うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

「『八九六四』を読んで」 気軽な気持ちで「ネットで民主化運動」をしていた人の運命が過酷で、読んでいて辛かった。

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天安門事件に当時関わった人をインタビューして、参加者の生の声やその後の人生から「天安門事件」を浮かび上がらせようとする「八九六四完全版 『天安門事件』から『香港デモ』へ」を読んでいる。

 

この本を読もうと思ったのは、天安門事件は名前は有名だけれど、何が原因でどういう経緯で誰が主導して起こったのか、意外と詳細を知らないなと思ったことがひとつ、もうひとつは香港の現状を見て今の中国の人、特に天安門事件を経験した世代の人がどう思っているか知りたかったからだ。

 

三分の二ほど読んだ現時点では、他の国という外側から「歴史」としてしか知らない自分には見えない、様々な要素が絡み合っているのだなと驚いている。

本書の登場人物の一人、マー運転手が「ネットで見つけた真相」と語る

天安門事件とは、中国が本来目指すべき道・民主主義を求める運動が、悪しき政権によって武力で弾圧された由々しき大事件。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P168)

 こんな単純に語れるものではないのだなあと思った。

自分の感覚はこれにかなり近かったので、本書で実際にその場にいた人や関わった人の話を読み、「新しい世界」でスラヴォイ・ジジェクが語っていた「リアルとリアリティの差」をまざまざと感じだ。

「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来」の感想とメモ(後編)~トマ・ピケティ、マルクス・ガブリエル、マイケル・サンデルなど~ - うさるの厨二病な読書日記

 

読み終わった後に全体の感想も書くつもりだが、本書で「持たざる者」として登場する姜野飛(仮名・敬称略)の運命が、どうにも読んでいて辛かったので姜氏について書きたい。

この人は両親が文革で批判の対象となった。そのため生まれたときから生活が苦しく迫害されて、教育を満足に受けることが出来なかった。

89年当時は、北京から遠く離れた成都にいたが、成都でも胡燿邦の死後デモが起こる。

「当時学生がいろいろな演説をしていたが、何を言っているのか難しくて理解でき」ず、「誰も何も考えていなかった」「最後には何か変わるんだろうという期待」(P137 ‐138)してデモに全財産を投じて参加した。

その心境を読むと、子供のように無邪気な感じだ。

 

姜はその後、2000年代にネットに出会う。自分の意見を書きこむと大勢の人が褒めてくれた。

社会の周縁を歩き続けてきた人生のなかで初めて味わった、承認欲求の充足という甘美な快感である。若いころに成都の街で見た、アジ演説をぶって拍手を集める学生リーダー側の人間になれたような気がした。

どうやら、より大きな声で、より過激に体制を罵るほうが喜ばれるらしい。

(引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P142/太字は引用者)

 

姜はやがて過激な反共産党運動を展開している、宗教団体の意見を支持するようになる。

「俺は信者じゃないけれど、彼らはいいことも言っていると思ったんだ」

極端な団体の主張ほど、シンプルでわかりやすいのである。

 (引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P143/太字は引用者)

 

姜はやがて当局にマークされて、四川大地震への対応について国への不信感を発信し続けたためについに捕まってしまう。

姜は震災の時に小学校で多数の子供が生き埋めになっている、というニュースを聞いてすぐに助けに行こうとしている。真っすぐで義侠心に富んだ人なのだ。

本書には他にも活動家が出てきて、彼らも監視を受けて捕まれば罵倒や侮辱はされるが、仲間もおり、組織という後ろ楯もあり、知識もあるため直接的な暴行は受けない。

しかしそういったものを何ひとつ持たない姜は、ひどい扱いを受ける。

 

彼はその後、タイに亡命するが難民申請をしても「偽装難民ではないか」と疑われ、申請が認められない。

どの組織も、何の知識もなく有名な活動家でもない姜を助けてくれようとはしない。

姜はタイで苦しい生活を強いられたあげく、強制送還される。 

そんな結果が発生した場合でも、ネット上の勇ましい扇動者たちは彼らの身をまったく守らず、何の責任も取らないのが普通である。

 (引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P170)

 

運動への参加や思想の表明は本人の自由とは言っても、姜はそもそもその危険性やそれがどういう意味を持つかという知識を学ぶ機会も奪い去られていた。

「本当は勉強がしたかった」という述解が辛い。

強烈な思想信条があったわけではなく、

口を極めて共産党を罵っている限りは、ネット上で誰かが褒めてくれて、自分がこの世に存在する実感が得られるのだ。

 (引用元:「八九六四 完全版 『天安門事件』から香港デモへ」 安田峰俊 ㈱KADOKAWA P152)

教育を与えられず虐げられていた人が、その危険性に気付かず自己を訴えるためにやっていたことがこんなことになってしまうとは。

 

「自分のアイデンティティーから出てきた意見」が本来の「意見」の姿であり、「自分の意見にアイデンティファイしてしまう」のは本末転倒だ。

これはネットやSNSを使っていると、誰もが陥りやすい罠だと思う。

「SNSの問題はエコーチェンバーよりも、対立する意見の存在が自分のアイデンティティーの危機と感じてしまうところにあるのではないか」という話が面白かった。 - うさるの厨二病な読書日記

という記事を以前書いたが、姜野飛は、正にこういう人だった。

 

「それがどういう意味を持つか」ということを知ったり考えたりする術すら奪い取られたあげく、誰からも手を差し伸べられず、

「この報道を最後に姜の消息はほとんど途絶えた。名もなき男の投獄について、国内外からの救援の声はほとんど上がらず、彼は忘れられた存在となった」

という結末が余りと言えば余りだと思った。

読んでいてひどく暗い気持ちになった。

 

姜への国の対応がひどいのはもちろんだが、市井の人を率いた指導者層への責任の言及は他の場所でも出てくる。

後に出てくる天安門事件の指導者の一人だった王丹やウアルカイシが、かなり意識的に自分の過去の役割を背負い続けようとしていたり罪悪感と向き合おうとしているので、その点だけが救いと言えば救いだなと思った。