うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【ダークソウル考察】世界観の考え方と「混沌の廃都イザリス」で起こったこと「闇撫でのカアス」関連の復習。

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「ダークソウルⅠとⅢ」について、もう一度1から考え直してまとめた。

*ゲーム内のテキストやストーリーを基にした、個人的な考察です。

 

 

「ダークソウル」の世界についての基本的な考え方

「ダークソウル」の世界やストーリーを考えるにあたって、押さえていたほうがいいと思う考え方がある。

 

①言葉を単一の事象や物体とイコールで結びつけるのではなく、抽象的な属性や概念を表すものとして考えたほうがわかりやすい。

②「ある事象」を指し示すのに、色々な言葉があり、それがひとつの属性を作っている。その属性内の言葉が出てきたら、その属性すべてを含む、もしくは属性内の他の言葉でも代替可能と考えてよい。

③「言葉によって属性がつながる」と、「言葉によってつながっている」ということをもって、事象もつなげて考えることができる。

 

「何を言っているんだ?」という感じだが、ある属性に含まれるものはひとつひとつ細かく切り分けて考えず、ものすごくふわっとした連続体として考えたほうが話がわかりやすいということだ。

ダークソウルの世界にはいくつかの「属性」が登場して、それを指し示す言葉を変えて話していることが多い。

 

一番大きな属性が「火」と「闇」である。

これを「火」と「闇」に所属する属性に分けると、頻出する単語はこうなる。

火の属性「神・生者・光・(秩序ある目に見える)世界・理性」

闇の属性「人・亡者(不死)・深淵(深み)・湿り・狂気(理性を失った状態)」

またこの二つの属性のあいだに存在し、どちらからも外れているのが「絵画世界」である。

絵画の属性「冷たい、寒い、半々(事象として多い)・くされ・鎌」

この属性を分けるのが「神(火)がいるかいないか」であり、「ダークソウル」は主人公に「神がいる(火継ぎの時代)」か「神がいない(人の時代)」かを選ばせる話である。

 

これは無印のカアスとフラムトの話を聞くとわかる。

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フラムトは「火(神)の時代を続けるために、主人公に薪になってくれ」と言っており、カアスは「火(神)の時代のあとに闇(人)の時代がくるのが正しい理なのだ。だから火を継ぐべきではない」と言っている。

この「」の中の「火」や「神」を「生者」「今の秩序ある世界」と入れ替えてもいいし、「闇」や「人」を「亡者」「深淵」に入れかえてもいい。ゲーム内の登場人物のセリフやアイテム欄テキストは、「属性に含まれているものの中で、一番しっくりくる言葉をあてこんで」いる。

 

「深淵」とは何なのか、「深海」とは何なのか、「亡者」とは何なのか。

という風に、「ひとつの言葉に、その言葉によって区切られている(固定的に)指し示される事象なり概念があるはず」という発想(現代的な発想)で考えると混乱する。

「ダークソウル」の世界は、言葉が非常に曖昧な世界だ。

「ひとつの事象を指し示すために言葉があてこまれているのではなく、ある事象を自分がどう理解しているかを説明するために便宜的に言葉が使われている」世界なのだ。

 

以前、下の記事で書いた

【ダークソウルⅢキャラ考察】兄王子ローリアン&王子ロスリックについて

「概念を共有しているものは、実際の事象でもつながる」

のは、その事象を指し示せるほど(実態として把握できるほど)人間の(言葉の)力が強くないので「実際の事象全体を言葉で(人の力で)把握できない世界」なのではないかと思っている。

「人の力では理解できない(実態として把握できない)世界」なので、物事を抽象的にしか指し示す(把握する)ことができず、抽象的にしか指し示せないから、色々な要素が概念としてつながれる。

「何でもアリ」の世界ではなく、世界は存在するし、世界の法則性はある。

しかしそれを人の能力では把握しきれないことを表すために、こういった世界観にしているのではと思う。こういった人の(言葉や思考の)力で把握できない、制御不能な世界観であることで、この世界の神秘を増している。

自分が「ダークソウル」の世界観に最も魅力を感じているのは、この点だ。

 

とりあえずこの考え方を基本にして、考察を進めていきたい。

 

