「はじめに」
ドストエフスキーの小説が、なぜ分かりにくいのか、二点あると思います。
①人物ひとりに対して、呼び名がコロコロ変わるので、誰が誰なのか分からなくなる。
②登場人物の話が長いので、話の筋が追いにくい。
なので、この二点の問題を解消すべく、「登場人物」と「あらすじ」に分けて、名作「カラマーゾフの兄弟」をピンポイントで説明したいと思います。
「超おおまかなあらすじ」
フョードル・カラマーゾフという、超性格が悪い金持ちのおじいさんがいる。フョードルには、ドミートリィ、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフという四人の息子がいる。
ある日、フョードルが殺されて、三千ルーブルという大金が奪われる。
殺したのは誰かな? というお話。
「登場人物」
(カラマーゾフ家)
フョードル・カラマーゾフ
金持ちのおじいさん。四人の息子がいる。下品で下劣で欲張りなうえに、女好きで卑劣な超最低な性格。グルーシェニカが好き。意外と名言が多い。
自分は、この物語の中でフョードルが一番好き。
「オレにとっては、ブスなんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分が備わっているんだから」
フョードルの撲殺事件が、この物語の中心的な出来事。
ドミートリィ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ
(ミーチャと呼ばれることが多い。ミーチェニカ、ミーチカなどは、すべてあだ名)
フョードルの長男。母親はアデライーダ。グルーシェニカが好きで、父であるフョードルとめちゃくちゃ仲が悪い。
キレやすい。とにかくキレやすい。
良くも悪くも、激情的で感激屋な性格。外界からの刺激に対する、感情反応だけで生きている人。よく泣く。
現実的な考えと希望的観測がぶつかったときに、常に後者を優先させる。その結果がうまくいかないとキレる、困った性格。金遣いがむちゃくちゃ荒い。
「そういう男の例にもれず、女にはよくモテる」とは、モーム先生の評。(そうか??)
「惚れるっていうのは、愛するっていう意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ」
イワン・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ
(あだ名はワーニャ、ワーネチカなど)
フョードルの次男。母親はソーニャ。
頭がいい無神論者。「大審問官」という叙事詩を書く。厨二。
兄の婚約者である、カテリーナが好き。おっさんの幻覚をよく見る。
「僕は二秒間の喜びのためなら、千兆キロの千兆倍だって捧げますよ」
アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ
(アリョーシャと呼ばれることが多い。アリョーシェチカなど)
フョードルの三男。母親はソーニャ。
みんな大好きアリョーシャ。地上に舞い降りた天使。
ゾシマ長老がいる修道院に通う修道僧。 心優しく純粋無垢、誰にも悪意を抱かず、欠点だらけの父親や兄たちを、心の底から愛している。小悪魔ちゃんなリーズが好き。
「お父さんは、頭より心のほうが立派なんです」
スメルジャコフ
(スメルジャコフとしか呼ばれない)
フョードルの庶子。母親はスメルジャーシチャヤ。フョードルの息子だが、召使として扱われている。コンプレックスまみれで、ひねこびた性格。イワンに、すごく影響を受けている。
むちゃくちゃ臆病な性格という設定だったのに、最後、人が変わったかのようなサイコな性格になり、イワンと読者の度肝をぬく。
「あなたと一緒に殺したんですよ」
グリゴーリイとマルファ
長年、フョードルに仕えている召使夫婦。スメルジャコフの育ての親。
無口で頑固なロバのような夫と、その夫に黙って付き従う妻。
グリゴーリィは、犯行現場から逃げるドミートリィを追いかけて殴られる。
「わたしは奴隷にひとしい人間ですがから、お上がわたしをからかうつもりなら、我慢せねばなりません」
(ヒロインたち)
アグラフェーナ・フィリポヴナ(グルーシェニカと呼ばれることが多い。)
この物語のヒロインその1。
大金持ちの商人のお妾さんで、すごい美人。
