「おけけパワー中島」で一躍有名になった、「同人女の感情」改め「私のジャンルに『神』がいます」
最近は漫画はほぼ電書で購入しているんだけれど、これは単行本で買った。
(引用元:「私のジャンルに『神』がいます」真田つづる 株式会社KADOKAWA)
この「ずし…」を味わいたかった。
電書も便利で好きだが、本のこういう感覚がいい。
この本は主人公やテーマが話ごとに変わるので、各話ごとに感想を語りたい。
第一話「天才字書きと秀才字書き」
第二話「天才字書きのジャンル移動」
最初にバズったときは、内容にピンとこなかった。
知らない世界を見る面白さはあったけれど、二次創作作家に憧れるという感情がよくわからなかった。
自分は「作家と作品は別物」(もちろん作家を尊敬してはいるけれど)という考えが強い「作者不在論者」(造語)であることも影響しているのかもしれない。
こういう世界もあるんだなあという新鮮さがあった。
第三話「七年前の本が欲しい」
一話二話以上にピンとこなかった。
作者本人が書いたスピンオフや同人誌なら分かるが、特定の二次創作作家が書いた本が欲しいという気持ちはイマイチよくわからなかった。
ただイクラ丼の「好きの執念」に圧倒された。何かを本気で好き、本気で欲しいと思う情熱は、見ていて心地がいい。
虚崎改め綾城が、データをぜんぶ消していたことにはちょっとびっくりした。ジャンル移動したらデータは消してしまうものなのか? そういうものなのか。
頼まれたら手間でもぜんぜん気にせず、「綾城さんのアスカレ小説、最高ですよね! 楽しんでくださいね!」というおけパ中島がいい。おけパも、綾城の小説が本当に好きなんだなと伝わってくるところが好き。
第四話「前人未踏の0件ジャンル」
このシリーズにハマったのは、この話からだ。大好きで何回も読んでいる。
「この作品の凄さや面白さをわかって欲しい」という情熱に、めたくそ感情移入してしまった。珠希のやることなすこと考えることに、共感しかない。
「ああああああ、こんな素晴らしい作品がこの世にあったなんて」
「自分の中ではこの話のここが面白ポイント、すごいポイントなんだ! それを伝えたいんだ」
「何でこんなものを自分は上げてしまったんだろう…」
「自分じゃなくてこの人が紹介したら、もっと広まるのかな…」
「どんな拙くてもこれを書けるのは、ここに面白さを感じた自分だけなんだ」
「読んでくれた人がいたああああああ」
全てに自分を投影して、共感しまくった。
一番好きなのは、小説投稿百本ノック描写。読むだけで楽しい。
(引用元:「私のジャンルに『神』がいます」真田つづる 株式会社KADOKAWA)
0から自分なりの方法を思いついて実行して目標にたどり着いた珠希には、尊敬の念しかない。
「もしブクマが付かなくても絶対に消さない。だって私は、0件ジャンルを1件ジャンルにしたんだから」
このセリフ滅茶苦茶好き。
第五話「はじめての原稿地獄」
これも好きな話。本を作るのは、ネットで小説を書くのとは全然違うんだなあ。
そりゃそうかと思うけど、まさかこんなに大変とは思わなかった。
人が何かする過程を見るのは楽しい。
この増田を読んだとき、七瀬のことを思い出してニコニコしてしまった。
第六話「素晴らしき過疎ジャンル」
このシリーズの中で一番好きな話。
みつばさんと麦さんのバトコア界隈が好きすぎて、何度も読んでしまう。
友川の気持ちもわからないでもないのだけれど、「読まれること」のみが目的化してしまっていて、せっかく作った本を「捨てる」と言ってしまうのは余りに勿体なさすぎる。目的を見失ってないか、とも思ってしまう。
商業なら読まれなくては意味がない、というのは分かるけれど、「好きでやっていることを読まれないなら(結果が出ないなら)楽しめない」というのは本末顛倒だ。
自分の好きという気持ち、その気持ちの発露という「過程」を楽しむためにやっている、ということを忘れると、「好き」という気持ち自体保てなくなってしまう。それはみつばさんが言う通り、「もったいない」し「はやまるな」と言いたい。
まったく読まれないならわかるけれど、友川の場合は「楽しみにしていた」と言ってくれる人だっているわけだし。
