うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「アンネローゼというキャラの面白さに今さら気づいた」&銀河英雄伝説プチ物語論

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先日、「アンネローゼは大人しくて穏やかで控えめで自己主張もせずつまらないキャラだな、と思っていたけれど、よく読んだら自分の意志を曲げない強いキャラだ」という記事を書いた。

 

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その話の続き。

相変わらず独断と偏見に満ちた内容なので、そういうものが大丈夫な人だけお読みください。

 

前の記事は、自分で書いておきながら実はイマイチ腑に落ちていなかった。

正確には、他のかたからいただいたコメントで「自分はアンネローゼについて、まったく腑に落ちていなかった」ことを気づかせてもらった。

 

作者がキャラクターを理解していないという現象について

「銀河英雄伝説」の中で、作者がこのキャラをいまいち理解していないのではないかと思っているキャラがいる。

一人はロイエンタールで、もう一人がアンネローゼだ。

ロイエンタールとミッターマイヤーの関係性の記事の中で、ミッターマイヤーは「銀英伝的世界観の中の正しい価値観を体現している人」であり、ロイエンタールは「その価値観に憧れ、そこに必死に合わせようとしつつも上手く適合できない人」なのではないかと書いた。

【銀河英雄伝説キャラ語り】ロイエンタールとミッターマイヤーの関係についての考察。 

これが作者の心象なのではないか、と思っている。

 

「作者がキャラクターを理解していない」ということがあるのか? と思う人がいるかもしれないが、むしろ「理解している」と言い切れるキャラクターのほうが少ないと自分は思う。

作者がよく後書きで「キャラが勝手に動く」と書くように、物語内での言動からキャラクターの人格は出来上がるので、キャラクターを書き込めば書き込むほど、作者からは独立した人格になることが多い。

この「自分が理解できないキャラをどう扱うか」でも、作家の色合いが分かれる。

 

田中芳樹は自分の理解できないキャラを無理にコントロールしたり、理解しようとしないタイプであり、そこがエンターテイメント作家として田中芳樹が優れている点のひとつだと思っている。

田中芳樹は、キャラクターとの距離の取り方が非常に巧い。(「創竜伝」のように失敗しているパターンもあるけれど)

 

ロイエンタールは、作者の「銀英伝的価値観はいい」「でもそんな風には生きられない」という現実的な思いを受けとめているキャラなのではないか。

田中芳樹のエンターテイメント作品は、基本的には「その作品内の善悪」がはっきりと分かるものが多い。その善悪を体現できないキャラにも、意外と自己を投影しているのではないか。

正確には「作品内価値観における正しさ」を体現しているキャラには、自分の思想や思考を反映させていて、その正しさについていけないキャラには弱みが反映されているのではないかと思っている。

個人的には後者のほうがキャラとしては面白い。

後者のキャラの代表格は「タイタニア」のイドリス、「マヴァール年代記」のカルマーン、「アルスラーン戦記」のヒルメス、ラジェンドラにも若干その傾向がある。

例えば「銀河英雄伝説」の「悪玉」の中でも、ブラウンシュヴァイク公やトリューニヒトとリンチは、明らかに扱いが違う。リンチの場合は、その苦悩や内面がそれなりに分かるようになっている。

 

仮に「田中作品の世界」で「正しさ(理性)」と「弱さ(感情)」を両軸としたバロメータがあるとしたら、ロイエンタールは必死に理性側に行こうとしている、という立ち位置におり、それがロイエンタールというキャラの面白さだと思っている。

 

本当は怖いアンネローゼ

ではアンネローゼはどうか?

アンネローゼは、一見すると「ラインハルトが野望を達成するモチベーションのアイコン」にしか見えない。

少なくとも自分は長いことそう思っていた。

最近になってようやく、「アンネローゼは大人しくて自己主張をしないけれど、意外と自分の思い通りにしか動かない」ということに気づいた。

ラインハルトは他の人間には厳しく、キルヒアイスには甘えるのに、アンネローゼにはほとんど甘えないし物申せない、むしろ気を使っているのは何故なのだろう? ということを疑問に思うようになった。

前記事でラインハルト はアンネローゼを畏怖しているのではないか、と書いたが、自分もアンネローゼが自分の母親や姉だったら怖い。何を考えているかまったく分からないからだ。

アンネローゼが何を考えているかまったく分からないのは何故か、というと、作者もアンネローゼが何を考えているのか分からないからではないか。

 

