うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【ファイナルファンタジータクティクス】キャラについての雑談。オヴェリア&ディリータ、アルガス、ガフガリオン。

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年末に「突撃軍曹」を聞きながら作業をしていたら、突然語りたくなったので話したい。

 

オヴェリア&ディリータの関係について

この二人はお互いにそれなりに好意はあると思うのに、お互い、相手をまったく見ておらず、会話が噛み合っていないのが初プレイのときから気になっていた。

Chapter4の「ディリータの想い」で語られたディリータのオヴェリアへの想いは本音だと思う。

ただなぜディリータがオヴェリアを唐突に(としか思えない)好きになったかというと、「お前は俺と同じだ」という理由がほぼすべてではと思っている。

ディリータは自分の手で「ふさわしい王国を得て、人生が光り輝く」オヴェリアを見ることによって、「人生が光り輝く自分」を確認したかった。オヴェリアはディリータにとって、「不遇な身分に生まれ人に利用され続けた自分の人生を、いかに自分の思い描いたものにできたか」を確認するための鏡だった。

ディリータもオヴェリアのことを「自分の代替品、利用するもの」として見ていた。そのことにオヴェリアは心の奥底で気づいていたから、ディリータの言葉を信じ切ることができなかった。

 

この時のオヴェリアは、自分は本物のオヴェリアの影武者であり、「自分が何者かわからない状況」だ。「実はオヴェリアではなかった自分」を認識して向き合ってくれているのは、ディリータしかいない。

つまり「自分を自分として認識する基盤」(アイデンティファイできるもの)がディリータの言葉しかない状況だ。

そう考えるとディリータに裏切られた、というのは、「信じていたのに」という思い以上に、自分の存在の基盤を失うほどの衝撃だった、だからディリータを殺そうとするという極端な行動に出た、というのは丁寧に見ていくとなるほどと思う。

 

オヴェリアとディリータはそもそも見ている方向性が違うし、お互いのことを余り理解しようとしていない。(オヴェリアは自分自身が何者かすらわからない状況なので、相手を理解する余裕がない)

Chapter3の「オヴェリアとディリータ」のシーンの二人の会話の微妙なかみ合わなさ、「オヴェリアはただショックと不安を受け止めて欲しいだけなのに、『王国を与えてやるから、それで不安はなくなるだろ』という答えはズレている」「この二人の関係はどうなんだ」という違和感は当然のものだったと、気づいた。

「話を聞いてただ黙って気持ちを受け止めて欲しい」に対して「こうしてやるから」と良かれと思って解決方法を提示(しかも物質的な、というのは根本からズレている)は現実でもよく聞く話だ。

本当に言いたいのは「そんな風に泣くのはよせ」「だから、もう、泣くな」なのだから、(大切なことなので二回言いました的な)王国を約束するんじゃなく、ただ側にいるだけでいいのに、それができず延々としゃべってしまう。

 

ディリータはオヴェリアを「自分の成功を確認するもの」としてだけ見ていたわけではなく、「自分自身の弱い面」として見ていたのだと思う。

ただそれもオヴェリア側から見ると「利用されている」ことに変わりはない。

 

昔はオヴェリアがなぜ、盗み聞いたことを曲解して、それをディリータに確かめもせずいきなり刺したのか理解できなかった。

今考えると、この二人の関係にはもともとそういうすれ違いがあり、そのズレを無視してそのうえに色々なものを積み上げるような関係性だった。

「すれ違いが切ない」という関係ではなく、「相手を理解しようと試みながら関係性を構築する」という過程を怠ったため、当たり前の結論が出た関係だ。年をとると、こういう現象は身につまされる。

ディリータは自分の「真実」を疑わず(自分にとっては『真実』なのだから当たり前だが)その「真実」をオヴェリアがどう見るか、ということにまったく興味を持っていない。

 

オヴェリアはディリータの言葉を曲解し誤解してディリータを刺したと思っていたが、それは表面上のことで、根本的にはディリータの真意を見抜いていた。

ディリータがオヴェリアを刺し返したのも「オヴェリアを『彼女のためなら命も惜しくない』と語るほど愛していたのに、なぜ刺し返したのか」(見返すと、『とっさに』という感じではない)ということが疑問だったが、「自分の成功を映すもの」「弱い自分を表すもの」という存在ではなくなったオヴェリア自身は「見殺し」にした。

オヴェリアの言葉を正確になぞった行動をしている。

ディリータは「自分の鏡」ではなくなった(利用できなくなった)瞬間、オヴェリアを刺し返したのだ。

ディリータがあの瞬間オヴェリアを刺し返したことで、逆説的にオヴェリアの考えが真実だったことを表している。

ディリータがオヴェリアに語った

「オレはそんなのまっぴらゴメンだ。オレは利用されない。利用する側にまわってやる!」

という決意の結末がこれだった。

 

