うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

起業リアリティショー「メイクマネー」を見て、「世界観が違うと話がかみ合わない」とはどういうことなのかを学ぶ。

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You Tubeで公開されている「起業リアリティショー メイクマネー」を何気なく見始めたら面白かった。(*NEWSPICKSのレギュラー番組の番宣で、全編見るには加入が必要。自分はYou Tubeに公開されているぶんしか見ていないが、十分楽しめた)

 

事業に出資して欲しい人が審査員の前でプレゼンを行って、番組から(もしくは審査員個人から)出資してもらえるかどうかを決める番組で、「マネーの虎」に似ている。

プレゼンターが持ってくるアイデアや、それに対する審査員の指摘や提案も面白かったが、一番面白いと感じたのは「どうしたら自分と関係ない、自分と思いを共有していない地点から始まる赤の他人の心が動くのか」ということが見れるところだ。条件が同じなので「興味を持ってもらうことに成功した人と失敗した人」を比べやすい。

出資の依頼に限らず、日常生活でもネットの発信でも通じることなので、興味深かった。

 

出演者のほとんどが、損得勘定以前の「自分の価値観や信念」からアイデアを出発させている。

「ドローンハンティング」の鯉渕さんは、害獣がただ駆除されるだけということへの疑問が出発点であり、「こだわり食材のマーケットプレイス」の秋元さんは野菜の見た目だけではなく味を評価して欲しいと思っている。「バーチャルキャバクラ」の愛田ももさんは、キャストの安全と客の満足度を両立させたいという思いがあるし、「アイディア守り隊」の斎藤さんはいいアイデアが生まれてもより強い力を持つ組織にそのアイデアがとられる不公平をなくしたいと思っている。

「UNDER30」版でも「フードロス」を減らしたい川越さんや、「完全無欠の生パスタ」で食生活を手軽に健康なものにしたい橋本さん、障がい者を雇用する企業向けの学習サービスで、障がい者雇用を安定させたい志村さんなどが出てくる。

多くの人が、利益以前の価値観を出発点にしていることが意外だった。

「スマホで在庫管理ができる」の長浜さんのように、実益重視のアイデアの人がほとんどだろうと思っていたからだ。

 

自分が見た限りでは、「アイデア自体が箸にも棒にも引っかからない」というのはなかった。

「事前調査や計画の甘さ」は、審査員に受け入れられるか否かが左右される部分ではあると思う。しかしそれが絶対でもない。

例えば「フードロス」の川越さんは、営業面や細部の考え方などは、自分でさえ「うん?」と思うような甘さがある。それでも審査員たちは興味津々で聞き入っていて、むしろ川越さんのアイデアをどんどん改良したり改善したりして、より良い形にしていっていた。

 

番組を見ていて思ったのは「自分と他人は物の見方や感じ方が違う」ということが前提にない人の話は、多くの場合、興味や魅力を感じてもらえないということだ。

「自分とは違う物の見方で、アイデアを検証していない」

だいたい審査員はこの点を疑問に思ったり、突いてきたりする。

 

「自分と他人は物の見方が違う」

文字にすればほとんどの人が、「何を当たり前のことを」と思うことだと思う。

しかしそれを「本当の意味でわかっている人」「それをわかっていて考慮している人」は、想像する以上に少ないのかもしれない。

それくらい人には「自分の物の見方や考えかたが標準という感覚」が染みついていて、抜け出しがたいものだとわかる。

この番組の一番の面白さは、この点にあると自分は感じた。

 

「自分の物の見方や考えかたが標準という感覚から、抜け出せない」

これが最もはっきり出ていたのは、「アイデア守り隊」の斎藤さんだ。

岡島(審査員)「聞いていると、大きいところがパクってくるということが原動力なんですか?」

斎藤「基本的にはそういうことです」

岡島(審査員)「でもビジネスのゲームってそういうものだと思うんだけど」

斎藤「それが僕はおかしいんじゃないかと思うんですね」

前田(審査員)「でも、弱者だからこそできる戦略ってないですかね?」

(略)

岡島(審査員)「むしろ大企業のほうが全部開示しなくちゃいけなかったりするんで、ベンチャーはそこを開示されたものをぜんぶ見て、ぜんぶ丸パクりするみたいなことをできていたりするんですね。だから…なんかなあ、何が原動力なのかなあ」

堀江(審査員)「だからね、それでぜんぶの道が閉ざされているわけじゃないからね」

 (引用元:起業リアリティーショー「MAKE MONE¥」)

