うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「火山島」1巻の感想。兄妹のイチャイチャが長い、男尊女卑思想がエグい、確かにドストエフスキーに似ている、など。

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火山島 1

火山島 1

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二段組のページ構成で390ページなので、読むのが大変そうだなと思っていたが、意外や意外。長いとも思わずスルスル読めてしまった。

以下読んでいて面白いと思ったポイントと気になったポイント。

 

1巻の後半は主人公・芳根(バングン)と妹・有媛(ユウオン)のイチャラブがメイン

一番驚いたのはこれ。

一巻は前半は南承之(ナム・スンジ)という若者が主人公で、後半からもう一人の主人公・李芳根(イ・バングン)にスポットが当たる。

後半は、ほぼ芳根が妹の有媛とイチャついているだけだ。*1

読んでいると芳根は妹が好きなようにしか読めないが、あくまで「済州島四・三事件」という歴史がテーマだから近親相〇というセンシティブな要素は入れないだろう、恋愛に近いほど仲が良いという描写かなと思っていた。

「済州島四・三事件」が知りたくて読んでいるのに、兄妹の疑似恋愛で話が進まないのもな。

そう思い、武装蜂起が本格的に始まる6巻と7巻を先に読み出して驚いた。

まだイチャイチャしている。

一巻の続きと言われても違和感がないくらい、シームレスに二人のイチャイチャが続いている。

まだ「妹が俺の気に食わない男の嫁にされそうだ問題」をやっているのか?

まさか、二巻から五巻はずっとこの調子だったのか? ということはさすがにないだろうが。

さらに驚いたことに、芳根が妹に恋愛感情を持っていることを自覚し出した。

余りに武装蜂起が起こる気配がないので、読んでいると逆の意味で不安になってくる。

 

当時の済州島の男尊女卑思想がエグい

有媛の結婚話について芳根が、

この男と結婚をすれば(この男だけに限らぬが)、たちまち男に限りなく都合のいい儒教的原理で妻たる女に臨むことになるだろう。

バカでも何でも、股間にただ一物をぶら下げているというだけで、至上の存在として女の頭上に聳え得る朝鮮の男ども……。

(引用元:「火山島」6巻P48 金石範 文藝春秋/太字は引用者)

と考えるように、この当時の朝鮮半島の男尊女卑思想はかなり徹底している。

「年配者はそれだけで敬うべき存在」などの長幼の枠組みと共に、同時代の日本よりも厳格に制度に組み入れられている。

勝気で意思がはっきりしている有媛でさえ、結婚しろという父親の命令に面と向かって逆らえない。

また兄である芳根を「専制君主のように慕って」おり、芳根も父親と妹を争っていることに自覚している。

現代の韓国ではフェミニズム思想が日本よりも尖鋭化しているらしいが、それはこういう土台があるからかと思った。

 

上記のように考える芳根でさえ、龍鶴(ヨンハク)が薔薇の花束を持って自分の下へ来てくれたことを有媛が「その行動自体は好ましい」と評価すると、「こいつは男を支配しようとしている」と考え出す。*2

また「四・三事件」の中心的存在となり、それ以前から島の人たちを暴力的に支配していた「西北」という集団の一人と、自分や家族が標的にならないために結婚する女性が出てくる。

その女性の兄である呉南柱が妹に対して「西北の子供を妊娠したら、殺さないと許さない」と言う。

男の登場人物は自分たちが反共集団に支配され抑圧されていることには敏感なのに、自分たちが女性たちに対して家内で支配的であることには鈍感だ。

「女性はこのように家の外と内で二重に支配され、抑圧に苦しんでいた」と言いたいと思いたいが、芳根の有媛に対する考えを見てもどうもそうは読めない。

「そう妹に言ってしまうくらい、当時の済州島の青年は支配される屈辱に苦しんでいた」と言いたいようには見えるが、その屈辱によって男に当たり散らされる女性たちの屈辱についても少しは考えて欲しいと思ってしまう。

読むのを止めようかと思うくらい、この辺りの描写にはうんざりした。

 

ドストエフスキーが好きな人は楽しく読めそう。

副読本で筆者が「ドストエフスキーの小説に影響を受けた」と語っているが、確かに登場人物のリアルタイムの思考の広がりと行動がシームレスでつながっているところが似ている。

一瞬にして妹から他人へと、そのような激しい感情の変化があり得るものなのか。たとえ結婚していも、妹は妹であるはずだ。

それが結婚を想像するだけで妹を奪われる思いがする、いや妹への気持さえ氷のように凝固する冷たい心の動きを抱いたまま、妹がいる部屋へ戻ることはできなかった。

うむ……。彼は闇の色が溜まりはじめた中庭の地面をしばらく見下ろしていた視線を上げて、縁側をゆっくり歩いた。

父は息子に娘を奪われていたという思いに目覚めたのではないか。(略)

彼は自分のいやな臭いのする心の動きを内に押し包んで、部屋に戻った。

(引用元:「火山島」6巻P26-27 金石範 文藝春秋/着色は引用者)

青い箇所の思考と赤い箇所の行動を分離しないで時系列通りに書いている。

ドストエフスキーもこういう内省と行動、さらに登場人物の内省において主観視点と第三者視点を分けない文章が多い。

強いて名前を付けるなら「実存的な文章」となるのか。

一人の人間の中の思考と行動、俯瞰と主観を分ける必要性がないと考えている。というより、わけないことでその人物の輪郭(実存)をよりクリアにする効果があるのだと思う。*3

考えていることを逐一書いているため、話の進みは滅茶苦茶遅い。

マッカーシーが「火山島」を書いたら、第一章で事件が始まって一冊で終わりそうな気がする。

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四百万文字書いた小説についてさらに副読本まで出す人と、インタビューにすら満足に答えない人の違いが小説の書き方にも表れていて面白い。

 

また「火山島」は、「罪と罰」と組み込まれている要素が似ている。

兄を尊敬する妹、その妹が家族のために気に入らない相手に身売りのような結婚をする。兄がその立場を屈辱に感じて内省をするなど。

「ドストエフスキーは、あの亀が這うようなねちねちとした思考と内省のしつこさがたまらない」*4という人には「火山島」もおススメだ。

 

埴谷雄高といい、ドストエフスキーに影響を受けている人多いな。

 

 

*1:武装蜂起に向けての不穏な空気感もあるが、文字通り空気だけである。

*2:何で女性が男の行動を評価すると「男を支配しようとしている」ことになるのかはわからない。

*3:その効果を狙っているのか、単に書きやすいから用いているのかはわからないが。

*4:いいよね。