うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

メンヘラに好かれる人の特徴と、付き合ったときの対策。

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メンヘラとは何か?

メンヘラとはもともとは「精神疾患や心の症状を患っている人」をさすネットスラングです。

本当に精神疾患を患っている場合は、何の知識もない素人が対処するのは難しいと思います。本人もとても苦しい思いをしていると思うので、すみやかに専門機関の受診を勧めましょう。(この見極めもなかなか難しいのですが。)

 

今回の記事で取り扱う「メンヘラ」は、専門機関などで受診などしていない、もしくは受診しても病名がつかないいわゆる「病的なかまってちゃん」くらいと定義して話を進めます。有名人でいうと、安藤美姫みたいなことを呟くタイプを想定しています。

 

メンヘラに好かれやすい人

ネット社会だと小石を投げればメンヘラに当たるくらい、かなりの率で意味深なことを書き込みをするかまってちゃんに遭遇すると思います。

 

「I born to die(死ぬために生まれてきた)」

 

こんな書き込みがあったりね。

電話がかかってきたことに気づかなかったら、着信履歴が何十回と残っていたとか。

 

メンヘラあるある。

 

メンヘラにまったく好かれない人がいる一方で、やたら好かれる人も存在します。

「自分は好かれやすい」

という人は、けっこういると思います。

 

メンヘラに好かれやすい人には、何かしら傾向があるのではないかと前々から思っていました。

色々と考えた結果、たどりついた結論はこれです。

 

罪悪感を感じやすい人

 

メンヘラに最も好かれやすい人の条件は、これだと思います。

 

何故かというと、メンヘラというのは「相手の罪悪感を刺激することによって、他人をコントロールしようとする」人間だからです。

一応、メンヘラのために弁護しておくと、無意識でやっている人がほとんどだと思います。(だから性質が悪いという意見もある。)

 この「罪悪感を刺激することによって他者をコントロールする方法」というのは、非常に有効です。この方法をテクニックとして使ってくる詐欺などもあるので、注意が必要です。

 

「罪悪感を感じやすい」とは、どんな状況なのか?

「罪悪感を感じる状況」というのは、「自分が悪者で、相手が被害者のように感じる状況」のことです。「自分が強者で、相手を一方的に傷つけているような感覚」と言ってもいいかもしれません。

 

例としては、

 

「自分が上司で、新人の若い女の子を軽く注意したつもりが、相手が泣き出してしまった」

「おばあちゃんが一生懸命、編んだ手編みのセーターがまったく趣味に合わないものだたので、受け取らなかったらものすごく悲しい顔をされた」

 

こういうときに感じる感覚のことです。

上司が部下のミスを叱るのは当然だし、自分が頼んだわけでもないいらないものを「いらない」というのは当然だと思います。

それなのにまるで自分が悪いことをしたかのような感覚を味わうことによって、叱ることをやめたり、いらないセーターを受け取らざるえなくなる。

 

これが「罪悪感を刺激することによって、他者をコントロールする方法」です。

「自分はあなたの言動で、こんなに傷ついているんだよ」という姿を見せることによって、相手に「自分さえ我慢すればすべてが丸く収まるのに、その我慢をしない自分は悪い人間なんではないだろうか」と思わせ、相手の行動を自分の思う方向へ持っていきます。

 

日常生活でもありがちなことなので、お互いさまといえばお互いさまです。ただ、こういう方法でしか他者と深い関係を結べないのがメンヘラと呼ばれる人たちです。

 

「 罪悪感を感じやすい人」とはどんな人か

罪悪感を感じやすい人というのは、「その場で起こっている現象の責任が、自分にあると感じやすい」という特徴を持っています。自分が原因だから、「自分が何とかしなくてはならない」という思考を辿りやすいです。

 

例えば誰かが不機嫌そうにしていたとき、普通ならば「何かあって機嫌が悪いのかな?」くらいにしか思いません。

罪悪感の強い人は「自分が何かをしてしまって、相手は不機嫌なのではないだろうか?」「この人の機嫌をよくなるように、何かしなければいけない」そんな風に考えがちです。

メンヘラ傾向の人が落ち込んでいる様子や辛い様子を見せたときも、罪悪感を感じやすい人は、「自分が何とかしなければならない」と考えます。

 

