派』が最初から武装闘争を呼びかけていた」と総括しているらしい。

佐藤:(略)だから現在の共産党は徳田・野坂たち(所感派)から分派した自分たちはこれまで暴力革命路線はとったことがないという立場です。

しかしこれは分裂に至るまでの経緯を見れば完全な作り話であることがわかります。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P126/括弧内は引用者)

佐藤優の主張は、共産党はこういう事実の捻じ曲げや隠蔽が多く、党の決定が「事実」となってしまうため信用がならないし危ういということだ。

自分も日本共産党という組織はともかく、共産主義は内部批判が実質機能しない思想だと思っているので今後も支持することはない。

ただ現在の綱領を読むと現憲法下の体制の枠内での改革を目指すと記載されているのに、

佐藤:(略)根っこの部分で依然として暴力革命の旗を降ろしていません。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P139-140)

とまで言い切るのもどうかなと思う。

 

共産党に関してはここまで整合性を求めるのに、社会党に対しては妙に甘いところがある。

1951年10月の社会党の分裂に対しては

佐藤:この時の社会党は(略)外交・国家路線をめぐって、議論し、分裂していた。そういう議論が出来るくらい当時の野党のレベルは高かった。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P146)

という評価だ。

でもこの四年後に再び合流した時は、

佐藤:(党名を日本語と英語で表記を変えたのは)はっきり言って誤魔化し以外の何物でもないですけどね。合併時できた綱領も、左右の両主張を混ぜ合わせたかなり訳の分からないものでした。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P157/括弧内は引用者)

国家観が統一されていないのに合流したのか? と言いたくなる。

社会党の結党時の様子を読むと、共産党に入りたくないという一点だけが共通しているだけで、マルクス経済学者からキリスト教徒、反共のファシズムの擁護者までいた「野合」というのも控え目な表現に思える思想の一致もへったくれもない無茶苦茶な集団だ。

「内部でハイレベルな議論ができる。分裂したのはその証拠だ」と言われても反応に困る。しかもたった四年でまた合流している。何なんだ。

ただ見方を変えれば、多様な思想の受け皿になれると言えないこともなく*5、そのために社会党は幅広い支持を受けて大きく躍進する。

 

共産党に見切りをつけた人々が、新左翼となる。

社会党が「社会主義革命を指向する人たちの受け皿として成長した」ことに加えて、1956年にフルシチョフによるスターリン批判、1957年にハンガリー動乱という社会主義思想にとって大きな衝撃となる事件が起こる。

このことによって共産党は世間から見切りをつけられる。

池上:彼らがスターリニズム批判の意識に目覚めるとともに抱くようになったのが、武装闘争を放棄して「日和見的」と映った共産党に代わる、新たな革命政党が必要であるという問題意識でした。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P193-194)

スターリンは当時からある程度粛清していたことがわかっていたのかと思ったが、フルシチョフの批判が漏れるまでは国外の人間は何も知らなかったらしい。

ハンガリー動乱はウクライナ侵攻が行われている現代の状況と重なる部分があり、その違いに何とも言えない気持ちになる。

池上:ここでハンガリーを助けることはイコール第三次世界大戦への突入を意味しますから、世界のどの国も見殺しにした。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P171)

いま、EUの中でハンガリーが最もロシア寄りの姿勢であることに歴史の皮肉を感じる。

何はともあれ、「平和革命路線を堅持する共産党」と決別して「新左翼」と呼ばれる集団が生まれる。

新左翼は共産党よりは、当時人気があった社会党との関わりが深い。

佐藤:だから、社会党という大きな傘の下に様々な新左翼セクトが集まることがなければ安保も盛り上がらなかった。新左翼はある意味で、社会党という傅育器の中で庇護され、育てられた。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P195/太字は引用者)

この中から有名な革マル派や中核派、赤軍派などが分裂を繰り返して生まれていく。

 

「革マル派の盲目の教祖」黒田寛一によるスターリニズム批判。

スターリン批判をいち早く行った人間の中に、後に「革マル派の盲目の教祖」となる黒田寛一がいる。

黒田寛一は吉本隆明や埴谷雄高といった、当時の著名人とも対談したり共著を出している。学生運動の活動家にとどまらず思想家としても有名だったようだ。

革マル派の活動自体は賛否以前にドン引きしているし、「革命的暴力論」などには開いた口がふさがらないが、「スターリニズム」はシステムであり、スターリンのしたことの政治面だけを批判しても意味がない、など「なるほど」と思うことも言っている。

 

佐藤:(病気によって失明した)その挫折の体験が、黒田に自分がマルクスが説くところの「疎外された人間」、つまり人間としてあるべき本質を失った人間であるという思いを抱かせるに至った。そして彼は自分を疎外から救い出すためには自分自身を変革、つまりインテリの殻から脱け出してプロレタリア的な人間、完全なる労働者に生まれ変わらなければいけないと考えた。

 さらに社会の構造そのものを変えて共産主義社会をつくらなければいけないが、それには社会に参画する一人一人が自己を変革し、真の革命家にならなければならないといけないという発想に至ったわけです。

(引用元:「真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960」池上彰/佐藤優 講談社 P208-209/太字は引用者)

この「自己変革=社会変革である」という「社会システムと個人の内面システムを同化させる」という発想はこの時代の本を読むと頻繁に出てくる。

自分が共産主義と相容れないのは、個人の内面を社会の統制下におくことで、社会を統一しようとする発想があるためだ。

それはそれとして、この「個人の在り方が世界の在り方に反映される」という発想は「セカイ系」を彷彿させる。「セカイ系」はそもそもが実存主義的な世界観なので、この当時流行った?思想と相性は良さそうだ。

大塚英志が、「重信房子はあの時代に生まれたから活動家になっただけで、今の時代に生まれたらアイドルを目指していたのではないか」ということを書いていたが、黒田寛一も今の時代に生まれていたらネットでゴリゴリ活動していたかもしれない。

そのほうが「自己を変革するために暴力すら肯定する」よりは、ずっとマシだったのではと思う。

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まとめ

一般的には左翼の(特に負の)イメージは、学生運動や大衆運動が最も盛んで新左翼の各団体が生まれた60年代のイメージが強い。

そこに至るまでの経緯やなぜそうなったのかという流れがわかりやすかった。

ひと言で言うと、日本の左翼は「共産党とそれ以外」に分かれる。政党も労働組合も学生組織も「共産党の影響を受けているもの」と「社会主義を指向しているが共産党の影響は受けたくない人の集まり」に常に分裂している。

社会党や新左翼は分裂を繰り返しているが、それはそもそも「共産党に入りたくない、保守でもない人の受け皿」という非常に大きなものとして登場しているためだ。

年表や系譜を見ると、恐ろしく複雑で理解するのに一苦労しそうな左翼の歴史がとりあえずこういう風にひと言で理解できたところが良かった。

 

*1:そこまで詳しくない自分でさえ「え?」と思う意見をよく見るので、総覧的な本は必要なんだなと思った。

*2:あくまで「左翼」という言葉の「本来的な意味」であり、現在の日本の左翼政党は暴力は否定している。

*3:現代の日本共産党は綱領に、現憲法下の議会民主制の枠組みで改革を行う、政権を取った暁にも一党独裁はしないと明記されている。詳しくは→日本共産党綱領

*4:紙面の都合上載せきれなかっただけで何かあるのかもしれないが。

*5:言えないことはない。