うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「スピノザ 人間の自由の哲学」 スピノザの人生、思想、哲学とは何なのかを分かりやすく教えてくれる。「入門書」の銘に偽りなし。

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ちゃんと「入門」書だった。

スピノザについて、前から知りたいと思っていたので読んでみた。

哲学の入門書は「入門」と銘を打っていても、とても「入門」レベルではないことも多い。

 

自分が求める「その人物と思想の入門書」は

①最初に、その人の思想の全体像が提示されている。

②その人がどうしてそういう思想に至ったかの、背景(生い立ちや経歴など)が紹介されている。

③各著作はその思想の中でどこに位置しているか、各々の著作にどういうつながりがあるかが書かれている。

④できれば、その人物の人柄が分かるようなエピソードが入っていると愛着が持てていい。

 

複雑な思想を理解するための全体マップが、まずは欲しい。

「スピノザ 人間の自由の哲学」は①から④までが頭に入った後に「各著作の入門編」に続く、自分が理想とする「入門書」だった。

 

最初はスピノザの生い立ちや経歴が説明されて、どんな人だったかがわかる。

最初に、スピノザがどういう人生を辿ったどういう人物だったかが説明されている。

親がどんな人物で、兄弟が何人いたなどの生い立ちは、一見思想と関係ないようで、その思想の土壌がどんなもので、思想を入れている「箱」がどのような形かを立体的に捉えるヒントになる。単純に「その人がどういう人か」がわかるので、知ると愛着を持てる。

生い立ちを読み終わった頃には、どんな人物で、その思想の何が当時問題視されたのか、スピノザの考えの中で変わった部分と変わらなかった部分などの思想のアウトラインが掴める。

スピノザは兄弟の中で何番目か、父のミヒャエル・エスピノーザは生涯で三回結婚しているが、スピノザの兄弟は全員同母だと考えられている、それは何故か、という推測の経緯や色々な説が紹介されていて面白かった。

 

スピノザは二十四歳の時にユダヤ人共同体から破門される。

その理由はよくわかっていないらしいが、後に「無神論者」というレッテルを貼られて抑圧され続けたことや、当時既に有名人で多くの人間がスピノザの話を聞きに押しかけてきたところを見ても、その考え方によって破門されたのかなと思う。

 

「哲学をすること」は、魚が水の中を泳ぐように人間にとって自然なこと

第四回から、いよいよスピノザの思想の話になる。

スピノザは神とは何なのか、人とはどういうものか、どういう仕組みで動くのかを考える。「哲学をする」ということは、人間にとって魚が水の中を泳ぐように自然なことで、望む望まないということではなく、そういう状態であることが人間なのだ、と語る。

自分がスピノザの思想で一番いいな、と思ったのはここだ。

 

「哲学」という言葉は、現代では何か高尚で小難しいものと取られたり、その反動で揶揄的に見られがちだが、スピノザは「哲学」とは「考えたいことを考え、それを表現することだ」と言う。

ただし、スピノザはさらにもう一歩先を言っています。

彼は哲学する自由を、「考えたいことを考える」だけではなく「考えたことを言う自由」だと語っているからです。

(引用元:「スピノザ 人間の自由の哲学」吉田量彦 講談社 P157 太字は本文では傍点)

 

哲学は「考えること。考えたことを表現すること」であり、人間にとってそれは魚が水の中を泳ぐように自然なことなのだ。「そういう状態」であらざるえないのが人なのだ。

 

「自分の考えを表現する自由」は、スピノザの時代はもとより、その先現代にいたるまでしばしば問題として語られる。

「哲学する自由」を制限するために、気の遠くなるような昔から使われてきたレトリックが存在します。

このような自由を万人に認めれば、世間は自分勝手な考えをする人であふれ、社会から「道徳心」が失われて「国の平和」が大いに乱される。だから断じて認めるわけにはいかない、という論法です。(略)

このように、いわば対抗価値としての「道徳心」や「国の平和」を持ち出してこられたら、哲学する自由を擁護する側からはどのような反論ができるでしょうか。

すぐに思いつくのは、この自由の「無害さ」を訴えかける論法です。(略)

しかしスピノザは、こうした常套手段はとりません。(略)

こうした自由を踏みにじるなら、かえって「道徳心」にも「国の平和」にも取返しのつかない大打撃を与えることになる、とスピノザは主張します。

つまりこの自由は、わたしたち一人一人の心にとっても、わたしたちが寄り集まって暮らす社会にあっても「あっても無害」どころではなく、むしろ「ないと有害」なものなのだというのです。

(引用元:「スピノザ 人間の自由の哲学」吉田量彦 講談社 P163-164 太字は本文では傍点)

 

目の前に具現化している事象が悪なのだから、その要因も悪である。

そういう「一見正しい」ことを根拠にして、要因となる自由を制限するという発想は、歴史上たびたび見られた。

「悪」も「善」も人間の思考や表現という回路を通って生み出される。その回路自体を制限しよう、という発想は、ひとつの方向性の思考しか生み出さなくなる。

その「ひとつの方向性の思考しか生み出さないようにする」ための方法として、上記の理路はしばしば利用される。

この理路自体がとても危険なのだが、「目の前の具現化した悪」が目くらましとなり、その理路の悪性はわからなくなってしまう。

 

