地下鉄サリン事件、麻原彰晃逮捕後も教団に残った信徒の姿と各地で起こった住民による反対運動や住民と信徒の交流を追ったドキュメンタリー。
「A」は教団の広報副部長をしていた荒木浩*1を定点として追った作品だが、文字通り「映しているだけ」で何も劇的なことは起こらないし、荒木がオウムや麻原について突っ込んだ話をするわけでもない。
教団の生活と反対住民などへの対応が淡々と流れる。
なぜ高学歴の人ほどオウムに惹かれたのか
よく指摘されるように、オウム真理教の幹部は高学歴者が多い。
「A」で定点となった荒木浩も京都大学の大学院に行っている。
宗教や神秘的なもの、精神的なものに惹かれるにしても一体なぜ、その対象が麻原でオウムなのか。他にもっと……とどうしても思ってしまう。
「A」の中で信者の一人が他の宗教とオウムの違いとして上げたのが、「修行の段階がシステマティックでわかりやすい」という点だ。
林郁夫も著書の中で「オウムに惹かれた理由」として、同じ理由をあげている。
私は麻原の著作「イニシエーション」と「生死を超える」をつぎつぎと読んでいきました。(略)
なかでも釈迦の教法の根本ともいえる「十二因縁(縁起)」について、それを魂の落下と上昇のプロセスに分け、自分のヨーガの体験と結びつけて説明してある内容は、私のしるかぎり麻原独自のもので、その上昇のプロセスをたどって解脱まで経験した者でなければ書けないものだと思いました。
(引用元:「オウムと私」林郁夫 ㈱文藝春秋 P83/太字は引用者)
成果に至るまでのプロセスが明確で客観的に評価が出来るところが、「体系化された学習方法」が得意な人にとっては馴染みやすかったのではないか。
林は十年近く別の宗派で修行しても解脱の感覚が得られず焦っているところに、他の宗派とはまったく別の方法論であるオウムに出会って入信している。
「個人で関わると強い負荷がかかる人」の問題は、「負荷を背負えない個人」ではなく「社会の一部」という視点で問題を考えるべきだと思う。
「A/A2」は合わせると四時間半近い記録だが、オウムに残った人たちと周囲の人たちとの軋轢の記録に終始している。
その集団が犯罪を犯した集団であったとしても、それを信じていたという理由だけで社会から排斥することはあってはいけないと思う。
だがその犯罪を指示した人間を今でも信じ「それが信じるということだからだ」という人間と同じ街で生活することが出来るのか。その思う気持ちはわかる。
「個人で関わると強い負荷がかかる相手を、社会はどう考えるべきか」
という問題は、対象を変え、頻繁に話題に上がる。
自分は昔生まれた環境に恵まれなかった子供たちの支援に関わっていたけど途中から「もうこいつら不幸になろうがならまいがどうでもいいわ、養分として搾取されて生きろ」と思い始めたし。
支援を始める前より人間が嫌いになった。
「助けを必要としている人は助けたいような姿をしていない」というのは最近一般層にも認識されはじめたことだと思うし。
自分もそれを心に刻んでいたはずだけど想像の何倍もやばすぎた。
嘘つきですませていいのかってくらい平気で嘘つくというか嘘しかつかねえし裏切りしかしねえし人から何かを奪うことしか考えていない。
単細胞という悪口がぴったりなんだよ、最悪の単細胞生物だ。
偏見とかじゃないんだよ。
DVシェルターの管理をしている人から話を聞いたことがあるが、「唯一のこと増田」とまったく同じことを言っていた。
生きてきた過程の中で「疎外され続けてきた」と感じる人々、どこにも居場所がないと感じる人はありとあらゆる手を使って自分を守ろうとする。
「自分を守ろうとして嘘ばかり吐く」「悪意しか向けてこない」段階ならばともかく*2、最終的には人を殺す地点まで行く人間もいる。
無抵抗の一家四人を殺したゲイリーは「冷血」の中でこう語っている。
「被害者は自分があった人間の中で、自分をまともに扱ってくれた数少ない人だ。でも俺の人生のツケを払わせてしまった」
個人は少しの負荷も背負いきれず、かと言ってそれをもっと薄く広く背負う方法が見つからなかった結果、ジョーカーになり最後に目の前にいた人間が死ぬ。
こういう人と直接的な関わりを持ち、その負荷を引き受けることは並み大抵のことでは難しい。
だがそれでも社会で受け入れなければ、追い詰められ暴発した時に罪のない人が被害を受ける。
だから「個人の経験や感性による嫌悪感(正邪判定)によって排斥するか否かと考えるのではなく、個ではなく社会の一部であるという立場から、そういう人たちにどういう形で社会で生きてもらうか」
そういう角度で考えたほうが、結果的に特定の個人(誰か)が取返しのつかない被害に遭う確率を減らせるのではないか。
個人で直接の負荷を引き受けることは難しくても、直接的な支援をしている人たちを何らかの形で支える。
それが社会で「居場所のない人」「社会で生きていくことが困難な人」「疎外されていると感じ続ける人」を包摂するということだ。
オウムのような思想集団も社会から孤立したために、社会とはまったく相いれない思想が正しいとされるような場を形成してしまった。
思考が閉鎖された集団が危険なら、思考を閉鎖させない、常に多様な考え方がある社会の中で包摂されるような、つながっているようにしておかないといけない。
自分や親しい人、弱い立場の人がその立場に立つことを恐れるからこそ、個人ではなく社会が薄く広くその人たちを受け入れるようにするべきだ。
そう思っていた。