「アンネローゼはラインハルトが好きではない」という驚愕の事実

キルヒアイスが死んだあとのアンネローゼの言動は、すごく物柔らかに見えるので、自分はこのときアンネローゼが何を考えているのか、深く考えたことがなかった。アンネローゼはラインハルトを気遣って、「私のことはいいから、あなたは自分の夢をかなえなさい」と身を引いたくらいに思っていた。(*後世の歴史家たちの解釈は一様にこの発想だ。歴史家たちは全員アンネローゼをラインハルトの「母親」として見ているが、これもよく考えると変な話だ。)

ただそれだとラインハルトと会わないという選択がよく分からない。

 

コメントをいただいた方の記事に当たり前のように「仲たがい」と書いてあって、「ああ、あれは仲たがいだったんだ」と初めて気づき、衝撃を受けた。

自分も後世の歴史家たちと同じように、「アンネローゼはラインハルトの母親代わり」という視点でしか見ていなかったので、対等の立場でアンネローゼがラインハルトに対して怒り、ケンカをするという発想がまったくなかった。

そうか、アンネローゼはキルヒアイスが死んだことで、ラインハルトのことを無茶苦茶怒っていたんだ! 今頃、気づいた。(←遅い) 

それだとアンネローゼの言動の辻褄が合う。怒り方が余りに穏やかすぎて全然わからなかった。

ラインハルトみたいに気性が激しいタイプは、アンネローゼは怖いだろう。表向きはまったく怒っていないのに、絶縁する勢いで激怒しているって……怖い、怖すぎる。

 

コメントをいただいたかたの「アンネローゼはラインハルトに冷たいし、理解していない」「アンネローゼは、ラインハルトがアンネローゼを後宮から救うために頑張ることをむしろうっとうしく思っていたのではないか」という意見を聞いて、すごく「ああ!! そうだったのか!」と思った。

ロイエンタールが「地雷がどこに埋まっているか分からないタイプ」ならば、アンネローゼは「地雷を踏んだかどうかも分からず、どこで爆発が起こっているかもわからないタイプ」だ。これは怖い。

 

今までずっと、「ラインハルトがアンネローゼを愛しているのと同じくらい、アンネローゼもラインハルトを愛している」と思っていた。これだとアンネローゼの言動は不可解な点が多いので、「よく分からない人だな」と思っていた。

それが思い込みにすぎず、実は「アンネローゼはラインハルトのことをそんなに好きではない。少なくとも、ラインハルトがアンネローゼを思うほどは」という前提で物語を眺めると、いっきに「ああなるほど」とアンネローゼの言動の意味が見えてくる気がする。

 

アンネローゼの心象は、むしろ宮廷の人に近かったのかもしれない。

アンネローゼはキルヒアイスが好きだったのだろうけれど、フリードリヒ四世のことも意外と憎からず思っていたんじゃないか、と思う。

自分の自由を奪った張本人にも関わらず、「自由のない境遇は同じ」と共感のようなものを持っていたのではないか、と個人的には思っている。少なくともベーネミュンデ夫人に対しては、「自分も彼女のようになっていたかもしれない」と同情していたセリフがあった。

アンネローゼは宮廷の中で長く暮らしていたので、ラインハルトのように「打倒すべき旧体制の貴族」という目ではなく、宮廷に生きる人を個々人として見ていたのではないか。

彼女の中では「宮廷の中でしきたりに縛られ、生きる人々」と「しきたりに縛られず、自由に生きられる人々=ラインハルト」という価値観の対立軸もあったのかもしれない。

もし仮にそうであるなら、ラインハルトはアンネローゼのそういうアイデンティティに気づかず、悪気なく無視してしまっている。ラインハルトやキルヒアイスが「汚い宮廷に入っても、それに染まらず昔のままのアンネローゼ」という目で見ることが、アンネローゼに「昔のまま変わらないでいること」を押し付けていたのかもしれない。

宮廷に入ってからの人生もアンネローゼが「それもまた自分の人生だ」と思っていたとしたら、イラつくのも自然な気がする。

二十歳前後のラインハルトに、そういうことまで察しろ、というのは酷だ。二十歳前後なんて自分の思いしか見えなくても仕方がない。

ただアンネローゼは、そういう風に自分の思いのまま生きられるラインハルトよりも、周りの環境のために自分を殺さざるえなかったフリードリヒ四世に共感していた、ということはあり得そうだ。

「権力者に無理に後宮に連れてこられた」にしては、フリードリヒ四世に対して一切恨みがましいことも言わない、悲嘆にもくれなかったのは、そういうことじゃないかと思うのだ。

フリードリヒ四世が、そういう諦念を持った人物として描かれていることも大きい。

 

