はてな独自の文化を面白く綴った、「はてな村奇譚」を読みました。
はてなのサービスを少しでも使ったことがある人なら、楽しく読める内容だと思いました。
もともと「村」と呼ばれるほど独自の文化が強いはてなですが、
「手斧が飛び交い、相手をつぶし合う」
そういう風によく聞きます。
自分がいま体感している感じを正直に話すと、ブコメを中心に他のブログサービスよりはキツい言葉を見る確率はあるけれど、それでもそんなに言うほどかな??と思っていました。
色々な言葉から察するに、おそらく昔はこんなものではなかったのだと思います。
実際、ブログ歴が長い方の過去記事を読むとその片鱗が見られて、「そうか、こういうきっつい言及の飛ばし合いが普通だったのか」と思いました。
過去記事を読むうちに、色々な人の言葉の端々で感じられる「旧来のはてな」とはどんな感じだったのだろう?? とはてなの歴史を知りたくなりました。
それがこの「はてな村奇譚」を読もうと思ったきっかけです。
結論から言うと、旧来のはてなを知る人が、「オレの知っているはてなじゃない」と言う気持ちが少しわかりました。
良くも悪くも、今、自分が体感しているはてなとはまったく別の世界の話のようでした。
自分が「はてな村奇譚」を読んで理解した限りでは、はてな村という場所は、
自分がまだ人間だと信じている承認欲求の亡者たちが溢れる場所であり、監視する火のみ櫓に上ったブクマカたちが、火の手があがったことを確認したとたん、自分たちも怪物と化し、口からブクマとスターを吐き出して地上にばらまく。
そのブクマを争って、地上で亡者たちが蠢きまわる。
黒々とした呪いの言葉を吐き出す人間たちが化け物と化し、人間たちが集まり、手斧を片手にその化け物と戦うが、その実、その人間たちも狂った化け物。
自分は人間の心の奥底に眠っているドス黒い感情の触れ合いを見ることが好きなので、「はてな村奇譚」をかなり楽しんで読みました。こんな世界があるなら、自分もぜひ訪れてみたい、そう思います。
道徳の教科書に載っているような言葉は、義務教育でさんざん聞いて聞き飽きました。
どんなに毒々しくても、日常生活では決して聞くことができないその人の心の絶叫を聞きたい、それが本音です。
はてなブログはブコメ、増田を含めて、そういったものの宝庫です。
そういうグチャグチャのドロドロした、醜いゴミの山の中をあさることでしか、自分にとって本当に価値のあるものは見つけられない、そう思っています。
呪詛と祝福の言葉は、実は同じものなのではないか、というのが自分のごく個人的な意見です。
そう思うのは、シニカルにクソみそにはてなのことを描いているのにも関わらず、本書が並々ならぬはてな愛で溢れているからです。
本書の底に巌のように存在する、化け物だらけの最果ての地獄はてなに対する深い愛情に心を打たれました。
自分はそれほどはてな歴が長くはないので、必ずしも「古き良きはてな」を語る意見に全面的に賛同というわけではありませんか、もし自分が長く「この本の中のようなはてな」を愛していたら、同じことを言っていたかもしれません。
過去にそういうはてな愛を語った記事で、心打たれたものがありました。この記事を最後にブログをやめてしまったみたいですが、それこそ新しいIDに転生しているといいなあと思います。
自分の感覚では今のはてなは、この本に描かれているような世界とは違うと感じます。こういう世界にちょっと行ってみたかったです。
その世界は間違いなく、他のどのブログサービスにもない特色があったのだと思います。(それがどんなにネガティブな要素で溢れていたにせよ)
今のはてなだって楽しいけれど、この漫画に描かれている最果ての地獄のようなその世界を、自分はきっとそれ以上に大好きだっただろう、長くいればいるほど愛しただろう、そんな風に思いました。
手斧をザクザク刺されて、泣きながらIDを消して、二度と近寄らなかったかもしれないけれど。
いや、しぶとく転生しそうな気もする。