「無力な労働者たちが結束して、自分たちを抑圧する権力(会社・経営者)と戦う」
内輪もめや内部分裂や裏切りや労使協調はあっても、労働運動は基本的にはこういうものだと思っていたが、見る目が変わった。
松崎明は労働組合を通して、JR東日本に強い影響力を持っていた。
なぜ、労働組合が会社に強い影響力を持つ「労使逆転現象」が起きたのか。
国鉄時代に松崎がいた「国鉄動力車労働組合(動労)」は、過激なストも辞さないために「鬼の動労」と呼ばれる組織だった。
JR東日本は国鉄時代に労働組合のストに悩まされていたので、「経営との徹底闘争」の路線を転換して、労使協調路線を取ると言ってきた動労と手を組んだ。
それが松崎が経営者すらしのぐ権力を長く持ち続ける源泉となる、「労使協力路線」(労使ニアリーイコール論)の始まりだった。
「労使協力路線」というと、今の時代では一見良いことのように聞こえる。
だがJR東日本においては、JR東日本経営陣も上位組織であるJR総連もJR東労組の言いなりになってしまい、様々な問題が噴出する。
本書で書かれているものには、「労働運動」のイメージからかけ離れているものも多い。
東日本とは違い、経営陣が言いなりにならないJR東海の副社長を追い落とすために、プライベートを暴こうとパパラッチ紛いのことをする。
また文春に「JR東日本に巣食う妖怪」(すごいタイトルだな)が連載されると、駅のキヨスクでの販売を拒否する。
「言論弾圧」として訴えられ裁判で敗訴すると、文春を納品しても店頭に置かないという「順法闘争」に打って出る。
記事を書かれると、組合員一人一人が「精神的苦痛を受けた」と言って週刊誌と記者を訴える。
経営陣やマスコミなどまがなりにも権力を持っている相手に対しては、やり方への賛否はともかく(ともかく)こういう考え方もあるのかなという気はする。
これくらいのことをして守らなければならないくらい、労働者の権利は弱く抑圧されてきた歴史がある、と言われれば、そうかもしれないとも思う。
ただ「浦和電車区事件」を読んで、この本に出てくる労働運動や組合に強く落胆してしまった。
自分たちが守るべき組合員を、ささいなことで難癖をつけて嫌がらせをして退社に追い込む、というのは、経営陣やマスコミに対する闘争や組合の金を横領するようなこととは質が違う。
労働運動の根幹に関わることだ。
事件の発端は被害者の運転士(JR東労組組合員)が対立労組である「JRグリーンユニオン」の組合員といっしょにレクリエーションのキャンプに参加するというきわめてささいないことだった。
だがJR東労組はこの運転士を「組織破壊者」であると決めつけて激しい攻撃を加え、東労組から排除すると同時に、退社に追い込んだのである。
(引用元:「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」牧久 小学館 P319/太字は引用者)
経営側が嫌がらせをして社員を退社に追い込むという話は聞くが、労働組合が同じことをするのが信じがたい。
本来、会社から労働者を守る立場の労組が、他の組合員と付き合ったという理由で嫌がらせをして退社に追い込んでいる。
しかもこんな露骨なやり口は一体いつの時代の話だと思ったら、なんと2002年である。ええっ。
裁判では被害者側の訴えが事実としてほぼ認定されている。
判決文は「原告Yの証言はすべて信用できるが、各被告の証言はすべて信じがたい」と述べており、JR総連・東労組の全面的敗訴だった。
(引用元:「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」牧久 小学館 P328)
共産主義思想は「組織防衛、思想防衛が第一」で、そのためには個人は見捨てる、その考えについていけない個人は有害であり即敵対者という発想があるように見える。
今の時代はそういう考えの組織ばかりではないと思うし、個人を尊重する考え方をする人も大勢いると思う。
ただ色々な本を読むと、思想的にはそういうものとしか思えない。
そう考えていたことの実例をまざまざと見せられたようで、背筋が寒くなった。
この本を読んだ限りは、松崎明は「目的のためなら手段を選ばず」という人で、その「目的」が思想的なものではない。
黒田寛一に傾倒して、その思想を現実に適応する形で用いたと自負していたようだけれど、今の社会の何が問題で、だからこう変えたいという思いのようなものがまったく見えてこない。*1
よく言えば現実的、悪く言えば俗物的な考え方の人で、既存の体制の中でいかに権力を握るかしか考えていなかったように見える。
だからこそ労働組合という組織の中で頭角を表したのだろう。
本書を読んだ印象だとエネルギッシュで面倒見のいい親分肌、仲のいい人にはとても良い人だったのだろうなと感じる。
敵が多い一方で慕う人も出てくる。
本書も取材に基づいたノンフィクションと考えると暗澹とした気持ちになるけれど、ピカレスクロマンと割りきって読むぶんには面白かった。
*1:本人の著作には書いてあるのかもしれないが。