「ダークソウル(Ⅰ)」のストーリーの復習

簡単に説明すると、古の竜の時代があり、ここでは何もかもが一元化されていた。対立する概念がない時代だった。

しかしそこに火が生まれたため、対立する二つの概念が生まれる。

それが上記に書いた通り、「火・光・神・生者」と「闇・人・深淵・亡者」だ。火があるからこそ闇が生まれ、光があるからこそ深淵が生まれ、生者がいるからこそ亡者がいる。

イメージとして「闇の属性」が悪いものだと考えがちだが、これは単に相反する概念であるというだけで、どちらが悪い正しいというわけではない。

カアスが言うように「光の時代のあとには闇の時代がくるのが正しい理だ」という考え方もある。このあたりは、ゲーム外の価値観に引きずられるとわかりにくくなる。

 

混沌の廃都イザリスで起こったこと

イザリス関連の話は、「Ⅲ」でも深く関わるので押さえておきたい。

「イザリスとその娘たち」は、元々は「炎の魔女」だった。

 

イザリスの魔女が混沌に飲まれる前、まだ娘たちが炎の魔女だった頃の杖。呪術はまだ生まれておらず、彼女たちの杖も魔術の触媒であったが、その炎の魔術は完全に失われてしまった。

(ダークソウル「イザリスの杖」の説明より)

 

「炎の魔女」だったイザリスとその娘たちは、「最初の火」が生まれたとき古竜たちと魔術で戦った。

激しく吹き荒れる炎の大嵐は、かつて彼女たちが古竜と戦い、世界を焼き尽くした業の名残である。

(ダークソウル「炎の大嵐」の説明より)

 

そのあとのことはクラーナが説明している通りだ。

「イザリスは最初の火のそばで、ソウルを見出し、王になった」

「そして、その力で自分だけの火を熾そうとして、それを制御できなかった」

「混沌の炎は、母も、妹たちも飲み込み、異形の生命の苗床にしてしまった」

 

 「最初の火」を創ろうとした魔女の野心は、異形の生命の苗床、混沌の炎を生み出した。

(ダークソウル「混沌の嵐」の説明より) 

 

「炎の魔女」だったイザリスは人為的に「最初の火」を創ろうという野心を起こし、混沌の炎を生み出してしまい、これが彼女の娘たちや都イザリスを飲み込んでしまった。

クラーナは母や妹たちを飲み込んだ「混沌の炎」から(「混沌の炎」を制御する術として?)、「呪術」を生み出したため「呪術の祖」と呼ばれている。

呪術は「自然発生的なもの」ではなく、「イザリスが人為的に起こしたもの」が原点となっている。「火継ぎの火」とはまったく性質が違う。

「混沌」の文脈で「火」が出てきたとき、それは「火継ぎの火」とは同じカテゴリーに入らない。しかしゲーム内では、両方「火」や「炎」と呼称されている。

「混沌」と同じカテゴリーに入るのは、「呪術」「呪い」「溶岩」「異形」「デーモン」なので、むしろこの文脈で「火」や「炎」が出てきたときは、「イザリス」と結びつけて考えたほうがわかりやすい。

 

「ダークソウル」の世界やストーリーを理解しづらいのは、このように「言葉そのもの」の役割が現代とは違うからではないかと思う。

 

混沌の呪術は溶岩の業であり、それは全ての呪術の租であるという。

(ダークソウルⅢ「イザリスの呪術書」の説明より)

 望まれず生まれた異形の命に似て、故に混沌と称するという。

 (ダークソウルⅢ「混沌の刃」の説明より)

 

「Ⅲ」の「混沌の嵐」の説明文で、「イザリスで起こったこと」「なぜ、デーモン遺跡やイザリスがあの状態になったのか」がまとめられている。

呪術の故郷イザリスの、混沌の炎の業。周囲に幾つもの混沌の炎を吹き上げる。

混沌の炎は岩を溶かし、着弾跡には一時的に溶岩溜まりが生まれる。全てを飲み込んだ混沌の炎はやがて苗床となり、異形の者たち、デーモンを生んだという。

 

イザリスは「最初の火」を自分の力で生み出そうとして「混沌の炎」を熾してしまい、「混沌の炎」に自分自身が飲まれてしまった。また娘たちや都イザリスも飲まれ、「混沌の炎」は岩を溶かし、着弾点に溶岩があふれた。

