うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

武田すん「グレイプニル」に見る、自分の好きなストーリー展開のパターン4つ。

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「グレイプニル」既刊8巻までを読んだ。

[まとめ買い] グレイプニル

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ストーリーはよくある異能バトルものだが、絵柄、キャラクター、展開がとにかく好みだ。

最初はドストライクキャラである、目つきが悪いそばかすっ娘、性格がクールでクレバー、たまに乙女なクレア目当てで読んでいたが、ストーリーのパターンが自分の好きなものばかりで「自分はこういうパターンが好きなんだな」と確認した。

そのパターンを箇条書き。

 

「鉄血」パターン

別名「読み手のふるい落とし」

「グレイプニル」で言うと氷川の足を折って殺したこと。鉄血で言うと三日月がクランクをあっさり殺す描写のこと。

読み手大多数に「主人公側からすれば仕方がない」と思わせるのではなく、読み手の価値観によっては主人公(サイド)に違和感や嫌悪感を抱かせる描写をすることで、「こういう話ですよ」と線引きをするパターン。

このパターンで(自分にとって)最悪なのは、「線引きしたからもういいだろ」と、物語がそのまま主人公サイドの価値観に入れ込んでしまう展開。これは余り面白くない(穏当な言い方)

その好悪賛否が分かれるギリギリの価値観を、物語の中で問い続ける話が好き。

 

「進撃パターン」

“どうして虻川くんがあの場所にいた? お前らみたいな平気で人を殺すような集団と。

虻川くんはそんな奴じゃなかった! 優しくて正義感が強くて! 僕の知っている虻川くんはそんな奴じゃない!”

 “じゃあ、お前がそいつの事を何も知らなかったんだろう”

“お前には悪魔に見えた円も、俺には希望の光だった…”

(引用元:「グレイプニル」5巻 武田すん 講談社)

 

別名「お前も俺のことを知らない」

誰でも自分の側には固有の事情があり、価値観があり、生きてきた過程がありそれで他人を判断している。どれほど知っているようでも、他人にはわからないことがたくさんある。

自分が知っている事情だけで良い悪いを判断しているのは主人公も敵もお互いさまだ、という視点がある話が好き。

円一党の生き残りと修一のこのやり取りは、自分の中で屈指の名シーンだ。

円一党の話はこれひとつで話を書いて欲しいくらい良かった。

 

「相手以上の(読み手が納得できる)事情を持たないのに自分の利益を追求する」という罪悪感は、引き受けるのが難しい。敵味方が対等に殺し合う話の場合、主人公サイドに何等かの「罪悪感軽減のための事情(言い訳)」が用意されていることが多い。

「自分も誰かを抑圧し傷つける悪である」ということを認めてその「悪」を引き受け、それでも生きたいと願う「進撃の巨人」のような話は意外と少ない。というより、「進撃の巨人」はその罪悪感を主人公サイドが引き受けているところがすごいと思う。

「グレイプニル」でも修一が、クレアと自分のために虻川を殺すことを自分自身で選んでいる。包帯男を殺すことで、さらに自分のその選択を意識的に肯定している。

主人公サイドに安心して寄り添えるような感情移入措置が用意されている話でも面白いものはたくさんあるが、そうではないパターンの話はそれだけですごいなと思う。

ところでこの包帯男は虻川だったのだろうか? さすがに声でわかるので違うか。

 

反「うみねこ」パターン

別名「いっぱいいっぱいな奴が最も厄介」

自分の事情だけで物事を判断して、他人の事情は無視する、もしくは受け入れる余裕がない「悪い奴」ではなく「かわいそうな奴」が敵であるが、その敵からも主人公からも等間隔で距離をとるパターン。

この種の敵は、周りの同情を誘い、本人も自分がある程度かわいそうだと思っているので、純粋な悪役よりも厄介だ。

二タイプに分かれる。

①主語デカくして八つ当たりする型

②罪悪感に耐えきれない型

①で典型的なのが「人間にひどい目にあわされたから人間をすべて滅ぼす」など。今の時代だと、さすがにちょっと古臭いのか余り見なくなった。

①のタイプは罵り合いだとしても一応対話は可能なので、タイプとしては②のほうが厄介。人の話を一文字も聞けなくなっているうえに、隙あらば自爆テロを仕掛けようとする。

 