フョードルとドミートリィから言い寄られており、物語の最初のほうでは、二人をからかって遊んでいる。十代のときにポーランド人の将校に騙されたことがあり、そのことが原因で、やや男性不信気味。
物語の途中から、突然、ドミートリィのことを好きになる。
「あたしってそういう女なの。妬かれても、腹は立たないの。あたし自身、気性が激しいから、あたしのほうが妬くんだわ」
カテリーナ・イワーノブナ
(カーチャと呼ばれることが多い。)
この物語のヒロインその2。
大金持ちになったお嬢様。すごい美人。ドミートリィの婚約者だが、本当はイワンのことが好き。ツンデレ要素満載……というか、ツンデレ要素しかない。
イワンのことが好きなゆえに、イワンを苦しめたり、ドミートリィへの恨みが忘れられないくて執着しているだけなのに、愛している、あなたの妹になりたい、とか言い出したり、生きていくのが大変そうなドSお嬢様。
カーチャとグルーシェニカの直接対決は、この物語の見どころのひとつ。
「あんな女、鞭でひっぱたいてやるといいのよ。断頭台で、刑吏の手で、みんなの見世物にして!!」
リーズ
大金持ちで美人な未亡人、ホフラコワ夫人の一人娘。
十四歳(確か。)正真正銘の厨二。小児麻痺が原因で、車いすの生活をしている。
アレクセイと相思相愛の間柄。
だが、いいものだけではなく悪いものにも心惹かれがちな年頃のため、ときどき訳の分からないことを言い出す。
「指を切り落とされた子供も素敵だし、軽蔑されるのも素敵だわ」
(修道院の僧たち)
ゾシマ長老
(長老とは、ロシア正教会の高位の僧が持つ尊称)
アレクセイのメンターである聖人。
若いころは、貴族によくいる、傲慢で農民を奴隷のように見下す性格だったが、無抵抗の部下を殴ったことをきっかけに悟りを開く。物語の途中で、突然、自分の過去の話を70ページくらいにわたって話し出し、初めてドストエフスキーを読んだ人をびっくりさせる。
若くして兄が死んだり、横恋慕したあげく人に決闘を挑んだり、友達から殺人をしたことを告白されたあげく殺されかけたり、けっこう波乱万丈な人生を送っている人。死んだあとまで、人より早く腐った死体になったことでつべこべ言われてしまう。
聖人も大変である。
ラキーチン
修道院における、アレクセイの同僚。嫌な奴。それだけ。
お金持ち大好きなので、ホフラコワ夫人にアプローチしてみる。でも、相手にされない。それだけ。
(その他)
スネリギョフ
退役した軍人。あだ名はへちま。
フョードルの頼みで、ドミートリィのところにお使いにいったら、ドミートリィにぼこられた不運な人。想像を絶する貧乏人。ちょっと頭のねじが緩んだ奥さんと、三人の子供と暮らしている。
「へちまは、自分の名誉を売りはいたしません」
イリューシャ
スネリギョフの息子。たぶん、小学校四年生くらい。
お父さん思いの、誇り高い、心優しい男の子。なんと最後、死んじゃう。かわいそす。
「僕が大きくなったら、あいつに決闘を申し込んで、殺してやるんだ」
コーリャ・クラソートキン
イリューシャの友達……というかメンター。子供たちのボス格。
頭がよく大人びた性格。背伸びしてクールにふるまっているが、本当は友達思いの心優しい性格。趣味は、線路に寝ること。
イリューシャを通して知りあったアレクセイを、深く尊敬するようになる。
「このニコライ・クラソートキンに命令できる人間は、全世界に一人きりしかいないんです。それがこの人ですよ」
他にもたくさんの登場人物がいるのですが、物語の筋を追うだけなら、このくらいを押さえておけばOKです。
「わりと細かいあらすじ」
カラマーゾフ家の父・フョードルと長男のドミートリィは、長い間、チェルマーシニャ村の利権で争って険悪な間柄だった。そのうえ、商人サムソーノフの妾、美女グルーシェニカに父も息子も惚れてしまったため、二人の間の争いはさらに激化していた。
二人の争いを修道院に仲介してもらうために、カラマーゾフ家の一同が久々に修道院に集う。しかし、そこでの話し合いも不首尾に終わり、フョードルとドミートリィの不仲は決定的なものとなる。
ドミートリィは、カテリーナという、若い大金持ちの娘と婚約している。
彼はカテリーナから三千ルーブルという大金を借りているが、何としてもそれを返済して、グルーシェニカと一緒になりたい。
