うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語るブログ。

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「正しさの暴走」の抑止力としての「真っ当さ」

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この記事からの派生余談。余りまとまっていないけれど、思いつたまま書いていく。

 

「パトレイバー」の記事で、「真っ当さ」が、今後増えるだろう「愉快犯的悪」や「愉快犯的アジテーター」への唯一の対抗手段ではないか、という話をした。
もうひとつ「正しさの暴走」への抑止力も「真っ当さ」しかないのではないか、と思っている。

 

「面白さ至上主義」と「正しさの暴走」はコインの裏表みたいなもので、「人の善意を信じて、あえて最低限のルールのみのシステムを作る」と、その隙間をつく「最低限のルールは破っていないから、悪とは認識しない悪」が出てくる。

その反対に振り切ったのが「人の善意を信じず、細かいルールで行動を規制し、そのルール内の正しさのみで人を判断するシステム」だと思う。

発想の根底にあるのが他者に対する信頼か不信か、という点が裏表になっている。

「縛りを入れていなくても、こういうことはやらないだろう」という考えが裏目に出たときに他者に対する信頼が崩れるので、細かいルール(正しさ)で行動を制限するようになる。

 

「正しさの暴走」は、歴史上さんざん繰り返しているけれど、これも対抗する手段がほとんどない。

「正しさの暴走」に対して、「真っ当さ」のみが唯一の対抗手段だ、というのは、「モンキーピーク」で安斎の示した「正しさ」に対して、異を唱えたのが宮田だ、という点にもよく表れている。

 

銀河英雄伝説でいうと、方法論が愉快犯的トリューニヒトに権力を握らせるのもまずいけど、対極にいる「正しさ」のみで物事を判断するオーベルシュタインに権力を持たせるのもまずい。
「ヴェスターラントへの核攻撃を止めたら戦争が続いて、もっと多くの人が死にますけれど?」という「正しさ」に、異を唱えられるような社会でないといけないと思う。
ラインハルトは頭がいいからこそ、オーベルシュタインの「正しさ」を排除できなかった。(感情や感覚よりも、理性や理屈を優先する人にありがちな間違いだと思う)

 

「真っ当さ」というのは「既存の社会の枠組みが壊れた(もしくは意味がないと感じた)ときに、どれだけ既存の社会で自分が正しいと思っていた価値観を守るか」という点にあるかもしれない。(ちょっと違う気もする。保留)

 

「モンキーピーク」の安斎は、既存の社会の中では正義感が強いサラリーマンだったけれど、その社会の枠組みが意味をなさない状況になると、既存の社会では犯罪とされる拷問などを「正しさ」のために行うようになった。

その基準で考えるとオーベルシュタインは、言っていることは正しくても「真っ当さ」という観点ではゼロに近い。

 

オーベルシュタインの強み(というかヤバさ)は、「自分が正しいと信じている価値観以上に正しいものを、既存の社会(ゴールデンバウム王朝を生み出した過程まで含めて)の中にいっさい見出していない点」だと思う。(そもそも既存の社会の価値観が、オーベルシュタインの存在を「劣悪遺伝子排除法」で排除しようとしているのだから、自分の存在を認めない社会に正しさなど見出しようもない、というのはある)

 

オーベルシュタインを嫌う人が多くても、その「正しさ」は誰も否定できない、排除もできないところを見ても、「正しさの暴走」を止めたり、そこに含まれる悪を指摘することがいかに困難かということがわかる。

 

オーベルシュタインはまだしも他人から支持を集めない人だし、本人も支持を集めようと考えていないからいいけれど、これがアジテーションの能力と結びつくとかなり怖いことになる。
「モンキーピーク」で多くの人が安斎に従ったように、切羽つまれば相手の人柄や好き嫌いは関係なく、支持したり、支持せざるえなくなる。
そういうときに「真っ当さ」をどれだけ発揮できるかが、その共同体の健全さを表していると思う。

太平洋戦争末期の日本とか、オウムとか、ああいう無茶苦茶な「正しさ」すら共同体の内部では疑問視されない、末期的症状にだって簡単になりうる、というところが怖い。

自分が所属する共同体の価値観がおかしくなった時にどうすべきか、というのも大きな問題だ。これはこれで、後でまた書くかも。

 

「正しさの暴走」は自分もやりがちだな、と感じる。
ネットでは「面白ければいいじゃん」と「机上の正しさ」が力を持ちがちなので、これに対抗できる「真っ当さ」は、手放してはいけないと思う。

 

「真っ当さ」を描いているものは創作物だと「パトレイバー」もそうだし、最近だと「ゆとりですが、なにか?」もいい。

自分に「真っ当さ」を示してくれるものや人を大事にしたい。

 

そういうものの助けを借りつつ、なんかおかしいな、と思ったものには、それが例え正しく見えても「なんかおかしくないか?」と言っていくしかないかな、と思う。

 

それでも銀英伝では、オーベルシュタインが一番好きだ。

ダメな部分も分かるんだけれど……、どうしても共感を感じる。

オーベルシュタインの場合は、生まれたときから社会との信頼関係が崩れているというのが一番大きいのかもしれない。

 

帝国側でオーベルシュタインの対極にいる「真っ当さ」を持つ人といえば、真っ先に思いつくのはミッターマイヤーだ。ミッターマイヤーは両親が=社会なのだと思う。これはパトレイバーの野明が示す「真っ当さ」「子どもを幸せにできる大人が立派な大人だ」につながる。

オーベルシュタインと根本部分は似ているロイエンタールも、親との信頼関係が破壊されている。

 

「真っ当さ」というのは、既存社会への信頼度が大きく関わっていると思う。仮にそうだとすれば現代で「真っ当さ」が機能しづらいのは、むしろ当然なのかもしれない。

 

「既存の社会の中の枠組みが意味をなさないと感じたときにも、その価値観が正しいと感じるなら守る」

と考えるとアイランズは、すごく「真っ当」だったのでは。既存の社会の枠組みの中ではクソだったけど。

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