だが「A/A2」を見ているうち自分は考え違いをしていたのではないか、という疑問がわいた。
「誰を排斥するか」を一方的に決められる社会は恐ろしい。
藤岡市のケースの場合、オウムの住居を監視していた住民たちとオウムの信者たちのあいだで徐々に交流が生まれる。
毎日毎日監視場であるテントに行くうちに、次第に「オウムの信者」「監視する住民」という垣根を超えて、「監視する・される場のコミュニティ」が形成されていく。
最終的には監視するテントやプレハブが解体されて終わる。
その最後の日、監視していた住民と監視されていた信者は「オウム絶対阻止」の看板を真ん中にして、記念写真を撮る。
監視小屋が解体された後も、住民たちと信者の垣根越しの交流は続き、住民の一人である男性は「守る会になっちゃった、あはは」と笑い、他の人は信者からオウムの本を借りたりする。
荒木浩を定点として追った「A」では、荒木浩は「オウムの広報副部長」として話すときは周囲に対して敵意をむき出しにしている。
しかし一橋大学に招かれ女子学生に素朴な疑問を投げかけられた時や「オウム真理教家族の会」の会長である永岡弘行*3から「元気に修行していますと、母親に電話だけは入れてあげて」と言われた時は、困惑しながらも素直に答えている。
「A2」では松本サリン事件の被害者であり、冤罪の被害も受けた河野義行とオウムの幹部の対談の様子が出てくる。
河野はこの対談を受けた理由を「信者たちが社会に居場所を作れる一助となるように受けた」と言う。
サリンの被害を受け、さらに冤罪まで被ったのに、その事件を起こした集団を未だに信じている人が社会から受け入れられるように会う場を設けた。
聖人のような人だな。
最初はそう思った。
だが河野が「社会から排斥され居場所がなくなる恐ろしさは自分もわかる」「同じことが起こっている」と語っているのを聞いて気付いた。
相手がどんな人であっても「どこにも居場所がなくなる社会」は恐ろしい場所であり、自分が何のきっかけで社会によってその立場に立たされるかはわからない、それがおかしい間違っていると思っても訴える場所さえ取り上げられ、ただ一方的にレッテルを貼られ放逐される。
その恐ろしさを誰よりも知っているから、対象は誰であれ「そういう社会にしてはいけない」と思っているのだ。
「誰を社会から放逐するか」
「どの存在を消すべきか」
を、誰かが誰かに対して一方的に決め、通告する社会であってはならない。
そういう考えに基づいて、自分が事件から具体的に受けた被害はおいておいて、「どういう社会を作るか」という観点から「被害者である自分が、オウムを未だに信じる人と向き合う場」を設けたのだ。
自分のこれまでの「オウムのような直接関わることに負荷がかかる人たちを、社会がどう受け入れるべきか」とういう考え方は、「相手から見れば、自分こそが受け入れがたい、理解しがたい人間かもしれない。その可能性が高い」という発想が抜け落ちていた。
「自分は誰にも迷惑も負荷もかけることなどなく、疑いもなく普通で善良で正しくて社会に存在していい人間であり、存在していい属性を選別する側だ、ということを疑ったこともない」
「自分が誰かを耐え難いほど不快な存在と感じるように、自分も誰かからそう思われているかもしれない。そう想像したことすらない」
自分が長いあいだ心の底から軽蔑して嫌っていた*4のは、まさにそういう人間だった。
それなのに。
正直なことを言えば、もう大筋で事件が事実だと認定された後でさえオウムの教えを信じる人、被害者に会いに行って謝罪するかどうかすら決めておらず、へらへら笑いながら話し合う信者たちを見ると負の感情でいっぱいになる。
住民の人たちについても「毎日、顔を突き合わせていれば人間同士の付き合いになる」という気持ちはわかる。だが、オウムの本まで読もうとするのは危ういのでは……と、つい思ってしまう。
でも大量殺人を引き起こす元となった思想を信じていたとしても、本人たちは何もしていない、もしくは罪を償った人たちと、そういう人をどうあっても理解できないと思う人たちがどうしたら暮らしていけるか。
それを考えるために、お互いが歩み寄って作るのが社会だ。
個人としてはお互いに受け入れなくていい、肯定しなくていい、負荷も負わなくていい。個人同士はお互いにそうする権利がある。
だが、絶対に理解できない、何なら見るだけで不愉快なもの同士が一緒にどう生きていくかを話し合い、作り上げていくのが社会であり、多様性だ。
そう考えることで、初めて誰かが(例えば自分が、自分よりも弱い立場にいる人が)排斥されることもなく、ツケを支払わされることもなく、安心して生きていくことが出来るのではないか。
オウムの信者たちと監視小屋の人たちがした記念撮影の写真を見ると違和感がある。
でもそもそも「社会」は、自分から見て美しく整然としてすっきりと理解できるものではない。
何だか違和感があり見ていて落ち着かない、不安に思える、理解できない。
そういうものをすべて含んだもののはずだ。
観終わった後にそう思った。
と、色々と考えさせられたこともあるのだけれど、この作品の一番良かったところは、見ていて単純に面白かったところだ。
何が面白かったのかは自分もよくわからないのだが、「世の中色々な人がいて、その色々な人のことを自分にはよくわからない。そういう人たちから見れば自分もよくわからない変な奴だろう。そのままでもいいんだ」*5としみじみ思えたところだ。