うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

これ一冊で「資本論」の内容がざっくりわかる。池上彰「高校生からわかる『資本論』」はさすがのわかりやすさだった。

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「資本論」の入門書を読み比べてみよう企画第一弾として、池上彰の「高校生からわかる『資本論』」を読んだ。

本書でも言われている通り、「資本論」はマルクス特有の造語(?)と持って回った言い回しによって敷居が高く感じるが、言っていること自体は今の時代でも(だからこそ)「そうだな」「なるほど」と思うことが多い。

「資本論」が最初に発表されてから150年後の現代は、まさにマルクスが「資本主義社会が進むとこうなるのでは」と書いた通りになっている。

やはり凄い人だったのだなと思う。

 

「資本論」は資本主義社会の仕組みを分析した本

「資本論」は物凄く平たく言うと「資本主義とは何なのか」を分析した本だ。

マルクスは、資本主義とは「資本が自己増殖し続けるシステムだ」と考えた。

資本主義というシステムの中では資本家も労働者も人間性を失い、システムの一部になる。

労働者は「労働力」という商品として扱われ、資本家は「労働者が生活に困ることがわかっていても、経営のために解雇という決断をする」など、個人としての資質は関係なくシステムの中での合理性のみに従うようになる。

資本主義は内部に自らを破壊する機能を持たないために(システム内部にいる人間は、誰もその合理性に逆らえない)誰も止めることが出来ずひたすら肥大し続ける。

資本主義が進むと格差が生まれ、労働者を抑圧する。限界まで抑圧されると労働者が蜂起して、社会主義革命が起こる。

 

「日本は世界で唯一成功した社会主義国」

本書を読んでいて一番「へえ」と思ったのは、日本がある一定の時代までアメリカなどと比べて労働者の権利が強かったのは、「大学で教える経済学の主流がマルクス経済学だったからだ」ということだ。

マルクスの考えによれば、資本主義システムが肥大化し続ければ、労働者を限界まで抑圧する。抑圧が限界になると、労働者は生きるために社会主義革命を起こす。

「資本主義は必ず社会主義革命を生み出す」と考えていた。

だからマルクス経済学を学んだ人々は、社会主義革命が起きないように、労働者の権利を保護したほうが良いと考えた。

資本主義というのは、自由勝手にやっておくと労働者の権利が失われて、労働者が貧しい状態になる。革命が起きるんだよ、ということをみんな学んだわけ。(略)

そこで「労働者を余りこきつかっちゃいけないよ」とか、「労働者の権利はなるべく守ってあげよう」っとか、あるいは「企業に勝手放題させちゃいけないから、国がコントロールしよう」とか、そういう考え方の人が多かったんです。

よく日本のことを、世界で唯一成功した社会主義なんていう言い方をすることがあります。(略)

終身雇用制という言い方があったでしょう?(略)クビにされることはないから安心してその会社で働くことができる。

(引用元「池上彰の講義の時間 高校生からわかる『資本論』」池上彰 集英社P28ーP29/太字は引用者)

学生運動が盛んだった60年代は、肌感覚として社会主義革命が起きてもおかしくないという空気感があったらしい。

いいか悪いかはともかくJR総連のように、経営陣よりも力を持つ労働組合もあった。

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「資本主義や資本家を守るためには、むしろ労働者の権利をきちんと守ったほうがいい」

マルクス経済学の「労働者の再生産過程(その人と家族が生活するのにどれくらい給料が必要か)」という考えに基づくと、終身雇用や画一的な昇給制度は「(個人ではなく属性としての)労働者にとっての合理性」があった。

結婚すれば生活費が増える*1、子供が大人になれば教育費がかかる、年齢が上がれば医療費がかさみやすいなどは、年齢が上がるにつれてかかる費用は仕事をする能力とは関係なく増大していく。

「生産性(能力)に基づく昇給」は、一見合理的で公平に見える。(だから格差が広がるまでは、それが正しいように見えて推進された)

自分に能力があり、他の人が能力がないように見えれば「自分のほうがもらって当然だ」という感覚になるのは自然なことだ。

だが一方で、「年齢など関係ない、能力で測るべきだ」という発想自体が経営者のロジックを補強し(属性としての)労働者の立場を弱めることにつながる。

雇われる側でいる限り、経営のロジックに囲われているという意味では同じなのだ、ということが「資本論」を読むとよくわかる。

 

「能力がない人間は再生産過程なども考えなくてよい。経営する側が雇用する人間を能力のみで測り、給料を決める。これが経営にとって合理である」

経営者は「再生産過程」を無視したこういうロジックで労働者を雇いたいのだ、と言われると「なるほど、確かに」と思う。

自分はこの点は、資本主義社会に生きている限りはある程度は仕方がないと思うけれど、少なくとも「能力主義や合理化は、経営側の理屈である」ということは考えとして持っていたほうがいいよなと思う。