彼は父親から遺産を分けてもらうのは正当な権利だと主張し、父フョードルを日ごろから脅している。しかし、強欲なフョードルは遺産を分け与えようとはしない。遺産を分け与えれば、グルーシェニカを奪われる可能性もあるからだ。
そんなある夜、フョードルが何者かに殺され、三千ルーブルが奪われる。
同じ日の夜、カラマーゾフ家の召使・グリゴーリィは、塀を乗り越えて逃げ出すドミートリィを見つけ捕まえようとする。だが、ドミートリィに殴り倒され気絶する。
ドミートリィは血まみれのまま、商店に行き、たくさんの食物や酒を買い込む。無一文のはずの彼が、何故か大金を持っていた。
ドミートリィが向かった村の宿では、グルーシェニカが、昔の恋人と再会していた。かつての恋人はすっかり面変わりしており、グルーシェニカは、ずっと彼のことを忘れずにいた自分に、嫌気がさしていた。
ドミートリィは、自分がグリゴーリィを殺してしまったと思っており、グルーシェニカのいるところで自殺するために、ここにきた。
かつての恋人に幻滅したグルーシェニカは、ドミートリィの愛を受け入れる。ドミートリィはそのために、生きたいという気持ちになる。
警察官と検事が、ドミートリィを父親殺しの罪で逮捕しにきた。
ドミートリィは、「父フョードルを殺したのは、自分ではない」というが、信じてもらえない。
ドミートリィは逮捕され、裁判にかけられる。
フョードル殺しの真犯人は、スメルジャコフだった。
彼はイワンに、「あなたに示唆されて、やったのだ」と告げる。
自分がイワンに教えられた思想によれば、全ては赦されるはずだ、なぜならこの世界に神はいないのだから、と言う。
そして、自殺する。
イワンはスメルジャコフの告白に戦慄し、真実を明らかにするか悩む。
自分が従犯として訴えられることを覚悟して、イワンは法廷で真実を話すが、兄をかばうための嘘だろうと、誰にも信じてもらえない。
イワンのことを愛するカテリーナが、イワンをかばうために、ドミートリィが酔って書いた告白書を提出したため、ドミートリィの有罪が決定する。
彼は無実だが、犯された罪を背負うために、抗弁せずにシベリアへ行くことにする。
「カラマーゾフの兄弟」のテーマ
色々なテーマが重層的に詰め込まれた物語ですが、 粗筋の中で赤字にした文章が、「カラマーゾフの兄弟」の最も重要なテーマだと思います。
「神はいるのか、いないのか?」
「いるとすれば、神がいるはずのこの世界で、何故、悪が存在するのか?それはいったい、何のためなのか?」
「神がいないとすれば、どのような悪でも許されるのではないか?」
それが、無神論者イワンが持った思想であり、問いです。
その問いにアリョーシャが
「キリストこそが、すべての罪のために自分自身の血を流し、そのことによってすべての人を赦し、世界を調和させている」
と答えます。
アリョーシャのその言葉に対してイワンがさらに重ねた問いが、この物語の最も有名な部分である「大審問官」という叙事詩です。
「人間にはそもそも、自分自身で、自由に善悪を考えて生きることは、重荷なのではないか? 自由に何かを考えたり行動することじたい、人間にとっては酷なことであり、自由な信仰を与えることは、愛情でもなんでもないのではないか? むしろ、その思想や感情を制限して、余計なことは考えさせずに生きるために困らないパンを与えることだけが愛情だと考えられないか?」
という思想を説いています。
「本当に自由にモノを考えられる人間なんているの? 自由がいいものなんていうのは理想論で、本当は大多数の人間にとっては、それは重荷でしかないんじゃないの?」
現代を生きる私たちにも、ちょっとドキッとさせられる考えですよね。
「カラマーゾフの兄弟」は、ヨーロッパの人が当たり前のように持っているキリスト教的な倫理観に対する違和感を、徹底的に追求した物語です。
「罪に対する赦し、とは何なのか」を問うた物語です。
現代に生きるわたしたちにとっても、非常に重要なテーマが語られていると思います。
単純に物語としても、とても面白いです。
興味を持った方は、ぜひ、読んでみてください。
自分は新潮社版で読みました。
光文社版は読みやすいけれど、訳文に賛否があるようです。
でもごめん、本当は「白痴」が一番好きだ(*'▽')
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