うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

藤沢志月「ハツハル」の三崎と志村の恋愛がなぜいいのかを語りたい。

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藤沢志月「ハツハル」が三巻まで無料で読めたので、読んでみた。

[まとめ買い] ハツ*ハル

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正直なことを言えば、余り面白くなかったので三巻で読むのをやめようと思っていた。

 

「ハツハル」は過去に何度か書いている、典型的な「少女漫画の王道」だ。

www.saiusaruzzz.com

 

上記の記事に書いたが、「主人公を中心とした小世界の中でイベントを繰り返す」少女漫画の王道は、テンプレ化するほどたくさん作品があるので差異化がかなり難しい。

物語の作り自体は「ヒロインと相手役がいかにくっつくか」「くっついたあとのイベントや周りの人間関係」というシンプルなものだ。

あとはキャラとその関係性が好みかどうかで評価が分かれるが、「ハツハル」は主人公カップルがイマイチだった。好き嫌い以前に作りこみが足りない気がする。

海の「モテるチャラ男が、ヒロインを好きになって一途になる」というよくある設定は、そうとう上手いエクスキューズ(少女漫画において、なぜヒロインが相手役にとっての唯一無二の存在なのか、ということを読者に納得させる措置のこと。造語)をしてもらわないと「ヒロインの特別性」が絵空事すぎてうまく入り込めない。

「ハツハル」の主人公カップルは、設定が余りにテンプレすぎる上にエクスキューズも上手くないので、感情移入どころか興味がほとんど持てなかった。

 

この作りの話だと、ヒロインは素直で真っすぐで何かに(恋愛でも恋愛以外でもいい)夢中になっていて体当たりでぶつかっていくようなタイプが好きで、逆に意地っ張りなヒロインの意向を相手役が勝手に組んでくれるような関係性は好きではない。

3卷までだと美樹と紀世の恋愛がいいなあと思った。

好きだからこその上手くいかなさ、恰好悪さや臆病さ、怖いけれど頑張って話す健気さとかを丁寧に描いてくれるとジーンとくる。等身大の恋愛はエクスキューズの必要性も弱まり、感情移入もしやすい。

紀世とリコの友達同士のすれ違いも、短いエピソードながら良かった。相手の考えていることを色々と勘繰りすぎてすれ違ったりしてしまうのは、恋愛だけではなく友達同士でもよくある。

 

自分が主人公カップルにうまくのれなかったのは、二人の関係性の葛藤を相手役の海が全て引き受けて解決しているように見えるからだ。(だから海視点の話が多い。)

話数がかなり短めなのにも関わらず、神楽や紀世のほうが頑張っているように見える。

神楽のような自分の臆病さを相手に転化するタイプは元々は好きではないのだけれど、最後の最後で寅にきちんと気持ちを伝えたので見直した。自分の葛藤は自分で乗り越えるのがいい。

 

三巻までで読むのを止めようと思っていたが、先の展開を見ると志村と三崎がカップルなるということを知ったので引き続き読むことにした。

読んで大正解だった。

主人公カップルの面白くなさが嘘のように、三崎と志村のカップルは面白い。この二人の話だけをつなぎ合わせて繰り返し読んでいる。自分の中では「ハツハル」は、三崎と志村が主人公だ。

 

三崎と志村のカップルで一番良いと思った点は、二人とも譲れない強い価値観を持っているところだ。二人がなぜそういう強い価値観を持っているか、ということも納得のいく設定になっている。

強い価値観を持つ者同士がどう折り合いをつけて関係を作っていくのか、ということが二人の恋愛における興味の対象となる。

「王道」は粗筋がほとんどないも同然なので、キャラのほうを主軸に話を動かさないと作品が寄って立つものがなくなる。(海リコカップルは、この点を失敗していると思う)

 

この二人の価値観の対立がはっきりしたのは、志村の父親の道晃に関係がバレて反対されるエピソードだ。

このエピソードは、一見恋愛ものによくある「父親(道晃)の反対という障害を二人がどう乗り越えるか」に見える。が、実は違う。

志村の「親と子は違う人格なのだから、親と言えども娘の交友関係に干渉する権利を持たない」という価値観と、三崎の「過去に親に言えない恋愛をしたから、今度こそ親にきちんと認められたい」という価値観の対立なのだ。

 

これは寅が言う通り、客観的に見れば「志村の言っていることが正論」である。

親の留守の間に三崎を家に入れたことはどうかと思うが、これも交際を全面的に禁止する理由にはならない。ましてや志村が指摘した通り、道晃が主張することは無茶苦茶である。話の構図的にも「志村が正論を言っている」ように見える。