フリードリヒ四世も、意外と複雑なキャラクター性を持っている。

ラインハルトをはじめ主要登場人物たちには、そういう複雑さやその底にあるだろうと「皇帝になってしまった」長年の苦悩や、最終的に行きついた諦念は一顧だにされない。(「旧貴族に生まれてしまった弊害」については、フリードリヒ四世、ベーネミュンデ夫人、ブラウンシュバイク公に対するメルカッツの評など、意外と手をかえ品をかえ言及されている。)

こういう「分かりあえなさ」を特に説明することもなく、それを考えるのか考えないのかどう考えるのかを読者に委ねるところも、「銀河英雄伝説」の好きな部分のひとつだ。

 

ラインハルトの気持ちも尤もだと思うけれど、フリードリヒ四世に対するラインハルトの冷たさも、アンネローゼには受け入れ難かったのでは、と思うのだ。

「現在の体制をどうにかするのは、例え皇帝と言えども無理なんだ。個人の力ではどうにもならないこともたくさんある。そういう無力さを味わう辛さがあなたには分からない」という気持ちはあったのかもしれない。

ラインハルトは「個人の力でどうにかできてしまう天才」なので、もちろんそんなことは分からない。「凡人ゆえの弱さや悲哀」を分かろうとすらしない。(キルヒアイスの死後は、多少変わったが)

このある種の傲慢さはむしろラインハルトの魅力のひとつだけれど、自分自身も自分の力ではどうにもならない境遇にいたアンネローゼは、反発を感じたのかもしれない。

アンネローゼは凡人ゆえに、弟であるラインハルトを理解できなかった。そしてラインハルトは天才ゆえに、宮廷に入ったあともその中でそれなりに生きてきた姉を理解することができなかった。

そうだったのか、と目から鱗がばりばり落ちる思いだ。

 

「銀河英雄伝説」という物語が、アンネローゼの気持ちをないがしろにしている。

このラインハルトのアンネローゼの心に対する悪気のないないがしろぶり(これはアンネローゼがはっきり自分の気持ちを言わないのも悪い)には、「アンネローゼは、ラインハルトが野望を達成するためのモチベーションにすぎない」という「銀河英雄伝説」という物語自体がアンネローゼをどういう位置に置いているか、ということにも重なっている。

そしてそのことに対して「私だって感情も生きてきた過程もある、一人の人間(キャラクター)なのだ」とアンネローゼが無言の抵抗を示している、とメタ視点で見ることもできる。

 

そもそも「権力者に無理やり最愛の姉を奪われた天才少年が、姉を奪い返すために皇帝の地位を目指す」という物語なのに、「姉のほうは、そんな少年をうっとうしく思っていた」というのは、物語を根底からひっくり返す驚愕の事実だ。

アンネローゼがひと言「ありがた迷惑だ」と言ったら、「銀河英雄伝説」そのものが消滅する。

アンネローゼはそれを知っていたから我慢した。

「銀河英雄伝説」という物語を成り立たせるために、自分の心をまたしても押し殺さなくてはならなかった。

「私のことを奪い返す、とか言っているけれど、私の心を無視しているという点では、皇帝もラインハルトも作者も読者もこの物語も全部同じだ」

そういう怒りをふつふつとため込みながら、「もういい、好きにしてくれ。ジークはラインハルトを庇って死ぬし。この物語は、私の気持ちなんて何の関係もなく進んでいくのだから」という思いで、フロイデンの山荘に引っ込んだのかもしれない。

そう考えると、アンネローゼ、めっちゃ面白い人だな。

そりゃあ、警護の申し出も恐る恐るになるよ。

 

もし他のかたの意見を聞かなかったら、「アンネローゼは本当はこんなキャラかもしれない」とは一生考えなかった。「穏やかで優しいけれど、何を考えているのか分からない人だな」で終わっていたと思う。アンネローゼはもちろん、「銀河英雄伝説」はこんな角度からも読めるのか、と驚いた。

他のかたの見方や読み方を教えてもらえるのは、本当にありがたいことだなと今回しみじみと思った。

 

今回意見を下さったかた、これまで意見をくださったかたも改めてありがとうございます。

銀河英雄伝説〈VOL.19〉落日篇(上) (徳間デュアル文庫)

銀河英雄伝説〈VOL.19〉落日篇(上) (徳間デュアル文庫)

 

という視点で物語を読み返すと、とんでもないことになりそうだ。 

 

続き。フリードリヒ四世、キルヒアイス、ラインハルトについて。

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