混沌の炎に飲まれたイザリス自身は「混沌の苗床」となり、娘たちも異形になり、都は「混沌の炎」より生まれたデーモンであふれかえった。

それがクラーナの説明によると「1000年前に起こったこと」だ。

 

その跡地が「ダークソウルⅢ」の燻りの湖ではと思う。

地形が違うが、イザリス関連のアイテムが落ちているし、「デーモンの老王のソウル」の説明でも「痩せさらばえた、燃え滓のような老王はイザリスの混沌を知る最後の一体だった」と書かれている。

ワームも出てくるので、これも「目に見える事実(地形)でつながっていなければ、別の場所」と考えるよりも、様々な概念が用いられることで「イザリスの跡地ということを表している」と考えたほうがしっくりくる。(「ダークソウル」はこういう考え方ですべてをとらえたほうが理解しやすい)

 

 「闇撫でのカアス」と深淵

カアスの思想は、「Ⅲ」でロンドール黒教会に受け継がれているので、ここもまとめておきたい。

カアスの考えは、上記の「無印の考察」に書いた。

 

「グウィンが火の時代を続けようとするのは、世界の理に反する」→「ダークソウルを見つけた小人の中から闇の王が生まれ、闇の時代になるのが理として正しい」

 

フラムトとカアスは、「相反する世界を動かす力(理)が、人にもわかりやすいように便宜的に具現化した存在」であり、彼らが「世界蛇」として具現化していることが「ダークソウル」の世界観がどういうものなのかを表していると思う。

人の認識では本来とらえきれない事象が、人にもわかりやすいように矮小化されて具現化する世界なのだ。(こういうところがいい)

 

カアスは王のソウルを持ち小ロンドの統治者であった「四人の公王」を唆して、闇に堕ちさせた。闇=深淵で結べるので、四人の公王もカアスも深淵に潜んでいる。

 

四人の公王が闇に堕ちて後、騎士たちは闇の眷属ダークレイスとなり、その剣もまたダークソードと呼ばれている。

  (ダークソウル「ダークソード」の説明より)

 

カアスに唆された、ダークレイスたちの業。 

 (ダークソウル「ダークハンド」の説明より)

 

闇に滅んだ古い小国の生き残り、ダークレイスの骨の仮面。その朽ち果てようとするもの、彼らは最古の赤い瞳の侵入者であり、世界蛇の僕であった

 (ダークソウルⅢ「闇の仮面」の説明より)

 

「闇(深淵)(深み)」は対立する概念である、「火や光」に所属している者が触れると理性を失う。(狂気に陥る)。だから「闇」は、まだ火の時代が続いている現時点では「禁忌」になっている。

「Ⅲ」ではカリムのイリーナが「深みの点字書」や「ロンドールの点字書」に触れただけで正気を失ったり、コルニクスが「墓守の呪術書」は「闇だから禁術」だと述べたり、カルラが闇の魔術師である自らを「人の深淵であり、罪人だ」と、手を変え品を変え「闇=深淵は禁じられているもの」と述べている。

主人公もゲーム開始時点では「火の属性」に所属しているため、「深淵の魔物と契約した証の指輪」である「アルトリウスの契約」がないと深淵に行くことはできない。

 

カアスは小ロンドとウーラシールの人々を唆し深淵に沈めたが、カアスにとってはそれが「正しい時代」なのだ。

小ロンドを封じているイングウァードは「あるとき、闇の蛇が彼らの隙につけこみ生命喰いの力を与え、彼らを悪にしてしまったのじゃ…」と言うが、それはあくまで「火の属性に所属するイングウァードから見れば悪」にすぎない。

理性を保って話せる登場人物たちのほとんどは、「最初の火の属性は正しい」という価値観を持っている。(「理性」は火の属性に所属している)そのため誘導されがちだが、ゲーム内ではそうではない、その価値観の下でも矛盾や犠牲はあり、どちらが正しいということはないということが様々な形で描かれている。

 

ということを踏まえたうえで、「Ⅲ」についてもう一度考え直していきたい。

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DARK SOULS REMASTERED - Switch

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