 

ところが三崎は、この「志村の正論」を受け入れない。話し合うこともなく、勝手に「道晃の許しを得るまでは距離をおく」という結論を出す。

何故かと言うと、三崎の価値観を志村が理解することはないと分かっているからだ。

「志村の言うことは正論であり、正論である限り、真理に最も尊さを見出している志村が自分の言い分を理解することはない」ということが三崎には分かっている。

そして特に理解してもらう必要性も感じていない。

何故なら「道晃の許し」にこだわるのは、三崎個人の価値観だからだ。

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(引用元:「ハツハル」第12卷 藤沢志月 小学館)

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(引用元:「ハツハル」第12卷 藤沢志月 小学館)
説明も説得も一切なし、と徹底している。

この二人はカップルでありながら、お互いに個として存在している。自分の価値観を相手に押し付けることはないし、それでいながら譲れない価値観はお互い同士ですら譲らない。

「相手が好きだから」と容易く恋愛する前の価値観を手放すキャラとは、一線を画している。

 

三崎がなぜこれほど「道晃の許し」にこだわるのか、というのは過去の義姉との恋愛の設定が生かされている。そして志村が言ったように、「クールで低燃費に見えながら、情熱的でエモーショナル」という三崎の性格は、その行動にピタリと当てはまる。

三崎はクールそうに見えて、義姉・文との恋愛にも志村との恋愛にものめりこむ恋愛体質だ。情が深く、自分が選んだ人に深く心を寄せる。自分では断ち切りがたかったその感情を手放させてくれた志村に心惹かれるのも自然だ。

自分の情が深いだけに、「志村の内面の話を聞きたい」と言うなど大切な人の気持ちも大事にする。周りの人間が理不尽だと感じる道晃の気持ちを三崎だけは大事にするところも、三崎の性格をよく表している。

それでいながら、自分が信じる価値観は絶対に譲らない。

志村も母親も道晃本人ですら「来なくていい」(河原の『来なくていい』は、「もう分かった。黙認するから」と自分は解釈した。)と言っているのにも関わらず、三崎は頑なに「道晃の許し」にこだわる。

普通の話ならば、あの河原の会話が落としどころになるところだ。

エクスカリバーに行きついたのは凄い。エクスカリバーは表面上は道晃(と志村)のおかしみを表したものに見えるが、実は三崎の頑固さが引っ張り出したものだ。

道晃をあそこまで追い詰めた三崎の情熱はすごい。

 

MBTIだと三崎は絵に描いたようなINFPに見える。

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INFPは物静かで目立たないように見えて深海のような深く激しい内向感情を持ち、ハマった人をどこまでも引きずり込む魔力的な魅力があると思うのだけれど、三崎というキャラにはそれがよく表れている。

志村は恐らくENTPでどこまでも外の世界の可能性に惹かれ続けるタイプだから、INFPのような底の見えない重力を持つタイプで丁度いいのかもしれない。

ENTPは魅力的に描こうとすると、たいてい「薄気味悪く底が知れない悪役」になることが多いのだが(ハンターハンターのヒソカのような)志村はENTPのいいところだけが出たようなキャラだ。

こういうタイプは少女漫画では珍しい。脇キャラに収まってしまうのはもったいない。

 

三崎と志村のカップルは、キャラの成り立ち方といい関係性の描かれかたといい、主人公カップルよりもずっと魅力的だ。 

正直なことをいえば、この二人が主人公の話が読みたかった。

志村は少女漫画のヒロインとしてはアクが強すぎるので、主人公にするのは難しいのかもしれないが。

 

自分が「ハツハル」全体で好きな点は、キャラの倫理がしっかりしているところだ。

例えば海がリコのために作ったキャラ弁を姪の渚が泣いて欲しがる場面は、普通ならばギャグで流してもおかしくない場面だ。「ハツハル」では海の姉が「これは海が他の子のために作ったものだ」と自分の娘を諭している。

三崎が志村と上手くいかず海に八つ当たりしてしまったときは、後に謝る場面が描かれている。

志村の父親が三崎を「こんな奴」と言ったときに、志村がその発言を咎めたりするなど、普通であれば流しがちなキャラの些細な言動についても他のキャラがきちんと咎めたり諭したりしている。

 

小さなことをおろそかにしないこういう姿勢がとても好きだ。そういう創作は好き嫌いはとは別の次元で、信頼して読むことができる。

ハツ*ハル(10) (フラワーコミックス)

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 この表紙も、二人の性格と関係性をよく表していていい。