先日、BUMP OF CHICKENの「K」について、男女で解釈に差があるという記事を読んだ。
自分はBUMP OF CHICKENは、「天体観測」と「カルマ」くらいしか聴いたことがないまったくの門外漢だ。
なので、これから語ることは熱狂的なファンから見れば、「へそが茶をわかすわ」と言いたくなるような的外れなことかもしれない。そういう見方をする人間もいるんだ、というくらいの気持ちで読んでいただければと思う。
自分が受けた衝撃をそのまま書きたかったので、他の人の解釈などは一切読んでいない。この記事を書いたあと、じっくり読みたいと思っている。
「K」の歌詞とその感想を読んだ
まず「K」という歌詞は、物語仕立てになっているので簡単にストーリーラインを説明する。気になる人は、実際の歌詞を確認して欲しい。
誰からも忌み嫌われる、それゆえに孤独を愛する名無しの黒猫がいる。
その黒猫はある日、無名で貧乏な絵描きに「自分たちは似ている」と言われて拾われる。
絵描きは猫に「黒き幸」「ホーリーナイト」という名前を与え、二人は友達になり一緒に暮らす。
絵描きは来る日も来る日も、友であるホーリーナイトの絵だけを描き続けた。
絵はまったく売れず、絵描きは死ぬ。絵描きは死ぬ直前、故郷にいる自分の恋人に手紙を渡して欲しいとホーリーナイトに託した。
ホーリーナイトは恋人の下に辿りつき手紙を渡したが、力尽きて死んでしまう。
恋人はホーリーナイトの墓を作り、そこに「K」という墓標を立てる。
元記事では、「多くの男性が、猫が可愛そうというが、女性である自分は、恋人こそかわいそうじゃないか、夢を捨ててでも、恋人のために働いて一緒にいることが真の愛情ではないかと思った」と語っている。
それに対して、自分はこのようにコメントをした。
知らなかったので、歌詞を見てきた。「自分が何のために生まれてきたのか」という、存在意義を問うている歌だと思う。この歌詞で恋人に感情移入する人がいる、ということが自分にはむしろ衝撃。ほんと人は色々だ。
人が何を感じるかというのは、当たり前だがその人の自由である。なので、決して揶揄しているわけでも何でもなく、自分は本当に衝撃を受けた。
歌詞にも衝撃を受けたし、この歌詞で恋人に感情移入をする人がいるという事実にも衝撃を受けた。
口では「人は一人一人違う」と言っていても、「他人というものは自分にとっては図り切れないものなのだ」ということを忘れがちなのだと思う。
そういうことを教えてもらったということと「K」という素晴らしい歌を紹介してくれたということに対して、この元記事の筆者の方にはとても感謝している。
自分がこの歌に対して最も強く感じた感想は、「猫がかわいそう」でも「恋人がかわいそう」でもなく、
猫がうらやましい。
だった。
歌詞の中で、「忌み嫌われた俺にも意味があるとするならば、この日のタメに生まれて来たんだろう」とあるが、これが自分はこの歌詞の最も重要なテーマであると感じている。
この歌は「自分とはいったい何者であるか。何のためにこの世に生まれてきたのか」ということを問うた歌なのだと思っている。
「自分は何者で、何のために生まれてきたのか」
「自分が一体何者で、この世界に何のために生まれてきたのか」
「K」が語るこのテーマと、まったく同じテーマを語っているのは「HUMTER×HUMTER」のキメラアント編である。
蟻の王であるメルエムは「王は生まれながらの王で、名前などない」という部下の言葉に納得せず、自分の固有の名前に非常にこだわる。
「お前は誰だ?」と問われたときに、人はまず自分の名前を答える。
極論を言えば、「名前」というのは、その人間(物でもいい)の総体を記号化したものなのだ。
「自分」という存在の全てを包括した記号、それが名前である。
蟻の王メルエムは王であるが、「王」という言葉はメルエムそのものを指すものではない。「王」ではなく「メルエム」という言葉に、彼の存在そのものが凝縮されているのである。
人は自分の名前を呼ばれたときに、その人に自分という存在を認識されたと感じる。だからメルエムはあれほど自分固有の名前にこだわり、コムギにも「名前を呼んで欲しい」と言うのだ。
まったく同じことを17巻でレイザーも言っている。
周りから「あれ」「お前」「そこの」としか呼ばれてこなかったレイザーが、ジンに「レイザー」と名前を呼ばれ、「頼んだ」と言われる。
レイザーは名前を呼ばれ、頼んだと言われたことで、初めて「レイザーとしての存在意義」を与えられた。
「K」では、黒猫は絵描きによって、はじめて「黒き幸 ホーリーナイト」という名前を与えられる。名前を与えられたとき、そしてその名前を誰かに呼ばれたとき、人ははじめて自分という存在に形を与えられ、「他の誰でもない自分」として存在することができる。