誰かが意図的にその人を傷つけようとした場合を除いては、感情というものは基本的に本人に責任があるものなので、他人がどうこうしようとしなくていいと思いますし、するのは難しいです。

 

誰かを喜ばせようという目的で行動した。⇒だが、結果喜ばせられなかった。

 

これは仕方がないことです。

これ以上に、「喜ばせようと思ってやったのに、喜ばないことを非難したり」「喜ばせることを目的として、喜ぶまでありとあらゆることをする」のは、他人をコントロールしようとする行為です。

「喜べない」という感情は、本人が責任をとるものであり、その人を喜ばせなければならない義務は存在しないということです。

 

「他人の感情という、自分ではコントロールできないものの責任を負わされる」という感覚を持ってしまうと、人間関係が非常につらいものになります。

メンヘラというのは、この辛さを常時他人に負わせる人たちです。

ネガティヴな感情を自分だけでは抱えきれず、他人にさらけ出すのは、相手にかなり負担を負わせる行為です。

 

ネガティブな感情を持たない人間はいません。自分ひとりで抱え込めないときは誰にでもあるでしょう。親しい人同士ならば、愚痴や泣き言の言い合いはお互いさまだと思います。

ただそれがどれほど他人に負担をかけるかを自覚せず、不特定多数の人間に言ったり、そういう姿勢でのみ他人と関わるのは、いかがかなものかということです。

 

メンヘラと罪悪感を持つ人は相性がよく、最悪のループに陥りやすい

メンヘラは基本的に「誰かに依存したい人」です。自分の持つネガティブな感情を自分自身で責任を持たず、誰かに背負って欲しいと思っています。

一方、罪悪感を持つ人は、「誰かに何かをしてあげたい人」です。誰かに何かをしてあげることによって、罪悪感を払しょくしたい。もしくは「自分は誰かの役に立っている」という感覚を得ることによって、無力感を感じないようにしたいのです。

 

相性的には凹凸のようにぴったりです。

問題なのは、メンヘラは「(ネガティブな感情の解消などの)問題解決を求めているわけではない」ので、いつまでたってもずっとネガティブな状態のままい続ける、ということです。

そうすると、その一見、不幸に見える状態からメンヘラを助けようと頑張れば頑張るほど、無力感と何もしてあげられない罪悪感を感じるという負のループに入ります。

 

この負のループの行きつく先は、どうなるか?

 

交際相手や友人関係など、解消できる関係性の場合は、罪悪感と無力感に耐えきれず逃げ出します。

自分がいくら頑張っても(もしくは頑張らなくとも)、ずっと不幸そうな相手といることは耐えがたいからです。

自分が少し明るく楽しそうにしていただけで、「いいね。〇〇は私(オレ)と違って幸せそうで」なんて言われたら、その人の目の前で笑うことすらできなくなりそうですね。

ただ解消できる人間関係の場合は、まだマシです。

 

問題は夫婦、親子など、解消できない人間関係の場合です。

どうなるかと言うと、周りの人間が全員、暗く不幸になります。明るく楽しく幸せになることに、罪悪感を感じるようになるからです。

家族内のメンヘラは、見捨てることもできません。「苦しんでいる家族を見捨てるのか」と周りも、自分自身も責めるからです。

自分の感情の処理を他人に押しつけようとする人間なんて、家族だろうが何だろうが見捨てて一向に構わないと思いますが、なかなかそういうわけにもいかないようです。

 

人間関係は、善悪でははかれないけれども…。

人間関係というのは、善悪や損得だけで図れるものではありません。

第三者から見れば、恐ろしく不毛な人間関係でも、お互いが良しとしているならば、外から何やかやという必要はないと思います。

 

でももし、自分はメンヘラに好かれやすく、いつも最後は受けとめきれない、理解しきれないで終わる。せっかく好きになって付き合ったのに、消耗しただけで終わってしまう。

これはいったい、何故なんだろう??

そんな風に疑問に思ったときは、自分自身のことを見直してみるいい機会なのかもしれません。

あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知

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