ジョルジュ・バタイユの本はタイトルに心惹かれるものが多かったので、処女作の「眼球譚」を読んでみた。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,生田耕作
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 文庫
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裏表紙に「サド以来の傑作と言われるエロティシズム文学」と紹介されている通り、一般的には特殊と思われる性行為を登場人物たちが延々とやり続ける、という内容だ。
「そういう内容だ」と知らないで読むと目が点になる可能性が高い。
排泄系やネクロフィリアを未成年とおぼしき登場人物が嗜むという内容なので、苦手な人は手にとらないほうがいいと思う。
そういう性的行為が続く内容の執拗さには辟易するが、嫌悪はほとんど感じない。
読んでいてこれを通して作者が何を目指しているのかが分からず、だんだん不思議な気持ちになってくる。生々しい内容なのに、現実離れした、おとぎ話か信仰の告白のようなものを聞いているような気持になるのだ。
そういう訳の分からなさの中で、第一部「物語」が終わる。
第二部「暗合」は、「物語」に対する作者の解説になっている。
それを読んで、やりきれない気持ちになった。
「眼球譚」は夢想や妄想ではない。バタイユが本当に「経験したこと」をベースにしている、ということに気づくからだ。
自分にとっては「ありえない気味の悪い妄想」だと思っていたものが、作者の実人生に深く結びついていることだったのだ。
バタイユの父親はバタイユが物心ついたときから、病気で視力がほとんどなく身体が不自由だった。自分の親しい人が自分の目の前で排泄行為を行う、というのは作者にとっては幼いころから日常だったのだ。
父親は梅毒に犯され、脊髄癆にまで進行する。病気による激痛や、人格の荒廃などが起こり、家族に対して信じられないような暴言を吐くこともある。
バタイユは子供のころは父親に一番なついていた。しかし父親の病態が進むにつれ、父親に対する感情は嫌悪や憎悪に変わる。
夫の病気のせいか、他の要因も重なったのか、母親も精神的な病に犯され、バタイユは母親が発作的に自分を殺しにくるのではないかということにまで警戒しなければならなくなる。
「眼球譚」には主人公二人が性行為に引き込む、マルセルという少女が出てくる。マルセルは追い詰められ最後は首を吊って死ぬのだが、バタイユの母親も「家の屋根裏部屋にぶら下がっている」ところを見つけられ命をとりとめている。
バタイユは「母親とマルセルが同一人物と言い切ることは行き過ぎ」と言いつつも、マルセルと母親は重なる部分もあるとしてこのエピソードを上げている。
また父親が神父であることも(のちに無神論者になったようだが)、「眼球譚」の主人公二人が犠牲者として僧侶を選ぶことと無縁ではないように思える。
父親が視力を持たないことも、作者の眼球への異常な執着につながっている。
「暗合」は内容の割には、ほとんど感情が込められていないように感じる。
起こった出来事を淡々と記録していて、自分の心の動きも俯瞰して記している。
だからこそ、作者が無防備な子供のときにどれほど深く取り返しがつかないほど傷つけられたかが伝わってきて、やるせない気持ちになる。
父親にたいする私の愛情は底深い無意識的な嫌悪に変わった。(略)
脊髄癆の閃光的苦痛が絶え間なく彼から引きむしる悲鳴を耳にしても、いまや心の中でひそかな喜びを味わうのだった。
(引用元:「眼球譚」(初稿) ジョルジュ・バタイユ/生田耕作訳 河出書房新社)
私の信仰は逃避の企てに他ならない。なんとかして、私の宿命をそらしたかったのだ、父を捨て去りたかったのだ。
私は自分が取り返しのつかぬ≪盲人≫であることを、(略)父のように、この地上に≪置き去りにされた≫人間であることを知っている。
地上の、または天上の、だれひとりとして、断末魔の父の苦悩を構いつけなかった。
(引用元:「眼球譚」(初稿) ジョルジュ・バタイユ/生田耕作訳 河出書房新社)
父親に対する怒り、嫌悪、そういう気持ちを持ってしまうことや、父親を見捨てたことに対する罪悪感。
それでも父親が、自分を生み出し、自分の人生に深く関わった自分の一部であることに対するどうしようもない葛藤と苦しみが、全て伝わってくる。
さらにやりきれないのは「眼球譚」を書くにあたって、「ロード・オーシュ(便所神)」と名乗っていることだ。
「トイレの神様」のような意味合いだったらいいが、恐らく違うだろう。
自分を当たり前のように汚らわしいものと考えていそうで何とも辛い。
誰かに自分自身をそんな風に思わせるのは、許されないことだ。
この本の正直な感想を言えば、「気の毒に」以外にない。
でもバタイユは自分が深く傷つけられた経験を直接語るのではなく、物語に昇華したり、そこから優れた独創的な思想を生み出した。
バタイユは同情して欲しかったわけではないし、罪悪感を持って欲しかったわけでもないと思う。
誰かが自分の書いたものを作品として読んで、よく分からないなりに受け取ってくれればそれで良かった、そんな気がする。あくまで作品として読まれたいという矜持もあっただろう。
だから「気の毒に」とか「大変だったろうな」と思っても、感想がそうだとは言いたくない。
数年に一度、「読みました」以外の感想が出てこない本がある。
「あなたが死んだ五十年後に生きている人間が、あなたが書いた文章を読み、書かれたことを受けとりました」
墓前に花を添えるように、それだけを伝えたい。
興味がわいたのでこちらを読み始めた。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,出口裕弘
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/06/10
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