名前というものはそれぐらい、本来、その個人にとって神聖であり本質を表すものなのだ。
黒猫は「ホーリーナイト」という名前を与えられ、友人である絵描きに「恋人に手紙を届けてくれ」と頼まれる。その手紙を届けるとき、黒猫は
「自分はこの日のために、生まれてきた」
と実感する。
他人から見れば、「絵描きの恋人に手紙を届けるためだけに、生まれてきた???」と思い、ピンとこないと思う。
蟻の王メルエムは、人類を滅ぼすほど巨大な力を持ちながら、コムギと軍議をうち新手を発明し続け、コムギに「自分はこの日のために生まれてきたのだ」と言われた瞬間に「自分はこの瞬間のために生まれてきたのだ」ということを知る。
世界を思うがままにできるほどの強大な力を持ちながら「自分がいったい何のために生まれてきたのか分からなかった」メルエムが、「この瞬間のために生まれてきた」という感覚を得るのは、自分が小指ひとつで殺せるような人間とゲームを興じている瞬間なのだ。
他人から見て、どれほどつまらないことであろうと意味のないことであろうと、人には「自分が何のために生まれてきたのかが分かる感覚」を得ることがある。
「ヒカルの碁」の佐為が、「自分はヒカルに、自分と塔矢行洋の勝負を見せるためだけに、そのためだけに千年の時を生きながらえてきたのだ」と悟るように。
「自分が何のために生まれてきたのか」「自分の存在意義とは何なのか」ということは、人間にとっては究極の問いであり、そんなことを思いつきもしない人もいる。
この問いの難しいところは、「世間的には十分幸せ」「傍から見れば大成功を治めた人生」をおくっている人だからといって、「自分はこのためにこそ生まれてきたのだ」という感覚を得ているわけではないということだ。
「自分とはいったい、何者なのか」「自分は何のために、この世界に生まれ、生きているのか」
個人的には、人生というのは、その問いを自分自身で見つけ出すための長い旅路なのではないかと思っている。
この黒猫のホーリーナイトは、「自分が何者であり」「自分が何のために生まれてきたのか」という大多数の人間が人生を賭けてさえ知ることができない、究極の問いに対する答えを得ることができたのだ。
例え大多数の人間が自分のことを「悪魔の使者だ」と罵り、石を投げつけたとしても、自分は自分が「ホーリーナイト」であることを知っている。自分が何者であるか知ったあとは、誰にどれほど罵られようと蔑まれようと、「自分が何者であるか」を見失うことはない。
だから彼は、何度も何度も自分の存在そのものである、自分の名前「ホーリーナイト」を歌詞の中で叫ぶのだ。
自分にとってこの「K」という歌は、「自分」とは何なのかという究極の問いを人生を賭けて追い求め、その答えを得ることができた人間の物語である。(猫だけど)
歯噛みをするほど羨ましくて仕方がない。
そして、これほど深い問いをストーリーに埋め込んで、なおかつ歌にまでしてしまう藤原基央の才能に、空恐ろしさを感じる。
今まで「BUMP OF CHICKENは、他のバンドとはひと味違う」という主張をする人が多いのは、何故なんだろう??とずっと疑問に思っていた。なるほどこういうことかと合点がいった。
この歌は、こういう悩みなり疑問なりを持つ人には、恐らく深くコミットしてしまう可能性があり、すんなり自己実現させてしまう可能性があるとても危険な歌だと思う。(当たり前だが、歌そのものや藤原基央が悪いわけではない。)
それがどう危険なのかは、コチラ↓の記事で語っています。
この記事で書いている「強い呪縛性を持つ物語」に当てはまると思う。
こういうものに出会ったときにつくづく思うのは、「自分が20歳前後の、バンドでプロを目指す人間じゃなくてよかった」ということだ。
自分がそんな人間だったら、余りに圧倒的な才能というものを見せつけられて絶望のどん底に沈みそうだ。モーツァルトの音楽を聴いてしまったサリエリのように。
自分にとって「K」の歌詞は、このように感じられるものだった。
上記の記事でも書いたが、優れた物語性を持つ創作物というのは、多様な解釈をすることができ、人の心を様々な形で揺さぶることができる。
自分とは違う解釈の仕方をしている人を否定するつもりはまったくないし、その裏返しとしてBUMP OF CHICKENをほとんど聞いたことがない自分のこんな解釈の仕方も、広い心で受けとめていただければと思っている。

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キメラアント編のラスト。泣ける。