アガサ・クリスティの代表作で、超有名なトリックが使われている「アクロイド殺し」を、物語の構造や言説、表紙や献辞を含めた本そのものの作り、クリスティが当時置かれていた状況や人生などから、多角的に読み解く、という非常に面白い本。
「なぜ殺された?」ではなく「なぜ殺される?」なところが肝だった。
「ロジャー・アクロイドは、なぜ殺される」のか?
双数の群れはアクロイドが取り結んだ日常の社会関係のなかで発生している。彼の過去の結婚、そして彼が望んだフェラーズ夫人との結婚がそうであるように、彼自身の欲望を介して双数の群れが現れ、呪われた構図をかたちづくったのである。
これらの双数のたわむれが一つの構造的な網目をなすとき、それは欲望の主体を超えた自律性を帯びて迫ってくる。
アクロイドが殺されたのは、双数の群れが不吉な構図を描いて重なっていくプロセスにおいてであり、彼の欲望はたまたまこのプロセスに幾重にも帰属していたのである。(略)この双数のシステムを通して見れば、アクロイドはフェラーズ氏同様、いずれ殺されることがふさわしいのである。
双数のシステムが運命を規定するものとして実証されるのは、現実にアクロイドが殺されることによってである。
(引用元:「ロジャー・アクロイドはなぜ殺される? -言語と運命の社会学ー」内田隆三 岩波書店 P458-P459/太字は引用者)
簡単に説明すると「アクロイド殺し」の物語内にも献辞やアガサの人生や他の著作などの物語外にも、無数の「双数」が埋め込まれている。そして「双数のシステム」は、その運命を必ず反復しなぞるようにできている。
「アクロイドが殺されたことによって、『アクロイド殺し』の内外に散りばめられた、『双数のシステム』が駆動していることを示している」
「アクロイド殺し」は、その語りのスタイルによって(有名なトリック)必ず不確定性が生まれ、物語を支えるためにその「不確定性」という空隙をうめるものが生まれるようにできている。(不確定な物語の語りを維持するためには、その空隙をうめなければストーリーが成り立たない。)
「アクロイド殺し」において、不確定性を支えるものが「双数システム」だ。
「アクロイド殺し」で使われたトリックを用いることによって「生まれざるえない空隙、不確定性」とは何なのか、双数がどのように物語内や外に眠っているのか、なぜ「双数」がこの物語ではシステムとして作動したのかということを説明したあと、「双数システム」が出てきたことをもってそれは必ず「運命」として作動しなければならず、(出てきた銃は撃たれなければならない)だからアクロイドは殺されなければならなかった(そのシステムの駆動が、『アクロイド殺し』という結果を必ず導き出す)という結論にたどり着いている。
「双数システムの作動」という運命(この『運命』と作中の人物がどう向き合うか、という類型についても、他の作品と比較して説明されている)によってアクロイドが殺された、という結果が、「双数システム」の存在を証明している。
自分が理解した限りではこの本は450ページ超にわたって、こういうことを話している。
これを読んだだけだと「?????」となると思うが、本書を読めば賛否はともかく考え方は「なるほど」と納得できると思う。
「チェーホフの銃」が抽象化した話だ、と考えるとわかりやすい。
銃とは違い抽象的にしか存在しない概念(銃)が存在しそれが必然的に撃たれたということが物語の根本で行われており、それが「アクロイドは殺される」という運命自体を作り出している。
上記の記事で、「そして誰もいなくなった」で最も面白い部分と感じていると書いた
この解釈の余地を残したところ、物語が終わったあとも終わっていないように感じられるところ、もっと他の真相があるのではないかと思えてしまうところ
この感覚が作品のどういう構造から生まれているのか、ということをぜんぶ説明してくれている
自分はすごい本だと思い、夢中で読んだ。
ただこういうことを考えることが楽しいと思うかは、他の物事以上に個人差が大きいと思っている。ここまで読んで「何が面白いのかよくわからない」と思った人は、読むのはやめたほうがいいと思う。興味が持てない人はたぶんまったく面白くない。
逆に引用した文章を読んで、「なんか知らんがわくわくする」「滅茶苦茶面白そうだ」と思った人にはぜひお薦めしたい。
ハードカバーなので値段は少し高めだけれど、こういう話が好きな人であれば倍の値段でも買って損はないと思う。
知識や考えの徹底さがまったく違うので比べるのはたいへんおこがましけれど、この本を読んで自分がやりたいこと(そして今まで一応やってきたつもりなこと)はこういう方向性のことなんだ、と思った。
この本を読んで「アクロイド殺し」がミステリーの中で重要作品として残ったのは、トリックが物議を醸しだしたからだけではなかったのでは、と感じた。トリックによって生まれた「不確定性」、そこから生じる「不穏さ」が読み手の何かに強烈に作用しやすい、「そして誰もいなくなった」でも感じたそういう力が「アクロイド殺し」にもある。
少なくとも自分は、この本を読んで「アクロイド殺し」の面白さを勘違いしていたのでは、というより「『アクロイド殺し』の最も面白い部分を自分が感じ取っていることに、ずっと気づいてなかったのかもしれない」と思った。
そう思わせてくれただけでも、この本を読んでよかった。
この本まではできなくとも、これからも好きな創作について色々な角度で考えて語っていきたい。それを読んで一人でも「へえ、そういう見方も面白いかも」と思ってくれたら、それが何よりも嬉しい。
「オルフェンズ」の粛清回路が、この本のような考え方をしていている。
自身の内部回路と戦うという意味では「あの花」と同型の話だと感じる、という考えをもう少し説明できるようになりたい。