「グレイプニル」の海斗は②だが、「グレイプニル」のいいところは、「すべてが勘違い」で海斗を突き放しているところだ。

「大切な相手に真意を確認するくらいなら殺すほうがマシ」という「うみねこ」パターンだが、うみねこが「恋をしたらこうなるんだ」という視点であるのに対して、「結局はほのかが好きと言っていた海斗が、一番ほのかを見ていなかった」という真実の残酷さを海斗に突きつけるところが良かった。

「気持ち悪い」を巡る話の記事でも書いたけど、「相手がいることなのに、自分の頭の中だけで勝手に話を進めない。大変でも相手の意思や考えや気持ちをその都度確認をとって、認識を共有する」のが「その相手が好きで、その相手を尊重して大切にしている」ということだと思う。

「腹を割って話し合うのが怖いから、殺してしまえ」

②のパターンのキャラはこういうタイプが多いが、本当に好きなのか、と突っ込みたくなる。

「相手を殺してしまえ」どころか「相手の気持ちを確認するくらいなら世界ごと消滅させる」までいってしまう奴も多い。「そういうところが、ほのかが海斗より直人が好きだった理由では?」と言いたくなる。

自分のやったことを認められない弱さで周りをどんどん巻き込んで罪を重ねていく海斗に、友達である直人やエレナはとことん付き合う、というところもいい。

そういう弱さに付き合ってくれる友達のありがたみが胸にしみる。

まあこの先の展開はわからないけれど。

 

 「暗い抱擁」パターン

別名「主人公だと思ったら脇役でした」

主視点の登場人物が、大きなストーリーの流れを片隅から限られた視点で見ているに過ぎず、主人公とは離れた場所で長い年月をかけた因果が既に編まれていて、主人公はそこにほんの少しだけ関わったにすぎない、というパターン。

「トリック シーズン2」の「サイ・トレーラー」がこのパターンだった。

「暗い抱擁」はさらに「信頼のできない語り手」の技法も使って、「本当の物語」を摺りガラス越しに見ているような感覚がある。

修一が山田塾(話の主軸や発端)にまったく関係ない、という展開が好みだが、話の中心軸がエレナとクレアの関係から山田塾の子供たちの関係に移っていく感じがよかった。

 

その他の雑感の箇条書き

 「着ぐるみになった修一(男)にクレア(女)が入る」という設定が作中でも性行為を暗示していて、異性で逆になっているところが面白い、という話を本当はしたい。Googleに怒られそうなので、別のところに書くかも。

 

絵が好みで、特に表紙絵の感じが好き。(ジャケ買いした)

女性キャラはクレアが好みすぎて辛いが、他のキャラも全員いい。吉岡よりもスバルのほうが(キャラとして)あざとく感じる。

 

バトルものとして見ると、若干物足りない。強さの基準がわかりにくいし、見せ方のパターンが少ない気がする。

バトルものはストーリー的に「強さや戦いを目的」としているものだと思うけれど、「グレイプニル」は「強さや戦いが方法」に見える。

バトルものを求めていないのでいいのだけれど、売り文句が「バトルラブコメ」なので気になった。個人的には「ちょいエロダークラブストーリー」だと思う。

 

アニメのレビューを読むと評価がイマイチだが、一話を見て納得した。

ちょっとした付け足しや違いなのだが、ちょっとしたことで全体がおかしくなっている。バトルラブ「コメ」に引きずられすぎでは…。

変にいじるより、原作の雰囲気を正確に出してほしい。

 

山田塾の子供たちだけではなく、クレアにも何か秘密がありそう、宇宙人の目論見は何なのかなど続きが楽しみだ。

グレイプニル(1) (ヤングマガジンコミックス)

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  • 作者:武田すん
  • 発売日: 2016/03/18
  • メディア: Kindle版