「高校デビュー」や「青空エール」、「俺物語」の原作で有名な河原和音が描いた「素敵な彼氏」を既刊6卷まで読んでみた。
巧みな職人芸で、「王道」を描いている。
ひと言で言えば、「少女漫画の王道」だ。
個人的には、河原和音ほど実績があり色々なジャンルが描ける漫画家が、今更なぜこれを描いたのだろうと首をひねった。
「俺物語」「青空エール」と変化球が続いたので、「今度は王道を」と思ったのかもしれない。
自分が受けた印象では、かなり肩の力を抜いて気楽に描いている感じがする。
「余計な設定は一切用いず、『王道』の要素だけを用いてどこまで描けるか」という縛りを楽しんでいるようにさえ見える。
タイトルからもその自信が窺える。一切の装飾がない無味乾燥なタイトルでも、中身で勝負できる。そう思っていなければ、ちょっとダサい、ほとんどこだわりがないように見えるこういう直球のタイトルにはしないだろう。
中身は、ベテランの職人が、新人に教えるために見せる仕事具合に似ている。
「王道」のポイントを外さず綺麗に抑えており、何をどこまで描くかという力の入れ具合をほぼ外さない。作者と作品の距離感が絶妙で、作者が入れ込みすぎて読者を引かせることもなく、かといって適当に描いている箇所もない。きっちり、自分のやるべきことを最大限出来うる限りの力で、規定通りに仕上げている。
仕事に全神経を集中させつつも、自分の仕事ぶりを見ている存在を常に意識している。
真剣だが、必死にはならない
その作品がどうこう以前に、その「巧い」仕事ぶりにまずは惚れ惚れとしてしまう。この自信と落ち着きは、経験でのみでしか得られないと思う。
「少女漫画の王道」とは何なのか。
「素敵な彼氏」は「少女漫画の王道の見本」のような漫画だ。
「少女漫画の王道」とは何なのか、ということは前に書いた。
「主人公がその中心に居座る、主人公にとっての都合のいい世界でありながら、誰にも悪く思われず、誰にも攻撃されず、誰にも罪悪感を抱くことのない世界」
これがこの構造を持つ少女漫画が最終的に目指す、ユートピアだ。
ちなみにこの世界の外にいるモブにならば、いくら攻撃されても攻撃には入らない。なぜならば、主人公は自分が作り上げた世界によって、世界外からの攻撃から守られているからだ。
これは言葉を変えれば、「世界で唯一のプリンセスになる」ということだ。
主人公と相手役、主人公の友人、友人の相手役などで主人公を中心とした小世界が形成される。
この小世界の中で話の種が尽きるまで、延々と小エピソードが繰り返される。その中で、周囲の人間が魅力的と認める異性から選ばれることによる自己実現を目指す、叙情をメインとした物語だ。
いわゆる「プリンセス願望を満たす装置」と考えていい。
この構造の物語はパッと思いつくだけでも、けっこうある。
・彼氏彼女の事情
・フルーツバスケット
・君に届け
・となりの怪物くん
・ラブコン
・ハツカレ
・高校デビュー
・キス、絶交、キス
・アオハライド
もちろん細かい違いはあるし、「彼氏彼女の事情」や「フルーツバスケット」のように重い設定を組み込んでいる話もあるけれど、コアとなるストーリーラインはほぼ同じだ。
この中で繰り返される物語も、「片思いする」「ライバルが現れる」「すれ違いが起こる」「両想いになる」
両想いになってからのイベントが「お互いの親(家族)に会う」「お互いの誕生日」「バレンタイン」「修学旅行」「初めてのお泊り」「友達の恋愛事情」「進路の悩み」とだいたい似たことが起こる。
終着点は「結婚」など、ヒロインと相手が永遠に結ばれることが予測できる地点だ。少女漫画の王道は「ヒロインを中心とした小世界が確固としたものになること」を目的としている。
少女漫画だけではなく「少年漫画の王道」も、コアだけを取り出せば同じ構造の話が多い。ターゲットとなる読者層が感情移入しやすい設定で、なおかつ承認欲求や自己実現欲求を満たせる装置として優れているものが、「王道」と呼ばれる物語だ。
より広い読者からの共感を集めようとすれば、似たような物語になるのは必然と言っていい。むしろその「コアは似通った物語」でいかに「他と差別化をはかるか」「この物語ならではの魅力を読者に感じさせるか」が腕の見せ所になる。
そういう意味では、「バクマン。」でも指摘されていた通り、「王道」というのは単純で簡単なように見えて、「型」が既にあるからこそ差異化が難しい分野だと思う。
(引用元:「バクマン。」3卷 小畑健/大場つぐみ 集英社)
「少女漫画の王道」では「エクスキューズ」が重要。
「君に届け」があれほど爆発的にヒットしたのは、自分の考えでは非常に「エクスキューズ」が上手い物語だからではないか、と思っている。
「エクスキューズ」というのは、自分の造語だ。
「なぜ(多くの場合)平凡で冴えない主人公が世界で一人のプリンセスになれるのか」「主人公(自分)一人がプリンセスになれてしまう都合の良さ」に対して、作者が読者のために用意する納得のいく説明、ないしその罪悪感軽減のための措置のことを指している。