今の時代は格差が大きくなり問題になっているので、ひと昔ほどは「(年功序列のような)平等よりも(能力によって測られる)公平のほうがよい」とは言われなくなった。

 

マルクスが150年前に考えたことに(ある程度)基づいて、日本の経営はモデリングされていた。

だが「なぜそうなっているか」という意味合いがだいぶ忘れ去られてきたころに新自由主義の考えが入ってきて、派遣法など労働者を保護する枠組みが次々と変えられていった。

派遣業務は働きかたが自由に選べるという労働者側のメリットもあるが、雇用の調整弁として使われやすく、経営者のメリットのほうが遥かに大きい。

他にも工場派遣の話として、雇った労働者を用意した住居に住まわせて、生活費を取ることで二重搾取するなどの手法が出てくる。150年前から変わらないんだなあと読んでいてげんなりする。

 

なぜ、社会主義はうまくいかないのか

自分はレーニン主義の「前衛党の建設」(上からの指導)のせいじゃないかと思っているが、本書でも同じ説を取っている。

革命は、「前衛党」である共産党が労働者を指導し、武力を使って権力を奪取することを想定していました。(略)

労働者は、マルクス主義に目覚めない限り、思想が「遅れている」*2だからマルクス主義を理解している知識人である共産党員が、革命の必然性を労働者たちに教え込んでやろうと考えていました。

(引用元「池上彰の講義の時間 高校生からわかる『資本論』」池上彰 集英社P43/太字は引用者)

当時はまだしも教育格差があったからという理由が考えられるが、それを鑑みても何をどうしたらこれほど思い上がれるのか不思議だ。

「真昼の暗黒」や「火山島」、文化大革命や学生運動などの歴史の本を読むと、共産主義思想の組織は「矛盾に見えるものは高次の次元で解消される」「党は間違えない」「党には絶対服従」という発想が顕著だ。「全体が個人を包摂する思想」はこの辺りからきているのではと思う。

 

池上彰の意見によるとマルクスが考えた社会主義国家は、現代で自分たちが目にしている一部の権力者が国民を掌握して指導するものとはまったくの別物だった。

(略)マルクスは資本主義が発展することによって、(略)労働者が高度な知性と教養を持ち、みんながお互いに協力し合いながら世の中をつくっていこうと社会主義革命が起きて、それが成功するだろうと考えていた。(略)

ところが一部のインテリが、一部の学生たちがマルクスに共鳴して、革命を起こしてしまった。

どこにも組織された労働者がいなかった。(略)

ごく一握りの革命家と呼ばれる人たちが、「ああしろこうしろ、言うことを聞かない奴は殺してしまえ」みたいなことをやったことによって、ソ連や中国はうまくいかなかった。

(引用元「池上彰の講義の時間 高校生からわかる『資本論』」池上彰 集英社 P298)

この言が正しいとすると、マルクスが想像した「社会主義国家」は、ソ連や中国よりも「一億総中流社会」と言われた1980年代ころの日本が近かったのでは、と思う。

 

ソ連の崩壊を始め、社会主義国家が独裁色を強めて破綻していく様を見て「社会主義思想はうまくいかないんだな」と思っていた。だがそれは社会主義思想ではなく、レーニン主義の破綻だったのかもしれない。そう考え直した。

今の世界各国の状況や宇宙開発、サプライチェーンの構築などを見ると、資源のない日本には競争力も必要なので「社会主義思想メインでやっていこう」と言えるような状況でもない。

国の競争力を伸ばしつつ、労働者の権利も(能力の有無関係なく)保護することは不可能ではないと思うので、いい落としどころを見つけて生きやすく発展しやすい社会にしていかないとな、と思った。

 

まとめ

「資本論」はどんな内容なのか、ということをとりあえずざっくり知りたい人には本書はおススメだ。

学生時代には、「『資本論』が読み進めないのは自分の力がないからだ」と思っていたのですが、いまになって読み直すと、単にマルクスがわかりやすい説明をしていなかったからだと思うようになりました。

該博な知識の披瀝、華麗なレトリックの数々の文章は、いったい誰に読んでもらおうと思って書いたのでしょうか。

(引用元「池上彰の講義の時間 高校生からわかる『資本論』」池上彰 集英社 P307‐P308)

最後はディスで終わっていてびっくりしたけど。ええっ。

 

次に読んだやつ。

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*1:今の時代はライフスタイルが多様化しているから例として適切ではないけれど、ここで言いたいのは労働者目線で見たときに「個々の能力とは関係なくライフスタイルのモデルケースによって昇給や雇用が保障されていた」ということ。

*2:令和でも「価値観のアップデート」など未だにやっている。100年経っても発想は変わらないんだな。