むかし、自分がずっと読んでいたブログが、突然消えていたことがあった。
ほぼ毎日更新していたので、空いた時間を見つけて読みにいくことが習慣になっていた。
自分はそのブログが大好きだった。
変化は急に起こった。
それまでほとんど毎日、更新されていたのに、急に更新されなくなった。
最初はプライベートで何かあったのかな?
急に忙しくなったのかな?
落ち着いたらまた更新されるだろう、そう思っていた。
しかし、三日たっても四日たっても、一週間たっても、一か月がたっても更新されることはなかった。
ブログの筆者と知りあいでも何でもないから、「何かあったんですか?」と聞くこともできなかった。
ただ、更新が止まったブログに何度か足を運び、何も変化がないことを確かめるだけの日々が続いた。
そんなことが一か月か二か月たったある日……。
ブログが消えていた。
「お探しになったページは見つかりませんでした」
そんな画面が出るだけになった。
その筆者に何があったのか、なぜ、ブログごと消してしまったのかは分からない。
当たり前だ。
どこの誰か、何ひとつ知らないのだから。
何があったのか知る手がかりは何もない。
ブログを書くことに飽きてしまったのかもしれない。
家や仕事で何かあって、ブログどころではなくなってしまったのかもしれない。
真相はそうなのかもしれない。
でも、自分は知っている。
何ひとつ知らない人だけれど、その人が本当にブログを書くことが好きだったことだけは知っている。
書くことも好きだし、他のブログの感想もよく書いていた。
自分なんかよりも、ずっとずっとブログというものを愛していた。
更新が止まっただけならまだしも、あんなに愛を持っていたブログそのものを消してしまった。
もしかしたら、何かイヤなことがあって、その記憶と結びつくブログの存在ごと消してしまいたくなったのかもしれない。
自分は「イヤなコメントをもらって、ブログを続けるのがイヤになりました」みたいな文言は好きではない。
様々な反応を受けとる覚悟もできていないのに、自分は見知らぬ他人に向けて情報を発信したのか、という気持ちが先に立ってしまうことがひとつ。
そしてもうひとつは、この経験があるからだと思う。
本当にブログをやめるときは弱音を吐くことすらなく、いきなり消えるのだということを知ったからだと思う。
理由なんて何も分からない。引きとめる余裕すらない。
「あなたのブログを楽しみにしている人間が、ここにいるんだ。だからやめないで」
と伝えることもできない。
ある日、突然消えてしまう。
言えばよかった。
更新が止まったときに、勇気を出して「何かあったんですか」とコメントを送ればよかった。
「応援しています。更新を待っています」と伝えればよかった。
そうしたら、もしかしたら続けてくれたかもしれない。
結果は同じだったかもしれない。それでも言えばよかった。
「弱音を吐いてくれればよかったのに」
そう思ったことがあるから、弱音を吐く人間に頭にくるのかもしれない。
その経験をしてから、ひとつだけ決めたことがある。
自分が好きなものは、自分一人でも応援しよう、と。
そして、「応援しています」とちゃんと伝えようと。
「応援しています」と伝えられることは、幸せなことなのだ。
「楽しみにしています」という言葉を受け取ってもらえることは、幸福なのだ。
自分の感情を受け取ってくれる人がいるということは、恵まれていることなのだ。
どれだけ楽しみにしていも、どれだけ心の中で応援していても、ネットの中ではある日突然、煙のように消えてしまうことがある。
理由すらも分からずに。
初めから何もなかったかのように。
福本伸行の漫画「天」の中で、最後、赤木茂がアルツハイマーにかかって麻雀ができなくなったために自殺を決意する。
最後に生前葬として、別れのために天たちを呼ぶ。
「本当は死ぬのが怖いんだろう?」という者もいた。
「自分も余命いくばくもなくて、死ぬのが怖い」という者もいた。
「今から勝負して、自分が勝ったら死ぬのをやめろ」という者もいた。
最後に主人公の天の番になったとき、天はアカギに向かってこう叫ぶ。
「生きることが素晴らしいとか、自殺は間違っているとかそんなことが言いたいんじゃない。オレだ。オレがあんたに死んで欲しくないんだ。あんたのためじゃない。オレはオレのために頼んでいるんだ。死なないでくれと」
ブログが続く続かないは、書き手本人の意思だけだ。
やめたかったら、やめればいい。
正直、興味がないブログに関しては、その言葉しかない。
でも、自分が好きなブログに関しては、天が赤木に言ったことと同じことを言いたい。
「始めたからには続けるべきだとか、イヤな反応は気にするなとかそんなことを言いたいんじゃない。あなたのためじゃない。私は私のために言う。続けて欲しい。あなたのブログをとても楽しみにしている人間が、ここにいるんだ」
もしこの先何かあって、ブログの存在ごと消したくなったとき、もしかしたら「自分のブログにもそんな風に思っている人がいるかも」ということに、少しだけ思いを馳せて欲しいなと思う。
自分が大好きだったブログは、もしかしたら名前を変えてどこか別の場所で続いているのかもしれない。
そうだったらいいなと思う。
二度と見つけられないかもしれないけれど、「ありがとう」という感謝の気持ちを、ここに置いておきたい。
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