 

恐らく「アイデア守り隊」を持ってきた斎藤さんには、「大企業にアイデアを強引に取られたり、盗まれても泣き寝入りせざるえない個人や小さい会社。下請けを圧迫し搾取する大企業」という、強固なイメージがあるのだと思う。

例えば別の業界では、発注主である大企業の要望を下請けが無理難題でも受け入れざるえないという話も聞くので発想としてはわからなくはない。

審査員たちも、恐らく頭では「この人はそういうイメージで語っているのだろう」ということが分かっていると思う。

ところが感覚的にはまったく共有できていない。

審査員たちは「これはアイデアの話で、他の事業の大企業と下請けの話ではない」という前提で話している。その過程や結果も既に自分たちが経験していることもあり、そのふたつを同じイメージで話してしまう世界観がうまく呑み込めないのだと思う。

なぜ斎藤さんが「そのイメージを前提にして、すべての(例えばネットの世界の)物事を考えて語るのか」が理解できない。だから理屈では「こういうことなんだろう」とわかっても、感覚的は「何が原動力なのかなあ」という疑問から抜けだせない。

 

「自分と他人は物の見方が違う」ので、わからないのは当たり前だ。斎藤さんと審査員たちは別々の人生を歩んできていま初めて会ったばかりなので、ここがスタート地点という前提で、これから物の見方(世界観)をすり合わせていく段階になる。

しかし斎藤さんは、「自分の物の見方が当たり前」という認識から抜け出せず、「当たり前だと思っている」からその前提の次の段階にいきなり行こうとする。話している段階が違うので、話がいっこうにかみ合わない。

その段階を飛ばさす、「世界観を共有できていない、という前提から話を始める」「最初は気づかなくても、気づいた時点で世界観の共有に努める。それが話を聞いてもらうために必要だとわかっている」ということが、「自分と他人は物の見方が違うことがわかっている」状態だ。

「ドローンハンティング」の鯉渕さんや障がい者雇用を安定させたい志村さんなどは、データや戦略など客観性があって「比較的世界観を共有しやすい」話から始めている。

 

審査員たちは恐らく「アイデアをパクるということのどこに、斎藤さんが『悪』を見出しているのか(パクりパクられの繰り返しで、技術は進歩してきたという世界観を持っているため)」を終始疑問に感じ、聞いていたのだと思う。話を聞く側が、話がズレている部分を何回も確認するのは、自分から見ると非常に優しく丁寧に感じる。

しかし斎藤さんは「それが何であれ『パクる』ということは悪である」という世界観であり、そこを共有できていないことに気づいていないため、話はずっと平行線のままだった。

斎藤さんの言うこともわかるし、審査員たちの言うこともわかる。これが茶飲み話だったら考え方や価値観の違いというだけで、どちらが悪いということはないと思う。

しかしこれは、「自分の話に赤の他人に価値を見出してもらい、出資してもらうためのプレゼン」だ。

審査員たちは「そういう場所で、自分の世界観を前提にした物言いしかしないこと」自体に「?」と思ったのだと思う。

自分もこのアイデアは、一歩間違えば人民裁判になりかねないのにその視点がないことや、古坂大魔王が最後に「いま現在、これに近くないですか」といったように、自然発生的なものだけで十分なのに、なぜそれをさらにということが話を聞いてもよくわからなかった。

 

そしてそれが「なぜ必要なのか?」と尋ねられたときに「それが僕はおかしいんじゃないかと思うんですね」という言葉しか出てこなかったら、相手はそれ以上話を聞く気をなくす。少なくとも自分だったら、「もう話さなくていいか」と思う。

「あなたがおかしいと思っていることはわかっていて、でも自分はおかしいと思わないから」尋ねているからだ。

番組内の堀江貴文の言動はちょっとな…と思うこともあったが、(「完全無欠の生パスタ」の橋本さんのときなど特に)斎藤さんの話を聞いているときは苛立つ気持ちもわかった。

 

 「世界観のわからない相手に、自分の世界観を話す」のは、「相手の逆鱗に触れる可能性がある」博打的な要素はある。時間があれば「とりあえず当たりさわりのないところから始めて、相手のことを知る」方法もあるが(日常の人間関係)「メイクマネー」は時間の制約が厳しい。

その中で自分のことを知らない相手にどうやって自分の話に興味を持ってもらうか、という視点で見るとそれぞれに工夫がみえて面白かった。