*ネタバレ感想です。未視聴のかたは注意。
「シン・仮面ライダー」がアマプラ対象になっていたので早速視聴した。
見ているあいだ、「何かに似ているな」と思った。
思い出したのがこれだ。
酷評されることが多いが、自分はかなり好きだった。
「シン・仮面ライダー」がいいなと思った部分と「CASSHERN」の良いと思った部分は似ている……というより同じだ。
酷評の中ではそこがマイナス部分である、とされている点が好きなのだと思う。
それが何なのだろう?と考えてみた。
自分がこの二作で一番好きな点は、監督の頭の中に作品の完成形が既にあり、それを具現化すること以外にほぼ興味がないところだ。
個人の世界観なので、その人が興味がない部分は曖昧だったりごっそり抜け落ちている。観る側の視点(世界観)で判定すれば「粗だらけ」「矛盾が多い」「説明不足」という感想になる。
だが世界観自体は一貫しているので、遠目で全体像を見ると美しい箱庭世界になっている。
造り手が「必要ない」と思っているなら、中途半端に現実感を出されるよりは、「現実感そのものが存在しない」ほうが世界に綻びがなくていい。
登場人物に背景設定も、むしろすべての登場人物にないほうが全体像としてすっきりする。
「シン・仮面ライダー」は、主人公である本郷の背景も「父親を殉職で亡くしている」以外はよくわからない。
ヒロインのルリ子は、人工電子演算機としてどんな生育環境だったのか、「友達のようなもの」だったハチオーグにどんな感情を持っていたのかなど、内面に踏み込む描写もない。
準主人公である一文字がどういう過程でショッカーに改造されたのか、囚われるまではどんな日常を送っていたかも描かない。
「必要がないもの(作り手の中に存在していないもの)は描かない姿勢」が一貫している。
作っている人間が「観る人の視点に合わせよう」という気がまったくない*1ので、観る側が歩み寄らなければ前提となる世界の共有すらできない。
「シンシリーズ」はそもそも作り手が好きでたまらない世界を、その興味にのみ力点をおいて具現化した作品だ。
「未知の巨大生物への恐怖や脅威」を視覚的に共有できた前二作とは違って、「シン・仮面ライダー」は多くの人が共有できそうな要素がない。
出来るだけたくさんの怪人を出したかったせいか、ストーリーの展開もご都合主義と言われても仕方がないほど早い。
例えば「ハリー・ポッター」を見る時に「魔法はあるという前提」なら、創作が好きな人なら受け入れるだろう。
「シン・仮面ライダー」は作内設定ではなく、話の造り(興味のないものはすべて省く)から受け入れなくてはいけない。「観る側が何でそこまで作品に目線を合わせなければいけないのか」と言われれば、「確かにそうだな」と思ってしまう。
「その作品を見るために視点をチューニングすること」*2が好きではなかったり苦手な人にとっては、かなり退屈な作品だと思う。
自分は特撮にも仮面ライダーにも何も思い入れがないので、仮面ライダーを見ていれば面白いのかどうかはわからない。
おススメかと言われれば、まったく勧めない。
でも自分はこの映画が好きだ。
寄りで細部を見れば、敵をもう少し少なくして一体一体見せ場を作ったほうが良かったのではとか、サソリオーグのあのセリフは何だとか、KKの出落ち感が凄すぎとか、イチローが闇堕ちした過程が陳腐すぎるとか言いたいことは山のようにあるけれど、そんなことに注目するのがもったいなほど、見ている間中「作った人の心の中には、この世界が存在しているのだ」という実感が、細かな感覚や考えを上回っていた。
自分の中で長い年月をかけて、繰り返し反復することで強度を高めた世界を、完璧に再現する。
ただそれだけを目指して作られたこの話が、凄く好きだし美しいなと思った。
*「シン・ゴジラ」と「シン・ウルトラマン」の感想。