少女漫画においてこの「エクスキューズ」は、必須と言っていい。
そうでなければ、読者はそれを絵空事としか思えず共感できない。「友達ではなく、自分がヒロインであること」が余りに露骨だと、幸福よりも居心地の悪さを感じてしまう。
具体的にはどういうことかというと、「君に届け」で言えば、爽子が人間関係の中で非常に努力している描写を入れることや、友人であるあやねや千鶴の恋愛描写もしっかりと描くこと、ライバルであるくるみとの和解と友情などだ。
「少女漫画の王道」の成否や優劣というのは、この「エクスキューズ」の配備の仕方が重要な鍵となっていると思う。
「君に届け」は「エクスキューズ」の描写が絶妙だ。
自分の中で「君に届け」の評価を飛躍的に高めているのは、ライバルであるくるみの人物像だ。
「王道」の中の「ライバルキャラ」では、ダントツに好きだ。
風早を好きになった理由も、「私のほうがずっと風早が好き」「可愛くても風早が好きになってくれないなら意味がない」と言う一途さも、陰険なやり口ではあったが、恋のために全知全能を振り絞って戦う姿勢も、振られたあと風早に「女を見る目がないもんね」という潔さと誇り高さも、常に爽子に対等の立場で正面からモノを言うところもすべていい。
ライバルキャラというのは「主人公にとって、どういう人物か」というのが全てのことが多く、ライバルのときはイヤな奴だったのに急にいい人になるなど、「都合のいいキャラ」であることが多い。
くるみの場合は爽子との距離感が変化しただけで、くるみ自身は一貫して彼女自身であるところがすごくいい。
ただすごいとは思うけれど、イマイチハマれなかったのは、他の登場人物が好きではないからだ。きちんと描かれていても、そのキャラを好きになれるか、共感できるかはまた別問題になる。(むしろ『生きたキャラ』として描かれているからこそ、好き嫌いが分かれる。)
「少女漫画の王道」は物語のコアが単純なだけに、キャラがどれだけ好きになれるか、という要素が、作品にハマれるかハマれないかに大きく関わる。
「君に届け」が王道の中の王道でありながら他の漫画と一線を画すのは、「ちゃんと生きたキャラ」になっていることが大きいのだと思う。
ちなみに周囲のキャラが、「主人公との関わりしかアイデンティティを持たない、主人公にとっての都合のいいキャラ化」すると、そのキャラはほぼ魅力がなくなり、物語は往々にしてご都合主義のつまらないものになる。
その最たる例が「破妖の剣」だ。(小説だが。)
これは作者の力量不足というよりは、得手不得手が大きいと思う。
たくさんの多様なキャラを動かし、物語を作るのが得意な作家もいれば、一人の心情を深く掘り下げ読者に強烈な印象を残すことが得意な作家もいる。
前田珠子は明らかに後者だと思う。長編は放置されているものが多いが、短編は優れた作品が多い。
「少女漫画の王道」では、「キス、絶好、キス」の藤原よしこが同じタイプだ。
「キス、絶好、キス」は中学生編が人気だったので、高校生編が連載になったのだと思う。高校生編も面白くないわけではないのだけれど、中学生編の神がかった叙情と比べてしまうと蛇足にしか見えない。
三巻に収録されていた「恋の病にドロップ三錠」も良かった。短編は本当に上手いと思うのだけれど、長編だとどうしても息切れしてしまう。
中学生編で一度は身を引いて、しかも彼氏ができたリカ先輩をライバルとして使いまわすなど(ひどい表現だが、こうとしか言いようがない)「エクスキューズ」も下手くそだ。
長編も何作か読んだけれど、物語がほとんど動かず余り面白いと感じなかった。
「王道」はほぼ「同じことを繰り返している」のがほとんどなのだが、同じことを繰り返していても、読者に同じことと感じさせてはいけない。相手との関係性が進んだ感じがしないと(少年漫画であれば、敵の強さとか)読者が飽きてしまう。
こう書くと、やはり「王道」には「王道」ならではの難しさがある。
自分が「王道の少女漫画」で一番好きなのは「ラブコン」だ。
主人公のリサが好きなことと、リサと相手役の大谷の関係がすごく好きだからだ。
「ラブコン」はそもそも、相手役である大谷がものすごくモテたり目立つ存在ではない、元カノは完全に大谷のことを吹っ切っている(むしろ大谷のほうに若干未練があった)など、「その相手に選ばれることによる唯一無二性」がだいぶ薄まっている。
プリンセス要素が強くなればなるほど、「エクスキューズ」しなければならない必要性が増えるので、「プリンセス要素を薄めることによって、エクスキューズの必要性をなくす」という手法をとっている。
「相手役が優れた魅力的な存在である」と同性から認められていればいるほど、つまり同性からの羨望が大きければ大きいほど、「なぜ、主人公がその羨望される位置につくのか」という「エクスキューズ」が、王道においては必要になる。