オヴェリアはエンディングで死ななかった、というのが公式になっているらしいので、当身だったのかもしれない。

この曖昧さがあるから「この話がどういう話か」という方向性まで変えてみることができる。

この二人の「『真実』は見る人間によって違う」「自分が真実だと思っていることは相手にとってもそうなのか」という関係性が、「ファイナルファンタジータクティクス」のストーリー全体もそうであると考えると本当によくできている。

改めてすごい話だ、と感心してしまった。

 

 

アルガス

アルガスは「この世界観に存在することが不自然な現代的な価値観に対する反論を叫ぶ不自然なキャラ」に見えたので物語を動かす装置にしか見えず、それ以上でもそれ以下でもなかった。

だが「アルガスは平民を見下しているのではなく憎んでいる」という他の人の感想を見たときに、自分の中のアルガス像(何だそれ)が、初めてまとまった感じがした。

自分がアルガスから感じたのも「憎しみ」だ。

ただセリフの内容は「憎しみ」ではなく「見下している」ところが矛盾に感じられ、その真意がよくわからなかった。

この二つは負の感情なので似ているように見えるが、自分の中ではまったく違う。

憎しみは対等、もしくは自分よりも上の立場の人間に対してしか生まれない感情だ。相手を憎んでいる、ということは相手を対等に見ている、ということだ。見下している相手を憎むことはできない。

だから「表面的には傲慢な貴族に見えながら、平民と対等に論戦しているアルガス」というキャラがずっとよくわからなかった。

 

特に何の根拠もないが、アルガスが憎んでいたのは平民ではなく、あの時代の体制だったのではと思った。

根底にある感情は、実はウィーグラフやミルウーダたちと同じだったのだと思う。

 

アルガスが言っていることはある意味正論、というのは自分もその通りだと思う。有名な「家畜に神はいない」も、あの世界観の貴族であれば(その中でそうとうひどい類とはいえ)それほど不自然な考えではない。

問題はその正論や自然な考えを、なぜアルガスがあれほど声高に叫び続けたのだろうということだ。(主張するまでもない当たり前の考えを主張するから、不自然に見える)

「家畜に神はいる(平民は家畜ではない)」という考えの存在を知っていなければ、「家畜に神はいない」という反論は生まれない。一般的な貴族のキャラだったらミルウーダの言葉など『家畜が鳴いている』とスルーして終わりだろう。

 

アルガスはミルウーダ的価値観、「祖父の所業で家名が貶められたことで、(身分が低いことで)自分が苦労するのは何故なのか」という疑問を持っている。

「身分か……。たしかに、オレ一人じゃダイスダーグ卿には会えんよなぁ…」

「オレたちと貴様ら貴族にどんな違いがあるというんだ…? 生まれ? 家柄? 身分って何だ…?」

アルガスの嘆きとアルガスが殴った骸旅団剣士の言葉は、「身分とは何なのか」という同じ疑問が根底にある。

だがアルガスは貴族としての価値観に縛られている。その疑問のままに生きれば、それまでの自分自身を否定することになる。

アルガスのミルウーダたちへの言葉の強さや過激さは、実はそれくらいアルガスの中で身分への疑問や不満、苦しみが大きかったことの表れではと思う。

アルガスが「対等の相手として」反論し罵声を浴びせ、懸命に見下そうとしていたのは、ミルウーダたちではなく、自分自身の中に眠るそういう疑問だった。

そこまで苦しみながら自分は体制に従っているのに、その体制に対して平気で疑問を口にするラムザに対して「筋金入りの甘ちゃんだぜッ! 何故、おまえなんかがベオルブ家に?」「利用されるだけだと? ふざけるなッ!!」と怒りを爆発させている。

 

そういう視点で見ると、アルガスというキャラがやっと「そういう人間だったのか」とわかった気がする。

体制に疑問を持ち憎みながらも結局は迎合していた、と考えると今まで以上に「大して同情も共感もできない」けれど、自分が思っていた以上にアルガスは苦しんでいたのかもしれない、とは思う。

 

 ガフガリオン

ガフ・ガフガリオンは、今までプレイしたゲームの中で、一番好きなキャラクターだ。

自分がガフガリオンが好きな一番の理由は、「誰かにとっての悪」という概念を引き受けなければならいことから逃げないところだ、と今回気づいた。

このことが一番わかりやすいのは、ゴルゴラルダの処刑場のアグリアスとの会話だ。

 

 「恥ずかしくないのか!? 犬になりさがっている自分が! 人間としての誇りはないのかッ!?」

 「そんな役に立たないもンはとっくの昔に捨てたよ!」

 

このアグリアスの詰問に対して、平民出身であるガフガリオンは例えばギュスタヴの「オレたちに必要なのは思想じゃない。食いものや寝るところなんだッ! それも今すぐになッ!!」このセリフや、ミルウーダの「貴方たちは返してくれるの? 貴方たち貴族が、私たちから奪ったすべてのものを貴方たちは返してくれるの?」のセリフのように

「そういうことを主張できることがいかに恵まれているか、少しは考えたらどうだ? お前らは平民から搾取している立場で、『人間としての誇り』がどうのと説けるのか?」

という「平民の立場」から返すこともできる。

実際にミルウーダは、そういう視点からラムザやディリータに言葉を返している。

 