その時代の価値観で(事象の是非ではなく)思考の回路自体を制限する、という発想は、人から考える自由を奪う。

「正しさからの思考回路の制限」は権力となり、権力の内実が変わるだけで、結局は権力者が弱者を抑圧するという構図は変わらない。そういうことはしばしばある。

だから支配者への抵抗として生まれたはずの思想が、後に人の内面まで支配して何万人もの人を虐殺するようなものになりえてしまうのだ。

 

「文化大革命 人民の歴史 1926‐1976」は、これ一冊で、この時代の権力闘争から庶民の生活や心情までひと通り把握できる。 - うさるの厨二病な読書日記

 

どれほど正しいように見えても「価値観を一元化する」発想自体がとても危険だ。

というより正しいからこそ危険だ、と自分は思う。

「思想の正しさ」と「その思想を実践する人間の正しさ」はまったく別物だからだ。

過ちが具体的な事象となって露わになると、当事者は「思想そのものが間違っていた」という反省をしがちだが、そうではなく「思想を扱う人間(本人)が間違った」のだ。

「思想の正しさは自分の正しさを保証するわけではない」ということが分からなくなった時に悲惨なことが起こるのだと思う。

 

スピノザの信念の強さは、生きた時代や境遇に密接に関わっていたのではないか。

スピノザが「人とはどんなに抑圧されても、自然と考え、それを表現するものなのだ」と考えたのは、論理以上に、自分の実感が大きかったのではないか。

スピノザが生きた時代は、少しでも教会に逆らうようなことをすると(時にはしなくとも)何か理由をつけられ、身分を追われたり殺されたりする、読んでいるだけで息苦しくなるような時代だ。

 

当時、議会派の主要人物だったヤン・デ・ウィットが突然殺される。

よくわからない罪状で収監されていた兄のコルネーリスの身柄を引き取るため、ハーグの監獄に姿を見せたところを群衆に取り囲まれ、兄ともどもなぶり殺しにされたのです。

やがて息絶えた二人の体はずたずたに切り刻まれ、暴徒たちはつるしあげた遺体の前で喜びに踊り狂ったとされています。

(引用元:「スピノザ 人間の自由の哲学」吉田量彦 講談社 P223)

 

「よくわからない理由で収監される」というのも訳がわからないし、兄を引き取りに来ただけで何故リンチされたのかもわからない。怖すぎる。

 

この時にスピノザが取った行動が、自分の中でスピノザへの好感を大きく高めた。

スピノザは、そもそもユダヤ人という出自も手伝って、迫害につながるこのような空気に対してはひと一倍敏感です。日ごろはどんなに理不尽な中傷を受けても平然としていた彼が、この時だけは平静ではいられませんでした。(略)

夜の闇にまぎれてハーグの監獄前に出かけていき、犯行現場に「ウルティミー・バルバローム」と書かれたビラを貼りつけようとしたのです。「お前たちは最低の野蛮人だ」というくらいの意味です。

もちろん、そんなことが露見したら殺されます。

(引用元:「スピノザ 人間の自由の哲学」吉田量彦 講談社 P223-P224)

 

宿屋の主人が気をきかせてスピノザを部屋に閉じ込めたので事なきを得たが、本書を読んでいて、スピノザが過激な言動を取るのはここくらいだ。

破門されても弟に商会を譲ってさっさと出て行ったり、しつこい手紙にも丁寧に応対し、自分が理不尽な中傷を受けても大して気にしなかったのに、人が理不尽に虐殺された時はこういう命も危ういような過激な行動に出る。

いざという時にこそ、信念の強さが出る人はいいなあと思う。

 

まとめ:スピノザという人物と思想の大枠を知るのに、最適の本だった。

スピノザが唱えた「神は目の前の様々な事象に宿る」「私は神の一形態であり、あなたも私とは違う形態である神の状態であり、そこを歩いている猫も神の別の形態だ」「その全てを包括する世界の姿こそが神である」という考え方は、日本では比較的馴染がある汎神論だ。*1

スピノザの生きた環境を考えると、こういう発想がどこから出てきたかが不思議だ。

スピノザはこの考えによって無神論者(と言われること自体が、余り思想を理解されなかったのかなと思うが)という烙印を押されて、長い間その考えを危険視されてきた。

スピノザの死後でさえその著作は、「これはもうさんざん批判され、論破済みなのだ」という態で「論駁書」とセットで発刊されるほどだった。(論駁した人も、スピノザの著作を出すために書いたらしい。泣ける)

 

当時の人々が危険だと思い、何とかその思想を消そうとし、一時はそれが成功しかけたように見えた。だが長い時をかけて再び日の目を見て、その後はずっと残り続けた、と考えるとやはり凄い人なのだなと思う。

スピノザの生涯と思想の大枠を知るには最適の本だった。

 

*1:という風に、本書ではすごくわかりやすくスピノザの考えを説明してくれている。本来はもっとずっと複雑なのだろうが、まずはこれくらいの理解から始められる。