なぜ「必要になるのか」と言えば、現実ではほぼ起こりえない、ということが読者には分かっているからだ。(起こりえないからこそ、こういう物語に需要がある。)
現実にはほぼ起こりえないことがなぜ物語の中で起こるのかを「エクスキューズ」しなければ、読者に物語を実感させることが難しい。
「エクスキューズ」をせずに読者を共感させなければ、読者は「自分たちの現実」に近いモブに共感し出す。
そうなるとヒロインは、読者にとって努力もせずにただ幸運を享受する敵になる。ネット風に言えば、ヒロインが読者にマウントをとる装置になってしまう。
北川みゆきや青木琴美の作品のヒロインが時に叩かれるのは、「エクスキューズ」を拒否しているからだ。主人公(自分)一人がプリンセスであればいい、同性は基本的には敵という物語なので、反感を持たれることが多い。王道のように見えて、実は邪道の物語だ。
この二人の作品には読んでいて首をひねることが多いが、少年漫画における「ダークヒーローもの・アンチヒーローもの」のような位置付けなので、「王道」とは違う読み方をしたほうがいいかもしれない、と思っている。
ということを踏まえての「素敵な彼氏」の感想
自分個人の意見としては、巧いのだけれど巧すぎる気がする。
例えば桐山→ののかへの想いが、直球で描かれるのではなく、ちょっとした表情や間で表されている。
「表情と行動で分かるだろう。ちゃんと描いているんだから」という気持ちも分かるんだけれど、せっかくの「王道」なのでもう少しベタでもいい気がする。
(引用元:「素敵な彼氏」 河原和音 集英社)
迷子になったふりをしてLINEをののかだけに送るとか、「ああ桐山も頑張っているんだな」と分かるんだけれど、その意味が作内でわかる描写があったほうがテンションがあがる。
現実だったら、めっちゃテンションあがるシチュだが、ののかは全然気づいていない。ここは奨平か婚約者か、どちらかに気づいて欲しいところだ。
「桐山の気持ちが本気かどうかわかりにくい」というのは、作内でも再三再四描かれているが、読者にはもう少し分かりやすくてもいいんじゃないかなあと思う。
「自分の気持ちが伝わりにくいこと」への葛藤も、もうちょっと欲しい。
個人的な好みだけど。
と、相手役の桐山は若干物足りない「素敵な彼氏」だけれど、ヒロインのののかはすごくいい。
健気でまっすぐで素直で裏表がないがんばり屋。天然でイジラれキャラ。
(引用元:「素敵な彼氏」 河原和音 集英社)
河原和音が描くヒロインは、「高校デビュー」の晴菜、「青空エール」のつばさ、「俺物語」の大和とこのタイプが多い。全員好きだな。
「素敵な彼氏」は王道の少女漫画らしく展開に意外性はないが、そのぶん安心して楽しめる。
四の五を言わずに、きゅんとできる良質な恋愛漫画を読みたいという人におすすめだ。
「王道の少女漫画」ひと言感想
このふたつは自分の中では似ていて、両方とも重い設定をやや持て余してしまっている感があった。作品と作者の距離の近さが伝わってくるところが苦手だ。
どこにでもあるような王道の漫画でありながら、どこにもないすごい漫画。
読者に「え?」と思わせることなく、主人公二人の恋愛にのめりこませてくれる。
「君に届け」の真にすごいところは、「女キャラの対等さ」だと思う。この辺りは、どこかで書きたい。
「となりの怪物くん」も好きだったな。
主人公二人よりも、夏目さんとササやんの関係が好きだった。両極にいて、ガンガン自分とは違う物のの見方を言い合えるところがいいなあと思う。
「『お前は楽でいいよな』とか、わたし、その人と仲良くなれそうです」
とかけっこうひどいこと言うな、と思うけれど、そういうことも言い合える関係っていい。
「学校一のイケメンが何故か私に?」なんていう設定だと、それだけで少し引いてしまう。
「ラブコン」は、リサと大谷が仲のいい友達という地点から始まったり、大谷は多少人気はあるけれど、勉強が苦手で背が低いコンプのある普通の男子というところなど、比較的「現実的なところ」が好きだ。
リサみたいな友達欲しい~。
久しぶりに読んだら面白かった。
「男子を男子としてしか見れない女子」と「女子を女子としてしか見れない男子」、異性が自分とは違う生物にしか見えない者同士のパターン。そういう人の考えや行動、距離感のリアルさが垣間見えるところも見どころのひとつ。
めちゃくちゃベタなんだけれど好き。
中学生編は、初恋描写の神だと思う。高校生編も面白いのだけれど、中学生編で十分だった気がする。
これだけ同性の癇に障る主人公を描けるのも才能だと思う。
「うじうじ悩んで何もしない、もしくは狡い選択しかしないのに、何故か周りが何でもしてくれる」というまさに生まれながらのプリンセス。
生まれついての姫には何をしても勝てない、ということをまざまざと思い知らされる。恭子、気の毒に…。