個人的にはそういう人が一人でもいれば「読まれなくて辛い」じゃなくて、「その人一人をありがたいと思う」精神でいたい。そしてその最初の一人は、作中で語られている通り「自分」なんだからいいのだ、というのが楽しむために大事なことだと思う。
「自分の宝物を自分で作れるなんてすごいことですよね」
みつばさん、好き。
麦さんが言っていた
「遅れてハマった人がいたら絶対に読んで欲しいので」
これは希望や理想ではなく、実感がある。
書いた当初はまったく読まれなかった記事が何年後かに色々な人に読んでもらえることがあるし、自分も何年も経った作品にハマって、関連記事を読み漁ったりすることもある。
自分も含めて、第三話のイクラ丼みたいに「遅れてハマった人」はけっこういる。(「ウテナ」は制作されてから二十年後くらいに観ているし)今だと銀英伝のようにアニメがリメイクされたり、息が長い作品はたくさんある。
友川……、はやまらないでよかったよ。
第七話「天才字書きのアンチ」
アンチではないよな、と柚木に突っ込みたくなる。
(引用元:「私のジャンルに『神』がいます」真田つづる 株式会社KADOKAWA)
たぶんやえさんやハコさん以上に読み込んでいる。前のジャンルの小説まで。
でもまあ本人が「アンチ」というならアンチでいいのか。
推しの死は悲しいが、その死にざまも含めてそのキャラだし、そのキャラの死も含めてその話だ。
長く続く話だと話の癖というか、話の中盤くらいでメインキャラを殺して(Gくんがそういう役割だったのかもしれないが)「こういうこともありうる」ということを教えてくれる話も多いのでここまでショック受けるかな。
と、人に言える立場ではないわけだが。
クライマックスでならばまだしも、話の中盤で死ぬと衝撃がデカいかもしれない。
「ファイナルファンタジータクティクス」でも、ガフガリオンが死んだときは地味にショックだった。ギリギリまで仲間になるんじゃないか、という期待を捨てきれなかった。
七話は賛否両論だったようだけれど、自分も引っかかる箇所があった。
綾城の活動を「努力」と言ったり、柚木が自分を「書かずにはいられない人間」と言うところだ。趣味の範囲でやっていることをこういう風に言われるのは、個人的にはかなりモヤる。「趣味であることは前提の上でなのだろう」と思うことにした。
柚木が綾城に救われたように見えるラストは、元々好きで凄いと思っているがその気持ちを認められない、何をきっかけにその気持ちを受け入れて、それでも自分の活動を続けていくかどうかだけだと思っていたので、自分には納得のラストだった。
第八話「天才字書きの生まれた日」
真の嫉妬とアンチの話。
ナツメさんに比べれば自分の中の気持ちを綾城にぶつけず、自分の中の葛藤を書くことにぶつけた柚木は出来た人間だと思う。
ナツメさんの気持ちがまったくわからないかと言えば、そんなことはない。分かる。でもこれをやってはいけない。後々誰よりも自分がそう思うと思う。
この行為が事実上の敗北宣言になってしまい、しかも最も卑しい形でそれをしてしまった事実は、文章を書くこと全般において大きな傷になる。下手したら今後何も書けなくなる。
「鬼滅の刃」で黒死牟こと継国巌勝が「自分は弟の縁壱に剣の腕だけではなく、人としても劣っていて全人的に負けている」(意訳)と言っていたが、巌勝は柚木タイプだったのでまったくそんなことはない。(そう言っても、全然聞かなそうだが)
真に怖いのは人からの評価ではなく自分からの評価だ。(巌勝もこれで鬼になってしまったし)
現在の状態や何かの基準(いいねの数とか)で物事を判断するのではなく、もっと長いスパン、広い視野で物事を見たほうがいい、とつい言いたくなる。
「ガラスの仮面」で月影先生が「どんなに邪魔をしても、大衆が才能を求める力には敵わない」って言っていたように、ナツメがどれだけ綾城に消えて欲しいと思っても、七瀬や友川やイクラ丼が綾城を求めるおけけパワーには敵わない。
キツイときもあるけれど、自分ができることをやっていくしかないよ、ほんと。
まとめ
二次創作界のことはほとんど知らない自分でも楽しく読めたのは、「何かを好きになる、何かに夢中になるとはどういうことか」を描いた話だからだと思う。
四話五話六話は、読むたびに元気がもらえる。これがおけけパワーか。
「好き」も誰かに何かに支えられている、そういうことを実感できる話だった。