しかしガフガリオンはアグリアスの激高に対して、「貴族であり誇りを持つことが重要であり、そういう立場にい続けられたアグリアスが理解できる文脈」で返答している。

「被害者の椅子の奪い合い」に参加せず、自分が不利な立場に立たざるえない「相手の価値観」の中で、「悪」を引き受けている。

実際にアグリアスやオヴェリアの立場(価値観)から見れば、ガフガリオンは紛れもない極悪人だ。これは否定しようがない。

その事実の中で、「自分たちの立場から見れば仕方がない面もあるのだ。お前らだってこちらのことは理解していない」と自分の価値観を叫ぶミルウーダやギュスタヴと比べると、「悪であることの言い訳をしない」ところにガフガリオンのカッコよさがあると思う。(ミルウーダたちの主張は当然だと思うので余計にそう思う。)

 

悪をなすにあたって、相手の文脈の中で悪の立場にい続けるところこそ、ガフガリオンの誇り高さを表していると思うのだ。

 

ガフガリオンは、誰に対しても常に対立者や悪で居続ける。

ダイスダーグに対しては「ラムザもか?」「(ラムザの)正義感の強さは親父譲りってことか?」とラムザを庇うようなことをいい、自分とはけた違いの権力を持つダイスダーグに対して「実の兄とは思えン台詞だな。胸くそが悪くなるぜ。」とはっきりと自分の感情を伝えている。

ところがラムザに対しては「おまえの兄キはそれを成そうと している! たとえ、それが“悪事”と呼ばれることでもな!」と、ダイスダーグのやっていることの意義を説こうとする。

ダイスダーグに対してもラムザに対しても、自分を良く見せようとはせず、損でしかないのに目の前の相手にとって耳に痛いことばかりを言う。

 

ガフガリオンの目的については色々な説があるが、自分はダイスダーグからの依頼はあくまでラムザの護衛&監視にとどまっており、教育者的な立場に立ったのはダイスダーグの意向ではなく、ガフガリオン個人の考えだと思っている。

ガフガリオンは恐らく、ラムザに大陸の混乱を治める英雄の資質を見出して、その資質を育てようとしていたのだ。ガフガリオンの性格を考えると世の現実や考え方を教える役割だけを担い、あとはラムザがどういう道を歩むかに賭けるしかないと考えていたのではないか。

 

ゴルゴラルダの処刑場の会話が、ガフガリオンの本音だったのだろう。

「我々が第一に考えねばならンことは“大義”だ!」

「誇りなんてとっくに捨てた」と言いながら「大義」と口にする。しかも「お前」でも「オレたち」でもない。「我々」だ。

ガフガリオンは 「犬」と罵られ、「恥ずかしくないのか」と言われ汚い仕事に手を染めながらも、ずっと「大義」について考えながら生きてきた。その大義が成就する夢をラムザの中に見た。

「この腐敗しきったイヴァリースを見ろッ!! 誰かが変えなきゃいかンのだ!」

「金のためなら何でもやる汚い奴」という看板を背負いながら、そして実際にそういう人間でありながら、同時に心の奥底ではこんなことを考えている。

ガフガリオンもウィーグラフやミルウーダたちと同じ思いを持っている。「誇りを捨てた犬」として生きながら、この世界を誰かが変えなければならないと思っていた。

でも変えるためには、誰かが「誇りを捨てた汚い奴」にならなければならない。そして自分は大義があろうが何だろうが、そんなことは関係なく事実としてそういう「汚い人間だ」ということから目を背けない。

 

「ファイナルファンタジータクティクス」はキャラそれぞれが、相手の価値観はすべて無視して自分の価値観にのっとって主張を繰り広げることが多い。だから会話が噛みあっていないように見えることが多々ある。ディリータとオヴェリアもそうだし、ディリータとミルウーダたち、ミルウーダとアルガスもそうだ。

ザルバッグやイズルード、メリアドール、マラークのように実際に自分の目で見て、初めて相手の言うことを納得する(納得せざるえない)人間が大半だ。まあそれが普通だと思うけど。

その中で常に相手の価値観も受け入れて会話をするガフガリオンは、ファイナルファンタジータクティクスのキャラクターの中では一番色々な立場の人間と会話が成り立っている。

 

誰もが「正しさ」を叫ぶ中で相対的に生まれる「悪」を引き受けられる強さや、自分が見た夢をラムザが受け入れなくとも恨み言や無念は言わず、最後は「このオレが敗れるのか?」と「自分」だけを背負って死んでいく潔さもいい。

最後の最後まで何ひとつ言い訳せず、時代や世界にとってのかわいそうな被害者にも犠牲者にもならず「汚い悪党」で居続けた、その誇り高さが好きで仕方がない。

ガフガリオンが主人公のスピンオフ作ってくれないかなあ。チラッ。 

 

FINAL FANTASY TACTICS Original Soundtrack

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続き。

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