後半は不満があるのだが真相が解明されるまでの前半部分が凄くよかったので、紹介したい。
創作好きなら、笑いと共感と苦笑いと変な声がいっぺんに出ること請け合いである。
主人公の宮方天音はドール作りが趣味の27歳の派遣社員。いつかドール作りを本職にすることを夢見ている。
ある日天音は、ドール作りの師匠である西園寺徳一から上質な粘土をわけてもらう。
天音は中学生のころ「トーマの心臓」に影響を受け「アマネギムナジウム」という話を作っていた。
そこに登場する七人の少年たちのドールを作ると、少年たちは完成と同時に動き出す。彼らは自分たちが人形だという認識はなく、天音に向かって自己紹介をする。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
自分が作ったキャラに、自分が考えた超適当(当時は真剣)な設定を説明される……。
なんなんだ、この地獄みたいな状況は……。
七人の少年たちは天音が考えた設定のままの性格、関係性で彼らの日常を繰り広げる。
だが天音は教室の机の模型しか作っておらず、他のセットは何も用意していない。
だが彼らはストーリーがないところでも、彼らの日常を生きている。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
体育をする場所、放課後はどのように過ごしているのか、それぞれの部屋も必要だ。
天音は少年たちが「アマネギムナジウム」の設定に基づいた日常を過ごせるように、家の二階にギムナジウムを作る決意をする。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
ドール作りが好きなだけあって、天音はこだわりが半端ない。
部屋を片付け六畳二間をつなげて、そこにギムナジウムをゼロから建築する。設計図からひき、ホームセンターで材料を買ってきて内装から小物作りまでする。
自分は物造りの素養がまったくないので、頭の中のイメージを実際に物として作れる人は本当に凄いなと思ってしまう。
ましてやギムナジウムは実際には見ることができないのだがら、写真集や画像などからイメージを一から作っていくしかない。
そしてついに「アマネギムナジウム」が完成する。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」1巻 古屋兎丸 講談社)
少年たちは天音が作った「アマネギムナジウム」で日常を送るようになる。
しかし、そこでまた問題が……。
少年たちはお互いに複雑な感情を抱いており、人間関係のトラブルが続出する。
「そこでまた問題が」というよりも、わざわざ問題だらけの人間関係や背景設定を作り込んだんだがな。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」2巻 古屋兎丸 講談社)
話や設定を考える時にやりがちなこと。
自分の好きな設定を全部詰め込もうとする。
あるあるだよな、と変な笑いが出てくる。
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」2巻 古屋兎丸 講談社)
自分が作った人間関係に振り回される天音。
中学生のころ、自分が考えた尖った闇と病みがモリモリ詰め込み設定を何とかしなければいけない。端的に言って地獄絵図である。
「今頃、中学生の頃の黒歴史と向き合わなきゃいけないなんて」
ううっ、胸が痛い……orz 共感性羞恥が半端ない。
だが同時に、設定を考える楽しさやそれを形にする喜びも一緒に味わえる。
自分が考えた世界が目の前に存在して、しかもその中に入っていける。最高である。
と、前半は抜群の面白さなのだがそのオチが……。
ストーリー的にはちゃんと筋も通っていて妥当な展開だとは思うが
(引用元:「アマネ♰ギムナジウム」2巻 古屋兎丸 講談社)
余りにそのままだった。
ストーリー的に納得がいかないというよりは、「創作が形になる話」として始まって「実は過去の出来事そのままだった(ネタバレ反転)」というのは「話のオチとしてちょっとないな」という感覚が先に立つ。
他にもフィリックスとヨハンの話に焦点が当たりすぎて(オチを考えれば仕方がないが)オットー、ダミアン、エルマーが余り話に出てこないのが残念だった。
ダミアンはゼップの手下みたいな扱いでフォローも特になかったので、読んでいて心配だ。
後半は色々と気になる点があり、そのことについては後でnoteに書こうかなと思う。
だが前半だけならば、創作が好きな人は間違いなく楽しめると思う。
いくつになっても創作は、読むのも考えるのも楽しい。いつか黒歴史になるとしても、それも自分の歴史なのだ。
そんな風に思っている人に超おススメだ。
自分の中ではギムナジウムと言えば「飛ぶ教室」である。